みみかほう

こころの耳をすませて すてきな果報にであいたいとおもいます。

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✿ちょっくら小倉≪ゆくりなく編≫

2015年09月15日 | ✿おでかけ
小倉に
おじゃましました。
レポのタイトルは、「ちょっくら小倉」です。


濃紫が「福岡県北九州市」

区名



『ちょっくら小倉日程』

9月12日(土)
特急ソニック33号大分行 博多14:47発
●ライブ風の軌跡

9月13日(日)
●森鴎外旧居
●常盤橋
特急ソニック24号博多行 小倉12:05発


レポは、
その1≪ゆくりなく編≫・・今日です。
その2≪グルメ&お土産編≫
・・へと、続きます。




はじまり




明治の文豪森鴎外は、陸軍第12師団軍医部長として小倉に赴任しています。
明治32年6月から翌年の12月まで住んでたという鍛冶屋町の旧居を訪れました。



≪森鴎外旧居≫福岡県北九州市小倉北区鍛冶町1-7-2



森鴎外は、はたして
小倉へ左遷させられたのか。

Yhoo知恵袋に、詳しく説明してあります。
ふむふむです。





鴎外は、この家で「我をして九州の富人たらしめば」「鴎外漁史とは誰ぞ」等を書いています。帰京後書いた小説「鶏」は、この家を舞台にしたものです。
北九州市は、昭和49年3月、この旧居を永久に保存するため、「史跡森鴎外旧居」として文化財に指定し、同57年3月、当時の姿に復元しました。





「平面図」


クリックすると大きくなります。

この図では上の方が門です。
門から入って
さあ、玄関です。
おじゃまします。


「玄関」





座敷に上がります。
奥の部屋が鴎外が書斎に使用した部屋です。


「床の間の掛軸」


「天馬行空」鴎外が豊前市出身の発明家、矢頭良一の死を悼んで遺族に贈った書。源高やすは鴎外のことです。


「表庭」


夾竹桃と白の百日紅は当時からのものです。


「釘隠し」


「飛翔鶴」です。すごくお洒落です。



裏庭です。花壇もあったのですね。
柿の実がたわわに実っています。



小座敷の摩りガラス越しに中庭を観ます。すごくお洒落です。


「流しと竈」


お手伝いさんが、家事をされてたんですね。
奥さまの登志子さんは東京に残し、単身です。



玄関に向かって左の方にある庭からの一枚です。


鴎外の生涯において欠かすことのできない女性は3人。
「舞姫」のモデルとなったエリーゼさんと、最初の奥さま登志子さんと、再婚された志げさん。
エリーゼさんと、登志子さんとは、縁がなかったのでしょうか。
志げさんと再婚されたのは、ここ小倉。
(志げさんと新婚生活を送った家は、この鍛治屋町の家ではなく新しく引っ越した京町の家なんですね。その家は、今はもうないのだそうです。)
志げさんは、「小倉時代が生涯で一番楽しかった。」とおっしゃっているそうです。
決して
鴎外さんは、左遷
だとは、思っておられなかったことでしょう。


【追記
森鴎外:1862年島根県津和野生まれ
1922年東京にて没 満60歳

小倉滞在は、明治32年6月~明治35年3月
37歳から40歳まで。




≪常盤橋≫福岡県北九州市小倉北区の紫川



そうです。
小倉は、シュガーロードの始点なのです。
ねね、シュガーロードのことは、こないだお話したでしょう。
紫川に架かるこの常盤橋が、始点となります。





シュガーロードとは長崎街道のこと。
江戸時代に整備された脇街道の一つで、豊前国小倉(福岡県北九州市小倉北区)の常盤橋を始点として、肥前国長崎(長崎県長崎市)に至る路線です。


「広告塔」


森鴎外の小説「獨身」に広告塔は西洋から直接小倉に伝わり、「東京にないもの」のひとつとして、「常磐橋の袂(たもと)に圓(まる)い柱が立っている。これに広告をはりつけるのである。」と記されています。


「伊能忠敬測量記念碑」


常盤橋は、九州伊能測量の始発点でもあります。
小倉の五街道 (長崎街道・唐津街道・中津街道・秋月街道・門司往還)の起点として意義深い 地点です。
伊能測量開始200年を記念しその偉大な業績を讃え、顕彰碑が建立されました。平成13年9月建立。



細川時代(江戸時代初期)に紫川の東側を東曲輪として開発したときに、以前からの城下町であった西側(西曲輪)とを結ぶ橋として架設されたといわれています。当時は大橋と呼ばれ、元禄5年~7年に架け替えられてから、常盤橋と呼ばれるようになったようです。


この橋を渡って森鴎外さんは、小倉城内の師団司令部まで馬で通勤しました。

幕末には、竜馬さんも渡ったのですね。
感慨深いです。




≪それから≫福岡県北九州市小倉北区



ライブを終えて、ライトアップされた「小倉城」と「宇宙七曜星の精」に出会いました。
「小倉城」


「宇宙七曜星の精」


「宇宙七曜星の精」???顔が、まるでマカロニです。大阪万博のポスターを手がけた日本を代表するグラフィックデザイナーの(故)福田繁雄さんの作品だそうです。紫川にかかる中の橋(別名:太陽の橋)の歩道にずらーっと7人に並んでいます。




「散策マップ」


クリックすると大きくなります。




「北九州市のマンホール」


斜め格子の地模様の蓋に、市の花ヒマワリのデザイン。


市の木イチイガシの葉と実のデザイン。



おしまい





ゆくりなくとは、「思いがけなく」という意味だそうです。

~ゆくりなく人は 出逢い
ゆくりなく人は 憧れ行く~
は、「夢見る人」の冒頭の歌詞です。


「天皇の料理番」というドラマにゆくりなく出逢ったおかげで
ゆくりなく佳い旅ができました。
感謝です。



ちょっくら小倉
レポは、≪グルメ&お土産編≫へと続きます。
よろしくお願いします。




あの・・今回はおじゃましませんでした、小倉城です。
小倉城の桜2011年4月。




小倉9月12~13日訪問




・・・





コメント (30)
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