元インドネシア代表監督、スリランカ代表監督(野中寿人- 66番の部屋)

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外国人監督・・・半世紀の反省と感謝  Vol 4

2012年06月15日 13時49分21秒 | 66番の思想


2007年4月

外国人初の・・・
インドネシア代表ナショナルチーム監督に就任・・・

東南アジア競技大会へ向けた・・・
強化練習がジャカルタで開始した・・・



















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海外遠征は・・・
日本滞在3週間を実現・・・

関西地区と関東地区に滞在・・・
特に関西地区は天理大学にお世話になる・・・

甲子園で惜敗した天理・・・
この天理戦で自身の野球に終止符を打ち・・・

27年の歳月を経て・・・
この天理大学で自身の野球が・・・
日本で復活した・・・









恩師・・・
小枝守監督の・・・
拓大紅陵高校へ・・・





憧れの・・・
国際武道大学・・・
岩井監督・・・



そして・・・
母校 日大三高への凱旋帰国・・・

不義理をし続け、OB名簿には・・・
行方不明と記載さてれいた時期もあった・・・

そんな自分が・・・
この聖地にインドネシア代表の・・・
ユニフォームを着て立たせてもらっている・・・



関本四十四さんも応援に駆けつけてくれた・・・



名将・・・
小倉監督と・・・



小倉監督がコーチとして・・・
自分は選手として・・・
同じ年に日大三高野球部を卒業・・・
監督というより兄貴のような感覚を持つ・・・



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そして・・・迎えた・・・
2007年12月の東南アジア競技大会・・・



インドネシア代表ナショナルチームを引き連れ・・・
開催地のタイランド王国へ出陣・・・







バリ島から・・・
レッドソックスの仲間も・・・
タイランド王国へ応援に駆けつけてくれた・・・
(坂本、楢林)


因縁・・・
タイランド代表ナショナルチームとの戦い・・・
白倉キャサダー投手(当時、亜細亜大学)・・・
そして、江本(エモやん)総監督・・・
日大野球部の大先輩である渡辺監督との戦い・・・





ミャンマー代表ナショナルチーム・・・
岩崎監督との戦い・・・





宿敵・・・
フィリピン代表ナショナルチームとの激戦は・・・













8回・・・
2アウト ランナー3塁からの・・・
ショートゴロが20cm跳ね上がるイレギュラーバウンド・・・
遊撃手が何とか叩き落とし、即座に1塁へ送球・・・
1塁手の補球と打者ランナーの1塁到達が同時だった・・・

アウトとでも セーフとでも どちらとも取れるタイミング・・・
しかし、無常にも判定はセーフ・・・
この1点が決勝点となった・・・



1-0で惜敗・・・





試合終了後・・・
記念撮影にも参列せず・・・
ひとりセンターへ向かって歩いていた・・・
溢れる涙を止められなかった・・・



選手達に・・・
金メダルを取らせてあげれなかった・・・



選手達に謝罪・・・
共に号泣・・・







決勝のタイ代表とフィリピン代表の試合は・・・
5-4でタイ代表が勝利・・・





こうして・・・
東南アジア競技大会は閉幕した・・・



インドネシア代表は銅メダルに甘んじた・・・





だが・・・
この敗戦は同時に・・・
インドネシア代表チームの力を証明させるべく・・・
アセアン諸国へのリベンジを誓った瞬間でもあった・・・

何故ならば・・・
タイ代表、フィリピン代表、インドネシア代表・・・
紙一重の実力・・・納得が出来ない・・・!



何が何でも・・・
アセアン圏内で金メダルを獲る・・・!

過酷な練習を課した・・・
選手達に金メダルを取らせる・・・!

何処の馬の骨だかわからないような自分を・・・
インドネシア代表ナショナルチームの監督に・・・
抜擢してくれたインドネシアアマチュア野球連盟会長に・・・
金メダルを贈呈する・・・!

復習の幕が切って落とされた・・・!


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