5年前、イラン北西部に地震があり、被災した村に日本の資材と職人を送って学校を寄贈したその後同時にアフガンの支援の手が届かないといわれるバドギス州のザードシャヒ村にイラン国境から入り、地元市長、州知事ともあって学校建設を約束し神戸から資材すべてをイラン経由で送ったが、結果イラン政府当局が約束していた物資の通関と輸送がうまくいかずして、送った物資はイランのバンダラアッバス港の税関に没収された結果となってしまった。
当時私費を投じてやっていたので、自分のやっていた事業もうまくいかずして、送った品物については、机、いす、日本の小学生の善意の品、発電機、製材機、そして学校一棟分の材木が消えてしまった。
輸送料にかけた金額でも300万円、現金そのまま上げればその方がよかったと思うが、日本から人が現地の人とともに創る思いがあったのでそんな計画を行った。
国際支援の難しさを身でもって知った。
イランの方は完成させたその経緯からアフガンもとの計画がやはり国の制度の壁が大きかった。
ただ3度も現地に行って、子供達に期待をさせて約束が反故になったことが今でも気になり、時期を見てもう一度実現のためにこのプロジェクトを実現したい。
日本からの送り物に喜ぶアフガンの子供達 ザードシャヒ村にて