ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

アフガニスタンを忘れないで「学校をつくろう」

2007年06月02日 | Weblog
 5年前、イラン北西部に地震があり、被災した村に日本の資材と職人を送って学校を寄贈したその後同時にアフガンの支援の手が届かないといわれるバドギス州のザードシャヒ村にイラン国境から入り、地元市長、州知事ともあって学校建設を約束し神戸から資材すべてをイラン経由で送ったが、結果イラン政府当局が約束していた物資の通関と輸送がうまくいかずして、送った物資はイランのバンダラアッバス港の税関に没収された結果となってしまった。
当時私費を投じてやっていたので、自分のやっていた事業もうまくいかずして、送った品物については、机、いす、日本の小学生の善意の品、発電機、製材機、そして学校一棟分の材木が消えてしまった。
輸送料にかけた金額でも300万円、現金そのまま上げればその方がよかったと思うが、日本から人が現地の人とともに創る思いがあったのでそんな計画を行った。
国際支援の難しさを身でもって知った。
イランの方は完成させたその経緯からアフガンもとの計画がやはり国の制度の壁が大きかった。
ただ3度も現地に行って、子供達に期待をさせて約束が反故になったことが今でも気になり、時期を見てもう一度実現のためにこのプロジェクトを実現したい。

   日本からの送り物に喜ぶアフガンの子供達  ザードシャヒ村にて       

山古志で田植えが始まる

2007年06月02日 | Weblog
 山古志虫亀で田植えが本格化した。震災から2年が経過したが、震災当時はいつもどれるか、元の姿になるのかといわれたが、こうして全域ではないにせよ、着実な復興の道を歩んでいるように思える。
先日も養鯉業を営む田中重雄さんから山菜を送ってもらったが、鯉も今が一番忙しいという。
やはり、山古志及び新潟の人々は我慢と辛抱が強い、粘り強さは土地柄だけではない。こうした山古志の復興への関心はこうして今でも全国の人の関心の的でもある。


     写真     被災当時 長岡整備局山古志村復興対策本部にて