宇部市に西岐波という海岸がある。
今はひっそりとした砂浜で周囲は何もない浜であるが、戦時中、ここは長生炭鉱といって、海底まで堀進んだ炭鉱があった。
宇部市の地下全体掘り尽くされ、この海岸下まで石炭採掘のため、坑道を延長していった次第で、今尚、その証拠に海面に突き出たピーヤ(換気搭)が残っている。
1942年2月3日未明、旧西岐波村床波近くの海岸にあった、長生炭鉱(1933年総業)
の海底まで伸びた炭鉱で沖合い1キロの坑道で水没事故が起こり、183名の炭鉱労働者が犠牲になった。
内130名が朝鮮人労働者で、日本が真珠湾攻撃を開始し、太平洋戦争に突入し間もない時、このなくなったほとんどの朝鮮人は、強制的に連れて来られた若者達。
この事故は朝鮮人労働者の犠牲者の数では、最多の大惨事で、この時の犠牲者は海底から引き上げられることなく、今も海の底に眠っている。
18年まえから、地元の日本人と在日同胞の有志が、韓国から遺族を招き、この海岸沿いで、慰霊祭を行っているが、宇部市などの、行政側からの参加はみられないし、またそういった事実を認めようとせず、慰霊碑建立にも非協力的で、過去の話であって、解決済みと、歴史の中から欠落させようともしている。
平和への誓いの為にも、こういった負の歴史も認識し、繰り返さないためにも、直視し、真相を知るべきではないだろうか。
08,2,3 韓国からの遺族を招いての慰霊祭
今はひっそりとした砂浜で周囲は何もない浜であるが、戦時中、ここは長生炭鉱といって、海底まで堀進んだ炭鉱があった。
宇部市の地下全体掘り尽くされ、この海岸下まで石炭採掘のため、坑道を延長していった次第で、今尚、その証拠に海面に突き出たピーヤ(換気搭)が残っている。
1942年2月3日未明、旧西岐波村床波近くの海岸にあった、長生炭鉱(1933年総業)
の海底まで伸びた炭鉱で沖合い1キロの坑道で水没事故が起こり、183名の炭鉱労働者が犠牲になった。
内130名が朝鮮人労働者で、日本が真珠湾攻撃を開始し、太平洋戦争に突入し間もない時、このなくなったほとんどの朝鮮人は、強制的に連れて来られた若者達。
この事故は朝鮮人労働者の犠牲者の数では、最多の大惨事で、この時の犠牲者は海底から引き上げられることなく、今も海の底に眠っている。
18年まえから、地元の日本人と在日同胞の有志が、韓国から遺族を招き、この海岸沿いで、慰霊祭を行っているが、宇部市などの、行政側からの参加はみられないし、またそういった事実を認めようとせず、慰霊碑建立にも非協力的で、過去の話であって、解決済みと、歴史の中から欠落させようともしている。
平和への誓いの為にも、こういった負の歴史も認識し、繰り返さないためにも、直視し、真相を知るべきではないだろうか。
08,2,3 韓国からの遺族を招いての慰霊祭