ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

宇治市伊勢田ウトロの今

2008年02月17日 | Weblog
 宇治市の郊外にあるこの地区は、戦前京都空港という軍事空港があった。
その建設に、多くの朝鮮人労働者が従事し最も多い時で1300人がこの地区に飯場を設け、暮らしていたが、日本が敗戦後、半数は祖国、韓国に帰国。
半数は、そのまま、この場所に住み着いたのが、このウトロ。
いつしか、朝鮮人が形成された。

しかし、この土地の所有者は、日産車体であって、1987年に、この地区に住む在日1世の許昌九という、自称自治会長に住民の知らない間に売却してしまい、許は、この土地を取得するため、自ら代表となる、西日本殖産なる会社を設立。
3億でこの3000坪の土地を仕入れ、住民に4億で売却しようと試みたが、思惑ははずれて、やがて、同胞間での裁判がはじまり、結果、最高裁で住民側が敗訴。

2005年9月には、強制立ち退きが始まろうとしていたが、住民運動のたかまりが、日本国内のみならず、韓国に世界にと、日本の戦後処理問題とし、多くの関心を集めることとなったのである。     続く