ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

宇治市ウトロ 日本の中の朝鮮人部落その原型

2008年02月18日 | Weblog
 ここ、ウトロに昭和26年あたりから住み、55年が過ぎたという、石玉先さん(78)を3年ぶりに訪問した
当時、私が山古志に住民票を移し、京都の仏師松本、明慶氏の工房へと、山古志の田中 仁、五十嵐 豊とともにここウトロの石さん宅を訪ねたのだが、この時、グ主人の崔忠圭氏とあって、この場所に来た話を聞くことが出来た。

崔さんは、18歳の時、強制連行で、福岡の飯塚炭鉱に連れて来られ、一年後、脱走し、九州各地を転々とし、戦後ウトロに住み着いた。そして石さんと結婚。
韓国で既に結婚して、一人日本に来ており、子供がいたという、戦後、日本の暮らし向きも芳しくなく、ウトロに定住するようになったと、赤裸々な話を聞くことが出来たが、このたび、訪問したが、2年前、享年91歳で永眠された。

ウトロで最高齢の一世の方であり、年齢とは見えない、風格のあった人と記憶している。

今、奥さんの石さんが残り、一人でウトロに暮らす。
最近は体の調子も悪く、病院通いの日々。
家族がいない、石さんは、今後の不安が募るばかりの日々だが・・・

続く   写真右  石さん