宇治市伊勢田町ウトロ。
戦時中、京都飛行場建設のために出来た労務者の飯場あとに、朝鮮人労務者がそのまま
住み着いた。
その土地の所有者は日産車体でその土地の権利をその場所に住む在日に売り渡しその複雑な権利関係をめぐり、裁判となって結果、住民は不法占拠との最高裁判決が下され、強制撤去の動きが生じ、在日の戦後保障問題など、また人権問題などさらには、韓国との外交問題までに発展していった。
今から3年まえに、その土地の買取に韓国政府が拠出する運びとなったが、政権交代で未だ実現までに至っていない。
今mの尚、戦前のバラックが残り、上下水道も敷設されず、今の日本の中で劣悪な環境での住民の生活が続いており、その解決への道のりはまだ遠い。
町内会副会長の厳明夫さんたちはこれまで長い道のりを戦ってきた。
強制撤去の恐怖は越えたが、新しい町に作り変えるのはまだこれからという、更なる地道な積み上げが要求さている。
戦時中、京都飛行場建設のために出来た労務者の飯場あとに、朝鮮人労務者がそのまま
住み着いた。
その土地の所有者は日産車体でその土地の権利をその場所に住む在日に売り渡しその複雑な権利関係をめぐり、裁判となって結果、住民は不法占拠との最高裁判決が下され、強制撤去の動きが生じ、在日の戦後保障問題など、また人権問題などさらには、韓国との外交問題までに発展していった。
今から3年まえに、その土地の買取に韓国政府が拠出する運びとなったが、政権交代で未だ実現までに至っていない。
今mの尚、戦前のバラックが残り、上下水道も敷設されず、今の日本の中で劣悪な環境での住民の生活が続いており、その解決への道のりはまだ遠い。
町内会副会長の厳明夫さんたちはこれまで長い道のりを戦ってきた。
強制撤去の恐怖は越えたが、新しい町に作り変えるのはまだこれからという、更なる地道な積み上げが要求さている。