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今月11月は、感謝祭があるだけでなく、近づくクリスマスシーズンへの幕が開く時期でもある。クリスマス精神とは、もらうよりもあげることに意義がある。そんな時期が始まるに先駆けて、11月2日私の働く大学では、Day of Givingと称して、学校への寄付を募った。24時間だけだったが、終了時点では、43万ドル以上が寄付されていた。大学院オフィスでも、勿論これに参加し、ディーンはスタッフ全員に昼食を提供し、各自SNSでDay of Givingのプロモーションをし、スタッフも教授陣と共に個人的に寄付に参加した。
私の大学には、必死に働いて学費を捻出する学生が多い。住むところさえ定かではなく、また食べる物も乏しい、と言う学生が存在する、と最近わかり、それでも教育を受けたいのである。二年前にキャンパスには、そうした学生を援助・支援するためのStudent Cupboard(フードバンク)が設立された。この施設は場所を大学が提供し、ヴォランティアと寄付金・寄付食糧で運営が成り立っている。
キャンパス新聞から。
私のオフィスでは、オフィスのクリスマスパーティに費やす金額全額と個人個人の寄付で、食糧を購入し、Cupboardに寄付した。何日も食うや食わずで授業を受けていた学生達がいるのを知って誰も放っておくわけにはいかない。こうした学生が無事に卒業して、社会で成功し、次の世代を助けていくとしたら、と考えると、頬がゆるむ。寄付される食糧を受け取りにきた、ヴォランティアの学生達は、私達にお礼にキャロリングをしてくれ、皆の心を温かくしてくれた。
このたびの寄付をお願いした対象は、卒業生から教授、スタッフ、地域の方々、つまりすべての人々である。インターネットを駆使、あるいはキャンパスにテントを設けて様々な学部やオフィスが、寄付の受付をした。在学生も負けまいと、勧誘や寄付したり、その笑顔の明るさ! あらゆる州にサポーターがいらして、インターネットで寄付が集まった。
以前も書いたことだが、実にこの国は、多くの国民や企業が、分かち合いに寛大で、あらゆる原因で、あらゆる助けが必要な人々や、団体に、その懐から寄付をする。お金持ちであろうがなかろうが、自分にできることをする。全米に多数ある癌研究施設や小児病院やその他の医療施設などは、そうした寛大さのおかげで成り立っている。国費援助だけに頼らず、個人がその運営の一部となってできることをしている。
合衆国は、大きな政府を嫌い、できることは国民の力でやっていく、という気質が建国時からある。かなり以前から、それは、リパブリカン(共和党)だけのスローガンだが、20世紀の半ばちょっと前までは、民主党(デモクラット)にもそうした気概はあったのだ。今ほど両党間の溝が深いことはないだろう。
しかし、こうした寄付が必要な場合には、実際には、両政党支持者のどちらもが、喜んで快く寄付をする。寄付をすることによって、受ける恵みも、人が想像する以上に計り知れないからだ。例えば、もしあなたが小児病院に$20寄付したとすると、その$20は、他の寄付金と共に大河のようになり、その大河は、何人もの難病や癌やその他の小児患者の治療生活をよりよくし、また、治療法研究にも恩恵が行き、治癒も可能になるかもしれないのだ。そしてその子供達が大人になって、病気治療を研究したり、人々の生活を快適にする発明をするかもしれない。何よりも明るい輝く笑みが病気の子供達の顔に浮かぶのである。
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この日の全寄付総額を見た時、ただただ胸が打たれた。心を一つにして、問題を解決する手段のお手伝いをできたことは、本当に楽しかった。ちなみに、私も少額ながら、理数学部へ寄付をし、この一雫がやがて大河になり、海になると願いつつ。ここから、医学部へ進み、優秀な医師となる学生が巣立つのだ。未来への投資である。