物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

20190802 神奈川 1 清水の冠者義高墓 六代墓

2019-08-05 | 行った所

8月2日朝出発。米原乗換 新横浜 横浜経由大船着
大船は乗換駅だからか大きい。駅前で昼食。ラーメン、量目のおかしな店で、ミニが普通の店の普通、小が大盛だという。ミニを頼んだが、大量のもやし、太麺、馬鹿に厚い焼き豚。。。
東南東へ20分近く歩く。住宅街の道だが、たぶん昔は切通しだ。道から階段を上がると児童公園だった。違ったか、と思ったがその裏にあったのが木曽義高の墓だ。平家物語には清水の冠者の名で登場する。平家物語には哀れというも愚かなり、という登場人物は多いが、彼は最も哀れな人物の一人だ。最も平家物語には彼の死は出てこないのだけれど。
木曽義高は義仲の長男だ。義仲や頼朝の問題児の叔父、行家が頼朝とケンカ別れをし、義仲の下へやってくる。頼朝と義仲が対立する。とはいえ頼朝としては源氏の棟梁候補は一人でいいと思っていたはずだから、行家のことがなくてもいつかは難癖をつけてきただろうが。平家追い落としの前に源氏同士討ちを避けたい義仲は義高を頼朝の処へ差し向ける。人質だったのだろうが、何故か頼朝は義高を長女大姫の婚約者として扱う。とはいえ義高11,12歳、大姫6,7歳、といったところだが、お互い惹かれあうものがあったのだろう。義仲が頼朝が命じた義経軍に殺されると、義高の運命は定まる。自身が清盛に命救われた頼朝としては、殺した義仲の息子を生かしてはいけなかったのだろう。大姫は必死と義高を逃がす。義高に女房装束を纏わせ、馬のひづめの音を殺す工夫をし、義高は一旦は鎌倉を脱出する。幼いながら、これは見事に頼朝と北条政子の子だ。とはいえ、実際には政子の意向だろう。しかし大騒ぎの末、大軍に追いかけられ、義高は殺される。大姫は悲嘆に沈み、病臥し、嫁ぐことなく20歳前後で死ぬ。
義高が殺されたのは入間川の辺というからこことは違うのだろう、首塚らしい。常高寺という寺のはずだが、児童公園と背中合わせに、墓から下る細い道があるようで、その下が寺のようだ。墓からは見えなかった。墓の後ろには卒塔婆がなんぼんか立っており、ここ数年毎年1本づつ立てられているようだ。他に碑もあったが、全体に寂しい墓だった。


「木曽清水冠者義高の墓」と見える



バス停を探すもよくわからず、結局大船駅まで歩いて戻る。
鎌倉まで電車に乗り、鎌倉から江ノ電で腰越へ。腰越の満福寺という寺へ行く。腰越状のが書かれた寺だというのだが、寺自体は面白くもなかった。義経と弁慶の石像があったが、いただけないものだった。大柄な猫が一匹いたが、近づいたら逃げられた。庫裡へ入っていったので寺の飼い猫だろう。


海岸線に向かい、小動(こゆるぎ)神社、腰越八王子山遠見番所、江ノ島がよく見える。金曜日だがヨットがいっぱいだ。江ノ電もかなり混んでいて、外国人だらけだった。

 


右手が小動神社、遠見番所になり、その向こうが江ノ島になる



あまりの暑さに、七里ガ浜、稲村ケ崎等はパス、鎌倉に戻る。
小町通りを鶴が丘八幡へ向かう。お祭りか?という人出だ。
鶴が丘八幡の広い境内は風がよく通り、腰越よりは暑さが和らいだ気がするが、このまま外を歩き回っていたらノビてしまう、「国宝館」という展示館があったので入ってみる。重文級なのか悪くない仏像はいくつかあったものの、どう見ても国宝はなく、写真も不可、看板に騙された気がする、これで400円は高い。が取敢えず、冷房の効いたところでしばらく座って休めたのでよしとする。喫茶店へ入っても、これだけ観光客だらけの街では落ち着かないに決まっている。




狛犬が少々面白い顔をしていた



鎌倉駅へ戻り、逗子へ。
六代御前の墓までタクシー。
六代は清盛の長男重盛の子の維盛の長男、つまり清盛の曾孫、清盛の祖父正盛から数えて6代目の伊勢平家の嫡流。平家物語は第11巻の六代被斬で一旦終わる。六代が殺されるのは壇ノ浦の平家滅亡の直後ではない。維盛は都落ちの時点で妻子を都に残す。六代達は源氏に見つかり、殺されるところを文覚に救われ、僧侶となる。六代が殺されるのは頼朝も死に、文覚が佐渡に流された後で、平家滅亡後10数年を行きながらへていたことになる。この墓は立派なものだ。滅びたりとも平家嫡子のものだ。義仲の子とは格が違ったか。



歌舞伎、義経千本桜の「木の実 小金吾討ち死に すし屋」は維盛と妻子の話を題材にしたものだ。平家物語と伽蘿先代萩だか寺小屋だかを取り混ぜ、より一層後味を悪くした話で、私は好きではない。

逗子から横須賀中央駅へ。
夕食、軽めに蕎麦と思い、天ぷらそばを頼んだら、これも多い。この辺りの食品の両目はアメリカンサイズかいな。

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