物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

20190804 神奈川 3

2019-08-06 | 行った所

津久井浜から久里浜へ電車移動。電車の行き先が品川だったり、大宮だったり、首都圏だな、と思う。
久里浜からバスでペリー記念碑へ。碑の文字は伊藤博文。記念館は9:00からで、無料。
いきなり鯖江の西山公園のつつじの写真が出てきて戸惑う。
間部詮勝の関係らしい。幕末の辣腕幕閣の一人とはいえペリーと関わり合いはないはず、と思ったが、どうもその通り。しかしペリーその人に次いでスポットを当てているのが怪訝だった。「泰平の眠りを覚ますじょうきせん・・」の狂歌の作者が詮勝だというのだが、本当かな?古い久里浜町史にそうあるというのだが、他に典拠はあるのだろうか?
それはともかく、結構面白かったのだった。開国は日本にとって実にドラマチックな事だったのだが、ペリーその人にとってもドラマはある。


バスで浦賀へ移動。浦賀奉行所跡を探すも、看板が一つあるだけのだだっ広い空き地。少し石垣らしいものが見えるが・・・

途中、為朝神社があった。お祭りには虎踊があるという。いくら為朝が暴れん坊でも虎との遭遇はなかろうと、これも怪訝だったのだが、ずっと新しく、近松の国姓爺合戦からとった踊だとあった。

電車で横須賀へ移動。時間があまり、三笠公園に行ってみる。記念艦三笠。日露戦争時の日本海海戦で活躍したものだそうだ。軍艦に乗ったのは初めてだが、結構な迫力。しかし基本あまり興味はない。甲板は暑いが、少し陰に入ると風が気持ちいい。猿島が見える。フェリー乗り場はいっぱいだった。

 

20190803 神奈川 2 衣笠城 油壷

2019-08-06 | 行った所

8/3土、朝食後横須賀中央駅でマグロ切符を買いバスにのる。衣笠城址で降りたのだか、この区間は、フリー切符にならないという。なんじゃい、それは!
バス停から衣笠城址の登り口までは距離はないはずなのにさっぱりわからない。行ったり来たり登ったり降りたりした挙句、ようやく探し当て、登る。


頼朝を支えた三浦氏の居城だ。石橋山の戦いに三浦一族は遅れた。事情はよく分からないが豪雨があったようだ。石橋山で源氏が負けた後、平家方の軍勢が押し寄せる。三浦は衣笠城に拠って戦うが、苦戦である。当主大介三浦義明は子や孫を脱出させ、一人奮戦後討ち死に。89歳だったそうだ。もっとも置き去りにされたという説もあるそうな。脱出した一門は安房へ向かい、頼朝と合流する。
義明の子の義澄は後白河法皇からの使者の接待役をしているし、孫の和田義盛は初代侍所別当となるなど、頼朝は三浦家を優遇したようだ。しかし北条家が執権として権力を握る中、和田義盛は挑発されて戦い滅ぶ。三浦一党は鎌倉・室町を通じて命脈を保つが、滅亡したのは北条早雲との戦いによる。

衣笠城址を降って三崎口行きのバスを待つ。その後は切符のトラブルはなかったものの、思い出切符とやらを使いきれなかった。
三崎口から城が島へ。海岸線の岩の景勝はともかく、ここはあまり面白くもなかったが、白秋記念館の人が、ここから冬の晴れた日には富士山がよく見える、と言ってた。北斎の波間から見える富士の神奈川沖波裏はどこから見た富士だったのか。


こういうところを見ると、もう少し地学をまともに学べばよかった、と思う。


バス移動で三崎港、昼食。マグロ切符で食べでがあった。
油壺までバス移動。水族館前から少し歩く。遊歩道を行くと、東大の研究所がある。木漏れ日の気持ちのいい道だ。意外に風がある。木の陰から覗く油壺の湾に、ヨットがたくさん浮かんでいる。ここは三浦一族の終焉の地、彼等の血で湾内は油を流したようになったとか。


三崎口へ戻り、電車で津久井浜へ。
海水浴場になっている海岸線だ。ウインドサーフィンが多い。水平線に見えるのは房総半島だ。