出石町は豊岡市の一部で市の南東部に当たり、出石川がながれる。出石川は円山川に合流して日本海にそそぐのだが、出石川も含め円山川流域は縄文時代には海が入り込んでいたような地形であった。
いずし古代学習館展示
縄文海進期だから不思議はないが、海進期が終わった後も低湿地で水のたまりやすい土地であったのだろう。この水を海に流し、開拓したのがアメノヒボコだという伝承がある。天日槍又は天之日矛と書かれ、神話の世界と言ってしまえばそれまでだが、あまりよくわからないお話で、日本書紀と古事記の間で食い違いもあるが、記紀どちらもアメノヒボコを新羅の王子とする。
ともあれアメノヒボコは但馬に来たことになっていて、出石神社に祀られている。
出石にある袴狭(はかざ)遺跡は弥生時代から平安時代にかけての複合遺跡らしいが、弥生から古墳時代を中心とする。低湿地の痕跡を残す地形からか大量の木製品が見つかっている。中でも注目を浴びたものは船団の書かれた線刻のある板だ。用途不明の板ではあるが、15隻もの船を描いた類例のないものだった。丸木舟に側板などを取り付けた準構造船であるらしい。
アメノヒボコ伝説に絡めて考える人もいる。時代は下るが7世紀の表米王(朝倉氏も含む日下部氏の祖とされる人物)が新羅の船団を追い返したといわれる話なども、ちらりちらりと考えるのである。
袴狭遺跡には「いずし古代学習館」という資料館が建っている。楽器?というような出土品も興味深いが、律令時代の遺物も豊岡市歴史博物館ー但馬国府・国分寺館ーよりむしろ充実しており、豊岡市日高町が国府となる前は、出石が国府だったという話もあるようだ。
算木、これは初めて見た。