中山道は京都から東に向かい草津で東海道と分かれ、守山・武佐・愛知川・高宮・鳥居本と近江を東北に進む。鳥居本を過ぎて、北陸道と分かれ摺針峠を越え、番場・醒ヶ井と関ケ原に向かっていく。
鳥居本の西には琵琶湖があるのだが、その間に独立丘陵状の山がある。佐和山だ。その向こうに琵琶湖に向かって彦根の街が広がっている。
*彦根周辺地図
彦根城は佐和山の城を移した城だ。佐和山城は街道に面した城か、琵琶湖に面した城かが問題とされるが、そんな基本的な城のありようが不明になるほどに破壊された城だ。
*佐和山 彦根城下町側から
この写真の看板辺りまでは車道があるが、城址まではここからは登れない。龍譚寺の境内から徒歩で上がる道がある。
*佐和山城看板付近から彦根城が見える。
龍譚寺の前には広い駐車場や案内板がある。
*佐和山城案内
*佐和山城図
*石田三成説明版
*光成年表
*龍譚寺
*龍譚寺説明
*光成像
*でかい蜂の巣発見
*彦根城
彦根城は国宝でありなかなかの観光地だ。
特筆すべきは城下を巡る堀のほとんどが埋め立てられずに残っており、広い城域があることだ。現代の都市の真ん中に1キロ四方はあろうかという城域があることは、都市機能を規制してしまうともいえる。現にちょっと裏通りに入ると車で通行不能に見える路地が入り組んでいる。城下町の地割を残したところに今の彦根の街がある。
彦根藩は譜代筆頭の家格を誇り、赤備えの陣立、井伊直弼など歴史に名を遺した人物も出た。禄高30万石を数えるとはいえ、その程度の藩はいくらもあった。もっと立派な城下町を数え上げることはできるが、それらの城下の多くは堀を埋め立てていった。なくなった天守閣を模擬的に復元したところは多いが、城下を復元した都市はない。
意図的だったのかは知らないが、明治の廃城でも破壊されなかった彦根城は埋められなかった多くの堀と共に観光都市彦根の中核として残った。
*堀絵図
*屋形船
屋形船に乗ってみた
*蔵出し
*堀の終わり、堰になっている
*玄宮園
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*夕暮れの彦根城
彦根港から多景(たけ)島へのクルーズ船がある
小さな岩島だ。
*多景島
上空をハヤブサが威嚇の声を上げながら猛スピードで飛び回っていた。島に巣があり、雛もいるのだろう。