EF24-105mmF4L
ユネスコ世界遺産の昌徳宮に行った。李氏朝鮮の宮殿である。秀吉の朝鮮出兵による軍が漢城(ソウル)に迫ると、朝鮮国王は逃亡した。秀吉軍が入城する前に、漢城では治安が悪化し、朝鮮による民衆によって略奪・放火が行われ、ここ昌徳宮も焼け落ちた。小西行長によって放火されたという説は、まったくの誤りである。
再建されたのは19世紀の半ばであった。
景観は、我が国の全国あまたある「国分寺」もしくは「国分尼寺」に良く似ている。建物の装飾や色は、日光東照宮の社殿に似て、緑色が多く使われている。
写真は仁政殿である。写真の右側に石の柱が何本か立っていて、そこには「正一品」~「正九品」の文字が彫られている。魏晋南北朝時代の中国で、九品官人法のというものが制定された。それは要するに官僚を9段階の位に分けた身分制度である。仁政殿の石柱に彫られたものは、その九品官人法に則ったもので、位が高い官僚ほど、仁政殿に近い位置に並ぶことが許されていたのである。
ユネスコ世界遺産の昌徳宮に行った。李氏朝鮮の宮殿である。秀吉の朝鮮出兵による軍が漢城(ソウル)に迫ると、朝鮮国王は逃亡した。秀吉軍が入城する前に、漢城では治安が悪化し、朝鮮による民衆によって略奪・放火が行われ、ここ昌徳宮も焼け落ちた。小西行長によって放火されたという説は、まったくの誤りである。
再建されたのは19世紀の半ばであった。
景観は、我が国の全国あまたある「国分寺」もしくは「国分尼寺」に良く似ている。建物の装飾や色は、日光東照宮の社殿に似て、緑色が多く使われている。
写真は仁政殿である。写真の右側に石の柱が何本か立っていて、そこには「正一品」~「正九品」の文字が彫られている。魏晋南北朝時代の中国で、九品官人法のというものが制定された。それは要するに官僚を9段階の位に分けた身分制度である。仁政殿の石柱に彫られたものは、その九品官人法に則ったもので、位が高い官僚ほど、仁政殿に近い位置に並ぶことが許されていたのである。