海津城の城代は甲陽軍鑑を記した高坂昌信。後に森長可の手に渡り、松平忠輝が入城し、よくわかんない城主を経て、真田信之(幸村の兄であり昌幸の子)が城主となる。武田→織田→豊臣→徳川→真田となり、明治維新まで続く。
この地は千曲川と犀川に挟まれており、西は北アルプスから犀川に注ぐ水。
東は群馬県との県境の山脈である浅間山や白根山などの山やら千曲川に注ぐ水で、古くから洪水が起こる地であった。
さて、この地ではいまからおよそ280年前の1742年に大洪水が起こる。
「戌の満水」という呼び名のこの事件は、海津城はもちろんのこと、佐久地方では10メートルの増水があったという。2019年の台風19号で壊滅的な打撃を受けた千曲川流域であるが、この戌の満水の時は、さらんび大規模な災害であったという。
このリンク先の動画をみると、当時の台風の経路と、2019年の台風の経路と台風のスピードが酷似している。
松代城は、その後城下町も形成され政治の中心地となるが、商人たちは善光寺門前から動こうとしなかったため経済の中心地にはなりえなかったようである。