突発的アメコミ映画講座(に名を借りた現状アメコミ史概説)、2日目です。
その1ではアメコミの発生から複雑化しつつ80年代に突入、というところまででしたが
今日は「スーパーマンとバットマンの一端リセット」と「ブリティッシュ・インベイション」から。
アメコミは人気がなければ打ち切りですが、人気がある限りはいつまでも続きます。
特に第2次大戦前から続いてきた「スーパーマン」と「バットマン」は
戦前分からは別宇宙の話、として60年代あたりで分離はしていたものの
それでもパラレルワールドや設定が大きくなりすぎ、
世界観をほとんどの同出版社作品で共有するアメコミにおいては
窮屈なことになってきておりました。
そこで全ヒーロー・悪党参加で世界リセットを行う一方、
それぞれの作品の最終回を一度描くことになったのです。
まず、スーパーマンの最終回を書いたのは
イギリスで活躍していたライター(原作者)であるアラン・ムーア。
先に怪奇テイストのコミック「スワンプシング」の仕切りなおしで人気を博していた彼は
「何がスーパーマンに起こったか?」という感動的な最終回を描き、
それ以外にもバットマンの宿敵・ジョーカーの過去に迫る名作
「バットマン:キリング・ジョーク」や、
映画化もされた「ウォッチメン」「V・フォー・ヴェンデッタ」「フロム・ヘル」などの
数々のアメコミ史に残る傑作を生み出していくのです。
(このあたりの作品についても、映画紹介の際に改めて)
そしてバットマンの最終回は、老バットマンの最後の戦いを描く
「ダークナイト・リターンズ」。
最終的には冷戦の悪化から独裁政権となったアメリカへの反逆まで発展するこの物語は
ハードボイルドな作風で人気のフランク・ミラーによって描かれました。
マーベルでの「デアデビル」で人気となった彼は、
この後のバットマンの仕切りなおし作「イヤーワン」も担当し、
その後は映画化もされた「シン・シティ」「300」などを描くとともに
映画脚本・監督なども行うようになるわけです。
この「ダークナイト・リターンズ」により、
「大人もコミックブックを読んでいいんだ」となるものの
「コミック=子供が読むもの」という固定観念が払いきれず
「これは絵付の小説なんだ」という言い訳として
「グラフィック・ノベル」という呼称が誕生することになります。
また、この作品を映画化したい!というのが
あのティム・バートン版「バットマン」のスタートでもありました。
そして、グラフィックノベル路線はDCの大人向けレーベル「ヴァーティゴ」や
インディー的な作家性の高い作品と、映画タイアップの両輪をもつ
ダークホースコミックス(「シン・シティ」「ヘルボーイ」等)という
新しい流れを生み出すことになっていきます。
80年代後半から、日本漫画的なディフォルメや描線の作家が増え
ジム・リーやトッド・マクファーレンといった彼らの絵の人気から再度コミック人気は過熱、
第3のアメコミ黄金期が訪れることになります。
このときの人気の中心となっていたのは、メンバーを増やし続けて
チームを分割していくことでフランチャイズを増やしていた「X-MEN」であり、
コミックショップという専門店の販路が中心となったことで50年代の規制も有名無実化、
TVゲームや玩具、トレーディングカードなどの周辺商品も人気と
商売としてのアメコミというのが拡大していっていた時期でした。
しかし、マニア向けに同じ号の表紙違いを何種類も出したりといった
商売がいつまでも続くこともなく
さらに自分たちの権利(キャラクターなどの権利はほぼすべて出版社のもの)を求めた
人気作家たちが自分たちの出版社であるイメージコミックスを設立、といったニュース
(特にマクファーレンは玩具業界でもアメリカ玩具界の方向を変えましたね)、
さらに大人向けを意識して陰惨に、複雑になっていくストーリーで
一見さんが寄り付かなくなる、というさまざまな要因が重なり
膨らみきったアメコミバブルは一端崩壊することになりました。
(その一番の例が、拡大しつつけたマーベルの「倒産」でした)
90年代後半からはこういった路線への反省を行い、
王道のストーリーの面白さへとシフトした作品が中心となります。
しかし、その中で起こったのが911テロでした。
コミック会社や作者たちも被害者へのチャリティなどに動くことになりますが
一部を除いては過激なアンチテロ路線に走ることもなく、
全体としては戦火拡大へは反対姿勢をとっていくようになりました。
現在のアメコミは、長年続けてきたひずみを時折ウルトラCでリセットしながらも
(バットマン、キャプテンアメリカは一度「死亡」し代替わり、
スパイダーマンは結婚生活などが「最初からなかったこと」になりました)
特にマーベルの映画戦略の成功などで安定した状態にはあります。
次回は日本でのアメコミの歴史について触れ、
それから映画話にいければ、と思います。
その1ではアメコミの発生から複雑化しつつ80年代に突入、というところまででしたが
今日は「スーパーマンとバットマンの一端リセット」と「ブリティッシュ・インベイション」から。
アメコミは人気がなければ打ち切りですが、人気がある限りはいつまでも続きます。
特に第2次大戦前から続いてきた「スーパーマン」と「バットマン」は
戦前分からは別宇宙の話、として60年代あたりで分離はしていたものの
それでもパラレルワールドや設定が大きくなりすぎ、
世界観をほとんどの同出版社作品で共有するアメコミにおいては
窮屈なことになってきておりました。
そこで全ヒーロー・悪党参加で世界リセットを行う一方、
それぞれの作品の最終回を一度描くことになったのです。
まず、スーパーマンの最終回を書いたのは
イギリスで活躍していたライター(原作者)であるアラン・ムーア。
先に怪奇テイストのコミック「スワンプシング」の仕切りなおしで人気を博していた彼は
「何がスーパーマンに起こったか?」という感動的な最終回を描き、
それ以外にもバットマンの宿敵・ジョーカーの過去に迫る名作
「バットマン:キリング・ジョーク」や、
映画化もされた「ウォッチメン」「V・フォー・ヴェンデッタ」「フロム・ヘル」などの
数々のアメコミ史に残る傑作を生み出していくのです。
(このあたりの作品についても、映画紹介の際に改めて)
そしてバットマンの最終回は、老バットマンの最後の戦いを描く
「ダークナイト・リターンズ」。
最終的には冷戦の悪化から独裁政権となったアメリカへの反逆まで発展するこの物語は
ハードボイルドな作風で人気のフランク・ミラーによって描かれました。
マーベルでの「デアデビル」で人気となった彼は、
この後のバットマンの仕切りなおし作「イヤーワン」も担当し、
その後は映画化もされた「シン・シティ」「300」などを描くとともに
映画脚本・監督なども行うようになるわけです。
この「ダークナイト・リターンズ」により、
「大人もコミックブックを読んでいいんだ」となるものの
「コミック=子供が読むもの」という固定観念が払いきれず
「これは絵付の小説なんだ」という言い訳として
「グラフィック・ノベル」という呼称が誕生することになります。
また、この作品を映画化したい!というのが
あのティム・バートン版「バットマン」のスタートでもありました。
そして、グラフィックノベル路線はDCの大人向けレーベル「ヴァーティゴ」や
インディー的な作家性の高い作品と、映画タイアップの両輪をもつ
ダークホースコミックス(「シン・シティ」「ヘルボーイ」等)という
新しい流れを生み出すことになっていきます。
80年代後半から、日本漫画的なディフォルメや描線の作家が増え
ジム・リーやトッド・マクファーレンといった彼らの絵の人気から再度コミック人気は過熱、
第3のアメコミ黄金期が訪れることになります。
このときの人気の中心となっていたのは、メンバーを増やし続けて
チームを分割していくことでフランチャイズを増やしていた「X-MEN」であり、
コミックショップという専門店の販路が中心となったことで50年代の規制も有名無実化、
TVゲームや玩具、トレーディングカードなどの周辺商品も人気と
商売としてのアメコミというのが拡大していっていた時期でした。
しかし、マニア向けに同じ号の表紙違いを何種類も出したりといった
商売がいつまでも続くこともなく
さらに自分たちの権利(キャラクターなどの権利はほぼすべて出版社のもの)を求めた
人気作家たちが自分たちの出版社であるイメージコミックスを設立、といったニュース
(特にマクファーレンは玩具業界でもアメリカ玩具界の方向を変えましたね)、
さらに大人向けを意識して陰惨に、複雑になっていくストーリーで
一見さんが寄り付かなくなる、というさまざまな要因が重なり
膨らみきったアメコミバブルは一端崩壊することになりました。
(その一番の例が、拡大しつつけたマーベルの「倒産」でした)
90年代後半からはこういった路線への反省を行い、
王道のストーリーの面白さへとシフトした作品が中心となります。
しかし、その中で起こったのが911テロでした。
コミック会社や作者たちも被害者へのチャリティなどに動くことになりますが
一部を除いては過激なアンチテロ路線に走ることもなく、
全体としては戦火拡大へは反対姿勢をとっていくようになりました。
現在のアメコミは、長年続けてきたひずみを時折ウルトラCでリセットしながらも
(バットマン、キャプテンアメリカは一度「死亡」し代替わり、
スパイダーマンは結婚生活などが「最初からなかったこと」になりました)
特にマーベルの映画戦略の成功などで安定した状態にはあります。
次回は日本でのアメコミの歴史について触れ、
それから映画話にいければ、と思います。