りんどうです。
今は”飲みニケーション”の季節ですね。
忘年会・新年会は失礼させていただきますと言いながら、かなり多くの会に参加しています。
さてりんどうは個人活動としても「モチベーションUp」をテーマに教育相談や講演をしていますが、せっかくモチベーションがあっても下げてしまう魔の言葉に出っくわしまして、お伝えしたく思います。
・・・正直驚きました。発したのが教育のプロフェッショナルの方だったからです。
子供に「そろそろ勉強しようかな」と思い出した頃に、母親から「勉強しなさい!」と言われると「今やろうと思ったのに」ということでモチベーションが下がるような話もまま聞きます。
・・・これから言うのはそんなもんではありません。
皆さま、誰かの保護者をしていればPTAに参加して何がしかのお手伝いをすることもあるでしょう。また地域のボランティアに参加することもあるでしょう。街の美化清掃に参加するというのもありますよね。
またもっと身近に誰でもあることであれば、電車で座っていたらお年寄りが来たので席を譲るということもあるでしょう。・・・つまりお仕事というわけではなく、誰かのため、社会やコミュニティのためにボランティアすることも思い返せば誰でもあるだろうと思います。他人を思いやるということが実践されていて、とても健全なあり方だと思っています。
・・・飲みニケーションしているときも同じように、自分がお客で招かれていったときに、管理職になっていないような年齢の方であれば、いつの間にかホスト側に回ったようにお手伝いしていることも場合によってあるでしょう。
そういう時、本来それをやる当事者になりうる人が「あの人はそれをやって当然」ということを公言すると、行為をしている側の人は、基本的に誰でも一気にやる気を下げてしまうのです。
PTA活動でもしかり「あの人がやって当然」と手伝いもしない他のPTAが言ったら「どうして私ばっかりボラの仕事が回ってくるの?」ということに、大抵の方の考えが変化してしまいます。
お年寄りが後から乗ってくるやいなや、それを見て電車で席を譲ろうと思っている時に「アンタ若いんだからそこをどきなさいよ!!」と言われたら、気持ちよく譲れるのか、というと、気持ちの上でどうでしょうか?
あとは飲みミケーションをしていて、客で招かれたところで、何故だか宴会の手伝いをしていたとして、自分は動かないホスト側の人から「アンタ若いんだから、注文聞いたり手伝ったりして当然」と言われたらどう思いますか?・・・など等。
寄付もしかり。「あの人は金があるんだから、寄付をして当然」と言われたら、寄付をする方もいい気はしない、等。
日本ではボランティア、寄付というあり方が、考え方自体舶来モノだったり、コミュニケーションの中で、どうもスマートでない気がします。
誰々がこの無償の行為をして当然、ということを当事者間であればなおさら言わない、ということは、電車で席を譲るような小さい話でも、大きい話でも大切だと思います。
あとは学校でも企業や財団でもそうですが、ボランティアや寄付といったある程度制度化したほうが良いものについては、関係者が等しくうまくかかわれるような仕組みづくりが必要だと思っています。
そういった仕組みについて考える機会がありましたので、何らかの形で発表していきたく思います。
今は”飲みニケーション”の季節ですね。
忘年会・新年会は失礼させていただきますと言いながら、かなり多くの会に参加しています。
さてりんどうは個人活動としても「モチベーションUp」をテーマに教育相談や講演をしていますが、せっかくモチベーションがあっても下げてしまう魔の言葉に出っくわしまして、お伝えしたく思います。
・・・正直驚きました。発したのが教育のプロフェッショナルの方だったからです。
子供に「そろそろ勉強しようかな」と思い出した頃に、母親から「勉強しなさい!」と言われると「今やろうと思ったのに」ということでモチベーションが下がるような話もまま聞きます。
・・・これから言うのはそんなもんではありません。
皆さま、誰かの保護者をしていればPTAに参加して何がしかのお手伝いをすることもあるでしょう。また地域のボランティアに参加することもあるでしょう。街の美化清掃に参加するというのもありますよね。
またもっと身近に誰でもあることであれば、電車で座っていたらお年寄りが来たので席を譲るということもあるでしょう。・・・つまりお仕事というわけではなく、誰かのため、社会やコミュニティのためにボランティアすることも思い返せば誰でもあるだろうと思います。他人を思いやるということが実践されていて、とても健全なあり方だと思っています。
・・・飲みニケーションしているときも同じように、自分がお客で招かれていったときに、管理職になっていないような年齢の方であれば、いつの間にかホスト側に回ったようにお手伝いしていることも場合によってあるでしょう。
そういう時、本来それをやる当事者になりうる人が「あの人はそれをやって当然」ということを公言すると、行為をしている側の人は、基本的に誰でも一気にやる気を下げてしまうのです。
PTA活動でもしかり「あの人がやって当然」と手伝いもしない他のPTAが言ったら「どうして私ばっかりボラの仕事が回ってくるの?」ということに、大抵の方の考えが変化してしまいます。
お年寄りが後から乗ってくるやいなや、それを見て電車で席を譲ろうと思っている時に「アンタ若いんだからそこをどきなさいよ!!」と言われたら、気持ちよく譲れるのか、というと、気持ちの上でどうでしょうか?
あとは飲みミケーションをしていて、客で招かれたところで、何故だか宴会の手伝いをしていたとして、自分は動かないホスト側の人から「アンタ若いんだから、注文聞いたり手伝ったりして当然」と言われたらどう思いますか?・・・など等。
寄付もしかり。「あの人は金があるんだから、寄付をして当然」と言われたら、寄付をする方もいい気はしない、等。
日本ではボランティア、寄付というあり方が、考え方自体舶来モノだったり、コミュニケーションの中で、どうもスマートでない気がします。
誰々がこの無償の行為をして当然、ということを当事者間であればなおさら言わない、ということは、電車で席を譲るような小さい話でも、大きい話でも大切だと思います。
あとは学校でも企業や財団でもそうですが、ボランティアや寄付といったある程度制度化したほうが良いものについては、関係者が等しくうまくかかわれるような仕組みづくりが必要だと思っています。
そういった仕組みについて考える機会がありましたので、何らかの形で発表していきたく思います。