武満徹について書く。
まともなことが言えそうな気がしないが、なんとかやってみる。
武満徹といえば、琵琶と尺八をオーケストラに用いた「ノーベンバー・ステップス」で有名な、日本を代表する現代音楽の作曲家だが、その作品に触れるきっかけになったのは、音楽ではなく文章だった。
高校二年の現代文の教科書にエッセイが載っていた。
自分の高校時代のことではない。
数年前、これを教材に授業をする機会があった。
そのエッセイで語られているのは、頭で考えて組み立てる「音楽」も、自然の中に存在する「音」と同じように奏でられないか、というものだった。
「すぐれた音楽とは、すべての音と対等に、ほんとうに同じ量で測りあえるぐらい強い」
前衛的で難解な音楽を作る人だろうという先入観があったが、そのストイックでシンプルな言葉でつづられた音楽観に興味を持った。
授業後、教室で「ノーベンバー・ステップス」をかけてみたら、生徒はポカンとしていたが。
それ以来、武満の音楽を聞いている。
いわゆるクラシックの音楽以外にも、映画音楽やポップスも作曲している。
厳しい精神性を感じさせる張りつめた曲が多いが、時にメロディアスで、聞きづらいわけではない。
アンビエント的なイージー・リスニングとして聞くともなく聞いていると、はっとする瞬間がある。
たぶん、彼の音楽世界のほんのわずかしか理解できていないと思うが、それでも(それゆえ)繰り返し聞いている。
知るきっかけになった文章も、絶版になっている随筆集を古本屋で見つけてはポツポツ読んでいるが、今年、選集として文庫になった。
『武満徹 対談選―仕事の夢 夢の仕事』『武満徹 エッセイ選―言葉の海へ』(ちくま学芸文庫)。
ハンディなサイズで読めるのはうれしい。
硬質で思索的な文章は、ちびちび時間をかけて読んだ方がいい気がする。強い酒のように―。
「私たちの生きている世界には沈黙と無限の音がある。私は自分の手でその音を刻んで苦しい一つの音を得たいと思う。そして、それは沈黙と測りあえるほどに強いものでなければならない」
武満の文章を教材として教えるとき、音楽の先生に少し話を聞いたが、先生は武満の作品を星座にたとえていた。
広大なその音楽を、これからも時折、見上げていくことになると思う。
まともなことが言えそうな気がしないが、なんとかやってみる。
武満徹といえば、琵琶と尺八をオーケストラに用いた「ノーベンバー・ステップス」で有名な、日本を代表する現代音楽の作曲家だが、その作品に触れるきっかけになったのは、音楽ではなく文章だった。
高校二年の現代文の教科書にエッセイが載っていた。
自分の高校時代のことではない。
数年前、これを教材に授業をする機会があった。
そのエッセイで語られているのは、頭で考えて組み立てる「音楽」も、自然の中に存在する「音」と同じように奏でられないか、というものだった。
「すぐれた音楽とは、すべての音と対等に、ほんとうに同じ量で測りあえるぐらい強い」
前衛的で難解な音楽を作る人だろうという先入観があったが、そのストイックでシンプルな言葉でつづられた音楽観に興味を持った。
授業後、教室で「ノーベンバー・ステップス」をかけてみたら、生徒はポカンとしていたが。
それ以来、武満の音楽を聞いている。
いわゆるクラシックの音楽以外にも、映画音楽やポップスも作曲している。
厳しい精神性を感じさせる張りつめた曲が多いが、時にメロディアスで、聞きづらいわけではない。
アンビエント的なイージー・リスニングとして聞くともなく聞いていると、はっとする瞬間がある。
たぶん、彼の音楽世界のほんのわずかしか理解できていないと思うが、それでも(それゆえ)繰り返し聞いている。
知るきっかけになった文章も、絶版になっている随筆集を古本屋で見つけてはポツポツ読んでいるが、今年、選集として文庫になった。
『武満徹 対談選―仕事の夢 夢の仕事』『武満徹 エッセイ選―言葉の海へ』(ちくま学芸文庫)。
ハンディなサイズで読めるのはうれしい。
硬質で思索的な文章は、ちびちび時間をかけて読んだ方がいい気がする。強い酒のように―。
「私たちの生きている世界には沈黙と無限の音がある。私は自分の手でその音を刻んで苦しい一つの音を得たいと思う。そして、それは沈黙と測りあえるほどに強いものでなければならない」
武満の文章を教材として教えるとき、音楽の先生に少し話を聞いたが、先生は武満の作品を星座にたとえていた。
広大なその音楽を、これからも時折、見上げていくことになると思う。