怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

本のにおいはカビのにおい

2010年09月02日 | 義母
「日本から届く小包はかび臭い」
と義母が言っている。

高温多湿な日本のことだ、まあ、それもあるだろうとは思っているが、
実家から届く小包のすべてが船便である。
50日ほどの船旅でも、そのかび臭さは抜けないと思うと笑ってしまう。
まあ、海の上を横断してくるのだから、さらにかび臭くなるだけか?!

さて、今まで本の香り、と信じていたものも実は日本独自のものだと知った最近。

これは夫からもらったクリスマスプレゼント。
バイエルン料理の本。南ドイツではどの家庭の夫人も持っている、ってそんな解説を書きたくなるような雰囲気の本だ。

夫の英文メッセージ入り。2002年だから、まだ日本在住時。わざわざドイツから取り寄せたものと思われる。
もちろん当時の私に読めるわけが無い、あはは。

さて、この本は2002年末から2009年まで実家にあったのだ。
およそ6年の日本生活(?)で、ほとんどの日本の書籍が経験する紙面の黄色化、シミのような点々ができてしまった。




実家からこちらに送ってしばらくすると、義母がこれを欲しがった。
いまでも私は読めないしね。っていうか、バイエルン料理を作る気もないし。
台所の本棚に提供した私。

「この本も、臭いね~」
彼女がこう言ったとき、今まで本の香りと信じていたものがただのかび臭さと知ったのだ。
「開いて日に当てたりして少しはましになったけど」などと言っている。

「いままで本のにおいと思っていたのは間違いだった」
と私も彼女に言ったぞ。

日本から物資はかび臭いことがある、これを頭の片隅に置いておくと、ドイツ人との無駄な争いを防げること間違いなし。




大豆を食べなくては。

2010年04月16日 | 義母
大豆は18世紀にヨーロッパに伝わったらしいが、ここ南ドイツでは日常的に食さないものらしい。
豆腐や豆乳などが普通のスーパーに出回ってはいるが、義母のように伝統的な食事を守る人々にとっては特殊な食材のようである。
わたし以外の家族が大豆製品を摂らないとなると、わたしは豆腐の一気食いとか、甘ったるい1リットル入り豆乳を2~3日で飲みきる努力をしなければならないので苦しい。
そういうわけで、下のような製品をテレビを見ながら食べている。


大豆をコーンフレークのように平たく加工したものである。すでに加熱処理してあるらしく、そのまま食べることができる。
500グラム入り2€(約250円)だ。
一日20~30グラムくらい口にすることを考えると、1リットル130円の甘みたっぷりの豆乳を摂取するより身体にも財布にもいいと思う。

先週、義母と食材を買いに行ったとき、彼女の目の前でこの製品を手に取ると、興味を持ったらしい。
「わたしも試してみる」
帰宅後、興味津々の様子で、大豆フレークを食べてみたが、
どうも、お口にあわない様子。やっぱりな~、あははぁ~

で、義母、どうしたかというと・・・
クッキーに加工して食べやすくした。

クッキーというものは、油脂と砂糖を混ぜ込むから、当然余計なカロリーと一緒に食べなければならない。


たぶん、そんなこと、彼女の脳内には発想にないのだろう。
毎日ふんだんに油を使って料理しているから。
「砂糖は少ししか使っていない」と自負している数々の彼女のデザート類、
日本の常識から言わせれば、かなり甘いし。

この大豆クッキー、不味くはないのだけどね。
豆煎餅風の風味。香ばしい。
でも、やっぱり、私は遠慮気味さ。
ちっとも減らない大豆クッキー。

「りす、あなたのために作ったのだから、もっと食べなさい」
え・・・
お義母さん、自分のためではなかったかい?
わたしはこんなにしなくても、大豆フレークのまま食べることができるのだよ~
やっぱり部屋にこもってひとりで食べるのさ、袋に手に突っ込んで食べるぞ、大豆フレーク。






義母作品集

2010年03月18日 | 義母
こちらの料理の付け合せに、パンやジャガイモで作った団子がある。
クヌーデルというのだが、最近は半製品やインスタントものがあるので家庭で最初から作ることはあまりない様子だ。
が、義母、たまにはやらなくては、と思ったのか、ジャガイモ団子をジャガイモから作った。

まず、ジャガイモをやわらかく茹で、潰す。

左は潰したジャガイモ、右、つなぎとして卵と小麦粉少々を加える。


手で練り、適当な大きさに分ける。


義母は真ん丸くすると、中央に熱が通らないと考え、平らな形に作った。
右、沸騰したお湯の中で茹でる。


この日のメイン料理は鶏肉を白いソースで合えたもの。
外食すると、団子は1個しかつかないことが多いが、ウチは一人最低3個食べると想定して作る。
右、あまった団子。なんだかね、べちゃついていて、あまり美しくない。
義母もそれが気に入らなかったらしく「もうやらない」と決心。
いや、まずくはなく、おいしかったのだけど。
手間がかかるのに、きれいにできないのが残念だったらしいぞ。


こちらは義母手作りのパン
わたしも一個試してみた。非常に胃に重い・・・いったい、何が混ざっている??
尋ねてみると粉の他にクヴァルクと呼ばれる乳製品、油脂を加えているらしい。
「おいしいでしょ?もう一個食べなさい」
私にとっては1個で充分、丁重に断ったぞ。ああ、ドイツ人、こんなにこってりしたパンを2,3個一挙に食べられるなんて、身体の構造、全然違う!

義母が作るスープ。
表面に浮いた油の量。これが日本人の胃に直撃するのだ。勧められるまま大量に食すると、胃痛に悩まされる。
最近はごく少量をゆっくり食べることで義母をごまかしている。
ごまかす、とは良くない言い方だが、自分の健康を守るための必死の対策なのだぞ。


これは別の日のスープ。豆スープだ。が、ちゃんとこってりしたソーセージ入り。
日本のソーセージのあっさりしたおいしさが懐かしい。
こちらのは塩分油分も日本の倍以上あるだろう。こんなものを毎日ガンガン食べていたら、生活習慣病まっしぐらぁ~
そういうわけで、私はソーセージ抜きでいただく。

ときどき義母は新しいレシピも挑戦するのだが・・・

こんなの、前にもやったことあるじゃあない・・・と思っていると、材料が違う、と彼女は主張する。
またもや、脂肪含有量40パーセントの乳製品をたっぷり入れているようだ。ふうぅ~
「なんだか、黒く仕上がっちゃうわね。もっと油を入れなくては」
といいながら、どんどんフライパンに食用油を注いでいく。
そういうわけで、ヨーグルトのてんぷら状態のホットケーキの出来上がり。
この写真の4つだけではない。皿に山盛り状態で食卓に上るのだ。
わたしは1個で降参。もう、べとべとの油の塊・・・
これにジャムを添えて食べるのだぞ。おやつではない、昼食のメイン料理だ。
はあぁ~


非常に寒かった今年の冬、義母はわたしに室内用のベストを編んでくれた。
羊毛100パーセント、まるで羊になった気分、暖かい~
ダブルのボタンがかっこいいけど、この色がね、色黒の私の顔といっしょになると、
ものすごくババ臭くなる。
ああ・・・ドイツの田舎のおばさんりすぅ~
義母も、義父もこの色のベストを着て冬を越したのさ!(夫には作ってやらないようだ)

以上、最近の義母の作品を紹介。







便座カバー

2009年11月06日 | 義母
日本で買ってきた粘着シートタイプの便座カバーを使ってみた。
これが、えらく具合がいい。
この2年間、少しでもドイツ流の生活に馴染もうと、便座カバーを使うことさえ遠慮していた私、
エラすぎたぞ!!
座ったときのヒヤッとした感覚は、欧州人でさえ抵抗があるのは、
「チャーリーとチョコレート工場」の原作者、ロアルド・ダールの自伝を読んで知っていたものだ。
確か、ダールがイギリスの寄宿舎学校生活をしていた頃の話。
上級生に、「便座を暖めて来い」と命令され、
彼のためにダールがズボンを下ろして冷たい便座を暖めなくてはならなかった、という部分がひどく印象に残っている。
それくらいヨーロッパ人も冷たい便座が嫌いなのに、なぜ今でも暖房便座やカバーが普及しないのか、不思議でならない。

カバーをつけて二日後。
覚悟していた事態発生。
「あの便座の上のものは何だ?」
こうクレームするのは当然ながら義母である~
彼女の反対の理由は「衛生的でない」だそうだ。
そうかい、あなたは毎日便座を消毒でもしているのかい?
そう反論したかったが、隣にいた夫がなにやら説得してくれた。
「洗えるから大丈夫、カバーは日本では常識だから・・・」
という内容。
常に「実家に戻ってやる」と脅迫しているせいだろうか、役に立つ夫だ!


便座が衛生的でない、という感覚は義母以外にも多くの人が感じているようである。
前回の記事で都庁展望室を訪れたことを書いたが、
あそこのトイレに妙な注意書きがしてあった。
「便座の上に土足で乗るな」というような外国語がイラスト共に書かれてある。
洋式便座に座るのに抵抗があるアジア各国からの観光客のためのようだ。
あの高さと幅の便座にまたがって用をたすのも危険なような気がするのだが、
見知らぬ人の糞尿を肌につける危険を冒すよりまし、と考えるのか?
まあ、合理的な考え方ではあると思う。
注意書きを写真撮影をしなかったのを非常に後悔している。

このカバーを付けたトイレは成り行きで私の管理で、私たち夫婦が使うのが基本になっている。
それでも、義母が選んだカーテンや敷物にあわせなくてはならないので、
ちゃあんとピンクのを選んできたのだぞ!
見事に調和してるではないか?
義母も、このかバーに慣れてもらえば、冷たい便座より快適なことをすぐに感じてもらえるだろう~
ドイツ家庭での便座カバー普及に貢献する気満々のりすであ~る。








見たぞ。

2009年07月31日 | 義母
先週末、義姉が子供たちを連れてやってきた。

午後の到着だったので、義母はケーキと孫たちの好物のトマトスープを作った。

その日の朝、義母はいつものように庭を巡り、水をやったり作物の状況を確かめていた。
「N子にはきゅうりとズッキーニを持って行かせようかしら?レタスもたくさんあるし。トマトはまだ青いからだめね」
都会で生活している娘に持たせるものの算段をしていた。

さて、彼女らが到着し、お茶の時間になった。

いつものようにでっかくて、こってりしたケーキがお出まし。
義母の「食え食え攻撃」この日も快調、
家族のそれぞれはいかにそれを体よく断るか苦心していた。

どうにもこうにも3分の1余ったので、義母は言った。
「N子、持って帰ったら?」
私も義姉が持っていってくれれば明日にケーキを食べなくていいので加勢した~
「そうよ、お義姉さん、私たちはいらないから、どうぞ持っていってください」
と私が言い終わらないうちに彼女の表情が一瞬曇ったのを私は見逃さなかった!

「あ、車だから、道中で悪くなってももったいないし・・・」
なにやらケーキを持っていけない理由を言い出す彼女。

おやおやぁ~
もしかして、義姉も義母の料理にちょいと食傷気味かい???

大学の頃からずっと実家を離れて生活している彼女(夫も私が嫁に来るまでそうだったのだが)
月に一度、帰省するかしないかわからないくらいすでに母親の料理に接する機会がないのに、
それでもケーキを持っていきたくないなんて・・・・
やっぱ、このケーキ、強烈なのかな、ドイツ人にも。

なんだか、味方が増えたようだぞ。

この日、義姉が持たされた食品は・・・
帰る車に積み込む物資を観察した私。
自家りんごでつくったジュース約一ダース(これは子供達に喜ばれるらしい)
と、かわいそうに、ケーキの余り・・・・

義母が朝に算段していた野菜類は持っていかなかったようだ。
買ったところで、そんなに値段がするものでもないし
(東京周辺の野菜類よりは安価である)
アパート生活はそんなに物を置くスペースもないし。

これは想像だが、子供の頃、多くのクラスメートが夏休みに家族旅行に出かけたのに、
両親の庭の手入れのせいでどこにも行かない夏休みを過ごしたここの息子娘、
いまだに畑や庭の草花に恨みを抱いているのかもしれない。

いずれにせよ、わたしにとっては少々気味の良いできごとであった。




髪を伸ばしている姪のP子ちゃん。
普段、私はあまり金髪がきれいと思わないのだが、
この日の彼女の髪はいつもと違って見えた~
背中にかかる部分があまりにも豪華に見えたので、写真を撮ろうと思ったけど、断念。
後ろからの撮影は、子供にも不気味に感じるかもしれないから~

彼女はおばあちゃんの作るトマトスープは大好きだそう。
いつまでも食べてやってね、わたしのかわりに~



















賞味期限は無期限

2009年06月25日 | 義母
ウチには賞味期限切れの食品がたくさんある。
エコ・・・おっと、ドイツ本場節制生活を極めている義父母のことだから、
あまり驚かないが、それでもブログ記事にするために写真を撮っていたら、
ぞろぞろ出てくる賞味期限切れ食品にぞっとするものだ。

手始めに、これはどうだろうか。先月まで賞味期限のチョコレート。
まあ、これくらいだったら、許せるだろう。
わたしも、気にすることなく食する。
(日本に住んでいたら、即行ゴミ箱だけど)
でもね、恐ろしいのはこの古さのチョコレートが4,5枚積んであること。


これは訳すと「えびせん」ってところかな、
油で揚げたスナック菓子だ。去年7月までの賞味期限。
こちらの日付は日本と正反対に読む。21/07/08は2008年7月21日、である。
油を使った食品は酸化しやすいので、なるべく新鮮なものを食べたいものだ。
義母はこれを「パパ(義父)が食べないのでりすが食べなさい」と私にくれたのだけど・・・
義母に隠れて、即行ゴミ箱~ あはぁ~


義父母が言うには、乾燥した食品は「10年でも20年でも保存できる」とのこと。
      

上は、ゼリーの素。粉末の製品だ。賞味期限は1996年1月。
同じような古さの品が何箱かあって、先日遊びに来た孫のためにそのうちの一つを使っていたぞ。
孫たちが具合悪くなった、という話は聞いていないので、10~20年保存可能なのだなあ~

下はクノールの粉末状のスープの素。
2005年4月まで。4年前か・・・上のゼリーよりましかな~


お次は緑茶。これは2000年に夫と私がハンブルクに旅行したとき、義母に土産に買ったものだ。
2001年5月まで・・・二度と彼女に緑茶を土産にしないことを誓う私。


これは食べたことがないのだが、クリーム状のデザートの素のようだ。
1998年4月まで。ああ~、捨てたい


義母はラザニアなどというハイカラなものは作り慣れていないようだ。
義父の筆跡で、賞味期限をはっきりさせるために書かれてある。
これって、過ぎてから書いたようだけど・・・


粉末コーヒークリーム。
ウチは普段はコーヒーに牛乳を入れているので、消費が遅いらしく、
2000年4月までに半分しか使わなかったようだ。
普通、捨てるだろうな~、日本だったら・・・


この製品は世界各国で愛用されているようだ。
とりわけ、ウチでは1本を長年かけて使うくらい愛用~
中身はこんなに茶色だったかなあ~、怖いぞ・・・ 2005年11月まで。



親戚がカナダに行ったときのお土産らしい。
「その人たちはいつカナダに行きましたか?」
回りくどい方法で、賞味期限が印刷されていないこの品を警戒する私。
「15年位前かなぁ~、りす、使っていいよ、私は食べないから」と義母。

1本ないのはわたしが使ったため。一人でパンケーキに添えて食べた。
具合は悪くなっていない。
ふむ、メープルシロップは長持ちするものだ。

ドイツのように乾燥して気温の低い地域は、年中国中冷蔵庫のようなものだから、
食品も長持ちするのだな。
食品のカビはほとんどみたことがない。
去年の夏、使用中だが常温保存していたチューブ入りのトマトピューレに生えていた。
チューブの先が緑に変色、「おお!カビだ!」って驚いたものだ。

そういえば、2週間ほど前に、パンにカビが生えていたな。
義母はビニールの袋から出すのを忘れたので、湿度でやられたらしい。
ちゃんと、乾燥させるとカビは生えない。
義母はパンを乾燥させて、さいの目に切り、卵や牛乳と混ぜて団子を作るのだ~
(Semmelknödel)

写真で紹介した食品はみな、本当に保存状態がよい。
気温が低いからか、保存料をたくさん使っているからか~?
ま、食べても具合が悪くならないようだから、良しとしよう~














野良着を買いに。

2009年05月09日 | 義母
「りす、服を見に行くけど、来る?」
義母が尋ねた。
毎週木曜の食料の買出し日以外、めったに外出しない我が家、
二つ返事で承諾した私。

義母は庭仕事用のズボン(日本はこのフランスから来た言葉でなく英語のパンツ、を使うらしいな、う~ん、いや、ここはドイツ、ドイツ語で行くか!)
庭仕事用のホーゼ(Hose)が欲しいらしい。

庭仕事って、ちょいとかっこよく言うと、ガーデニング。
これまた英語からか・・・日本は英語が大好きだな。
日本で読んだハイソな雑誌に「欧米のセレブのマダムは着古したブランド物のパンツをガーデニング用にする」とあった。

義母は欧米人というところだけで、セレブではないし、日本で知られているところのヨーロッパ高級ブランドの服など一つも持っていない。

しかも、うちの庭は「ガーデニング」という言葉がふさわしいかどうかわからない。
畑、りんごの木もあるので、「野良仕事」というのが合う雰囲気がする。

ということは、彼女、野良着が欲しいのだな、ということになる。
いくらブランド服がなくても、普段着の着古したのがあるだろ、と思うのだが、
彼女なりの野良着のこだわりあるらしい。

適度な生地の厚さと、取り扱いやすさ(洗濯機でガンガン洗える)、そして、
なんといっても、春から夏用の明るい色の野良着が欲しいらしい。
おしゃれな義母、野良着にもこだわりがあるのだ。
手持ちの古いホーゼで、野良着にしていいようなものがないらしい。
で、わざわざ野良着を買いに行くことにしたのだ~

車で20分ぐらいのところの衣類量販店。
数千円から数万円の品が並ぶこの店、ホーゼに関しては裏にある自社工場で生産しているので、安く手に入るのだそう。

この日、運がよかった~
売れ残りのホーゼがなんと、5ユーロ(650円くらい)からたくさん並んでいた。
義母は5ユーロホーゼを何着も試着した。
野良着ひとつ選ぶのにそんなに気を遣うものなのか?
いちいち私を呼び、これはどうだ?と尋ねるのだが、私の意見は聞かず、自分で「ここはぴったりしていない、この色は変だ」と納得していた。
訊くなよ

たくさんの5ユーロホーゼの中から、野良着にふさわしい一着を選んだ義母。
明るい茶色、涼しげな生地。
元の値段は30ユーロ。売れ残った処分品。

さて、私はサイズの問題があり、この店ではホーゼを買うことが不可能なはずだった。
が、元の値段65ユーロ(9000円くらい)が5ユーロになっているワンサイズ大きいホーゼを見つけ、試着してみたら・・・・
なんと!
少々腰周りが大きいだけで、あとは何とかなりそうだった~!!
ベルトをすれば、大丈夫!
お買い上げ~




脚の部分の幅がもうちょっと狭いと、いいのだけど。
股下の長さはほぼぴったり。おお、ドイツ人、わたしより足が太いか!




ま、これだけ値引きされている品、ま、いいか~
義母のホーゼは撮影するチャンスを逃した。
5ユーロの値段シールが貼られるまで、何枚か重なっている。
そっとはがしてみると、35、25、10ユーロとだんだん下げていったようだ~
サイズが小さいから、売れ残ったのだろうな~
もっと若者が来る店にあれば、売れていたかもしれない。

ちなみにこの「rosner」、少し前まで日本人が所有していた会社らしい。

これまでに何度も異常に安く買った衣類を紹介しているのだが、
少々恥ずかしい~
嫁に来る前から、ここには私のサイズがないことを知っていたので、
たくさん持ってきたのだけど、やっぱり、服を見て歩くのが楽しいのだ。
必要ではないのに、割引されていると、買ってしまうのである。
それで、うれしくて、ついついブログ記事にしてしまう。
日本より娯楽の少ないここ、こんなふうに楽しみを見つけて過ごしている私。

二人で合計10ユーロしかこの店に貢献していない。
あは~、倒産しないでね~
義母と私、嬉々として家に向かった。







いいなり。

2009年03月23日 | 義母
冬物衣類はとうとう残った品々を処分するような価格になってきた。
義母が以前からわたしに合うのでは、と狙っていたジャケット。
義母に誘われて一緒に見に行った。


試着してみたら、袖丈が少々長いだけで、あとはぴったり。
すぐに買った。
義母のお勧めだったので、義母が財布を開くかなぁ~、と一瞬期待した。
が・・・
私の買い物なので私が支払う・・・ふふぅ~
たったの10ユーロ(1300円)だもんね。
がたがた言わない言わない~

値札のシールをはがしてみると、もともとの値段は50ユーロ(1300×5=6500円)!



「この色だったら、何でも合わせられる」
とか
「この時期に安くなっていたけど、これは夏にも着られるね」
などと、義母は私よりご機嫌だった。
家に戻ると、すぐに袖丈を短くし、あすにでも着用可能となった!

さて、夫が帰ってきてからこのジャケットを見せると・・・
「これ、家で水洗いできない!」
と、少々お冠の様子。
夫の服選びの基本は、家で選択可能である事。
「だってぇ~、お義母さんがこれがいいってすごく勧めるから仕方ないじゃあない~!」
わたしも言い返す。

服を一つ買うにも、義母や夫のご機嫌を伺わなくてはならないいまの私。

結婚する前は「夫の意見は大事にしよう」と決意していたが、
まさか義母の意見まで聞かなくてはならないとは予想していなかった。

義母は服が好きである。
洋裁の趣味が高じて仕事にしてしまったくらいだ。
いまだに流行に敏感で、街に出ると行きかう人々が着ているものや店に並んでいる品を無意識に観察しているようだ。

そんな義母のアドバイスで選んだ服なのだから、
まあ、よしとしよう。

ふうぅ~ふうぅ~ふうぅ~ふうぅ~ふうぅ~



(お義母さん、私に買ってくれたらいいのになぁ~)







「しょいすりっひ」Tシャツ

2009年01月31日 | 義母
衣料品店はそろそろ冬物在庫の処分に取り掛かっているらしく、あちこちで半額以下になっている。
嬉々としてちょろちょろ街中を走り回って見つけた一品。
ユ○クロ風に言うと「コットンタートルネックTシャツ」かな。
品物そのものが気に入った、というより半額の5ユーロで買った事実がうれしくて義母に
「これ、5ユーロですぅ
と報告した。
義母は・・・
「安いのはいいけど・・・それ、しょいすりっひね」

しょいすりっひ(scheußlich)とは「ぞっとするような、おぞましい、恐るべき、醜悪な」というおおよそ悪い意味の全部を含めた言葉のようである。
また、義母がこの言葉を言うと、普通の数倍しょいすりっひ効果が上がるように思える。
この、しょいすりっひ、なんだか日本語母語の私たちにも音が不気味効果を感じさせ、なかなか風情がある。
また、カタカナで表記するよりひらかなの方がかわいい感じ(けっ、関係なし~)
日本で、近くの醜い女を話題にするとき、
「あの女の人、しょいすりっひねぇ~」などと、秘密の会話にいいかもしれない。

義母は続けた。
「レシートはまだ持っているの?明日街に行くなら返品してきなさい」
そ、そんなに変かい?
そのしょいすりっひシャツの写真を公開。
わたしとしては、シマリスのイメージ。

どうも、このオレンジ色が気に入らないようである。
黒や茶など濃くて暗い色のストライプなら許せるらしい。
暗いドイツの冬を過ごすのに、せめて衣類は明るい色合いを選ぶほうがいいと思っていたのに。
義母はしばらく、しょいすりっひが入った文章を繰り返した挙句、
「りすが気に入ったのなら仕方がありません、でも、家の中だけにして頂戴ね」

こうして返品を免れ、わたしの衣装ダンスの仲間になった「しょいすりっひハイネックTシャツ」。
たくさん日本から持ってきた「赤ズボン」(これまた義母に外出時の着用を禁じられている)と組み合わせて家の中だけのりすファッションを楽しむことにしよう。


さて、昨日、キッコーマンから賞品が届いた。
三週間くらい前に応募券を送っておいたものだ。
詳しくは2枚送るともらえる



日本の感覚から言うと、質素な箱に簡素な包装でやってきた。
醤油を使った料理のレシピ、フィスラーの商品紹介カタログ、簡単な送り状が添えられていた。
集めて送れば必ずもらえる全員プレゼント、だがやっぱりうれしい。
日本ではほとんど空気のような存在のキッコーマンだったが、
ここでは万歳、キッコーマンさま、かな、うふふ







まっすぐにしたい。

2009年01月21日 | 義母
うちの絨毯は部屋の床面全体を敷き詰めるタイプと、部分的に置く小さいものがある。
で、その小さいサイズのものなのだが、斜めに敷いてある。





上の2枚の写真は同じ絨毯を別の方向から撮影したものだ。
人が歩く部分を想定して斜めにしたのだろうか。
そうした実利を優先して敷いたとは思えない。
なんて言ったって「見た目」が第一の義母だから。

では、義母はこの斜めが美しい、と感じてこうしているのかしら。
ふ~む

絨毯がドイツで広く一般に普及したのはここ半世紀ほどくらいのようだ。
街のお金持ちは別として、田舎の人々は高価なウールやシルクの絨毯を手に入れる余裕はなかったそうな。

写真に納まっている製品、絨毯を買ったことない私の目にも上質であることがわかる。
この家の経済力から、数十万円は無理だけど数万円の品だったらOK、数千円の品は安っぽすぎて、義母の目に入らないだろう。

さて、これらの絨毯。
水洗いすることは一切なし、なのである。
噴霧式薬剤を使っての洗浄も禁止されている。
義母が言うには
「繊維の油分が失われ、光沢がなくなる」
からだそう。
そういうわけで、ばばっちいことこの上ないのだ。
これらの絨毯、すでに2,30年は使っているだろう。

夫などは、絨毯はバイ菌の巣窟としか考えていなく、その上に物を落とそうものなら念入りに洗っている。
わたしたちの住まいを持ったら、絨毯はなし、だ。
わたしも、手入れが面倒だから、欲しくない。
ここに来るまで、全く知らなかったのだが、絨毯に掃除機をかけるときは繊維の方向に向かって吸い込み口を動かすのだそう。
絨毯に繊維の方向があったなんて、知らなかった。実家の安い絨毯、そんなもの、ない。
掃除機かけ作業、面倒なのだ。
ぐいぐい上下左右に動かすほうが簡単~
で、私が掃除をし始めてから、確実に絨毯は痛んでいるはず~おほほぉ~

また、自室の絨毯はすでに食べ物のシミだらけ~
丸洗い、したいよぉぉ~

さて、話し外れたが、この斜め置き。


これをみて、どれくらいの人々が「美しい」と感じるのかよく知らない。

義母の独特のセンスか
義母は絨毯を買えるような豊かな家に育っていないから、少なくとも彼女の家の伝統的なやり方ではない。
では、義母がみたインテリア雑誌、家具店、友人・知人宅の絨毯がこうなのだろうか?
行動範囲が狭い私、ドイツあるいはヨーロッパ人がどんなインテリア感覚を持っているか言い切れない。


このテーブルセンター(テーブルではないが)の置きかたを見ると、もしかして、斜め置きは一般的なものなのかもしれない。


私としてはなんとなく落ち着かない。
まっすぐにしたくなる。






確執

2009年01月13日 | 義母
義母の普段のものの言い方は「怖い」のだが、時には本当に機嫌が悪いことがある。
ある朝、夫と二人で朝食を食べているところにやってきて、
「あのパンを食べないのか」
「コーヒーにはミルクをいれなさい」
テーブルに置かれた私のメモを見て、
「これは何だ、どうしてドイツ語で書かないのか」
などと、因縁をつける調子でまくし立てるものだからたまらない。

始めの頃はびっくりしたが、何度か経験するうちに私も慣れてきて、
「はい、はい」
といい加減に交わすことができるようになったものだ。


昨日の夜はこれたっだ。
2階の浴室は成り行きで夫と私の二人の使用、管理下に置かれる事になった。
私は警戒を忘れなかった。
義母がときどきやってきてチェックを入れるから。

一週間前から、3つの石鹸ケースに3つの石鹸。
左端の義母の選んだものは水が溜まり、石鹸が溶けるので飾りとして置いてある。
ステンレス製のものは、私が100円ショップで買ったもの。つくづく日本の100円ショップの品揃えと質の良さにここで感動~
真ん中のは夫のお気に入りの石鹸。
右のは義母が私のためにくれた数十年前の石鹸。私がせっせと使うのさぁ~。

この石鹸の行列、当然義母が見つけたら、難癖つけるに違いないと予想していたら、速攻、言われた。
「一つにしなさい、見た目が悪い」
見た目が悪いってぇ~お義母さん、こんなプライベートな部屋をいちいち格好つけたって意味ないではないかぁ~?

調子付いたのか、
「もっと、金属部分を磨いて光らせろ」とか「カルキがついてざらざらだ」とか水まわり部分だけで数箇所不満をぶちまけていた。
こうなると「お義母さん、機嫌悪いのだな~」とくらいしか受け取れなくなり、
その不機嫌、どうにかしてぇ~、と願うばかりになる。


ドイツでタオルを買うと、端っこに紐が付いている。
これでタオルをフックに引っ掛ける、というわけ。

「Made in West-Germany」って・・・
このタオルいつ買ったのぉ?
日本だったら、とっくに雑巾仲間になるところなのにぃ~


この、引っ掛けスタイル、始めの頃は貧乏臭く見えて嫌いだったものだ。
まっすぐ伸ばしておくほうが知的な印象を受けないだろうか?
タオル表面を伸ばして、空気と接する部分を広くしたほうが早く乾くだろうし。

そういえば、コートなどの衣類も首の部分の紐でフックに掛けておくことがこちらでは多い。
実母に「服の形が崩れるから必ずハンガーに掛けなさい」と習慣付けられていた私にはカルチャーショック。
いや、日本人は服に着られるのだから、服の形を崩すとみっともなくなるのだな。
ここは洋装用の体型の人間、彼らが着ると服はアイロンかけるように形が整うのだ~
上の2枚はわたしが日本から持ってきたもの。
当然、引っ掛け紐は付いていなかったのだが、義母が付けたのだ。


伸ばすとこうなる。
おほほぉ~
お茶漬け食べて応募した永谷園のタオルさ!
掛けてある場所は肋木のような形状の放熱板。
タオルを乾燥させるためのものだが、義母の命令は「年中掛けておくな、みっともない」


それで、義母によって縫い付けられたフック用紐。
これって、服についていたものを取っておいたのだな。
「りすは紐なしのタオルを持っているから付けてやれぇ~」
と、義母は機会をうかがっていたに違いない。






モード・ギボ

2008年10月22日 | 義母


先週、上の写真の服で人に会うために街中に出かけようとしたら、
「色の組み合わせがめちゃくちゃ」
と、義母と夫に着替えるように命じられた。



ジーンズと、紫のセーターに着替えて再び二人の前に登場すると
「よろしい」
とのこと。
私には、どういう違いがあるのかわからない。


今まで、あまり人から服装についてあれこれ指図されたことがない。
ここに来てから、しばしば私の服装について指摘されるので、かなり驚いている。
日本で知り合ったヨーロッパ人女性何人かは、センスがいいと思える人はいなかった。
モードの国、フランス人女性二人も、日本でなにやらよくわからない格好をしていたものだ。
その経験を参考に「ヨーロッパは何でもあり」と解釈したわたし。
義母のことなど頭になかった。

生まれた時代がもう少し最近だったら、彼女は服飾関係の仕事をしていただろう。
実際、子育てが一段落した頃は、毛皮製品の縫製をしていて、結構な給料をもらっていた、と自慢している。
日本輸出用の毛皮のコートは、袖を短く作ったのだそう。
「あなたの腕は短いのを知っている」
と、よく言われる・・・・

今でも、日本の誰かが義母の作った毛皮のコートを愛用しているのかもしれない。
すごいぞ~、西ドイツ製の毛皮のコート!
(しかも、義母製・・・

日本から持ってきた、ピンク色のフリフリのシャツを義母に見せたことがある。
「あ、これはカリタス行きね」
と、私に断りもなく、そのシャツを持っていってしまった。

「カリタス」とはここのキリスト教会がやっている非営利団体で、数々の事業をやっているようだが、家庭の不用品を集めてここの経済的に困窮している人たちに販売する、ということもやっているそうな。
街中にある不用衣料品収集ボックスは、某営利団体が経済的に遅れている国に運んで販売するためにあるのだそう。
その結果、その国々に存在する衣料関連企業が存続しにくくなり、経済をますます悪くする、という話があるそうな。
それを知って、義母はその回収ボックスを使わないらしい。
わたしは南米にいたことがあるのだが、確かに、欧米から来たと思われる古着を扱う衣類屋があった。
地元の人たち、ちゃんと新品を好むので、義母の心配は必要ないと思うのだけど・・・

おっと、話がそれた・・・

断りもなく私の衣類を処分されてしまったのだ



おそらく、上の2枚のブラウスも、義母の目に入ると「カリタス行き」の運命だろう。
左は小花プリント、フリル付、右は別珍、豹柄入り・・・

別居のそのときまで、隠し持っていることとしよう。

地下室に義母の購読していたファッション雑誌がある。
70年代から90年代まで、毎月買っていたようで、きれいにそろえている。





上は1979年10月号。



う~ん、肩パッド!



上2冊は1987年のもの。
世界のどこでもこの頃はアメフト状態の肩パッドを愛用していたのねぇ~
思わず、腰を下ろして、長々と地下室で雑誌を眺めてしまった私。

ここには私のサイズの衣類はめったにない。
来る前から、知っていたので、安かろうが悪かろうが何でも買い集めて、どんどん日本から送った。
もう少し義母のことを知っていれば、もっとましな衣類を揃えてきただろうに・・・
ああ~
安物衣類の詰まる私の部屋~

いや、同居がこんなに長引くのが予想していなかっただけだ。
別れて暮らせば、会うときだけの服を着ればいいのだから~


まあ、外出時には人種が違うことで目立つのだから、衣類は無難なものを選んだほうがいいのだろう。
身を守る、衣類対策~
私はトレンチコートが好きで、かなりの値段がした2着を持ってきた。
が、義母に言わせると
「ここでは誰も着ていない」
で、いまのところ、たんすの肥やしになっている。


素っ裸でお堀で泳いでいたヨーロッパ人がいたなあ。
服は身を守るのだぞ~
外国生活で、色の組み合わせや周囲の好みの傾向まで気を遣わなければならない私を見習ってくれぇ~






















義母は旅行

2008年10月11日 | 義母
ドイツ語の問題集をやっていたら、
「猫がいないとき、ねずみは踊る」(Wenn die Katze fort ist, tanzen die Mäuse)
というのが出てきた。
面倒な人や物事がそばにないと自由にできる、という意味をすぐに推測できることわざたが、一応辞書を引いてみた。
「鬼の居ぬ間に洗濯」
へ・・・?
なぜ、洗濯?
鬼って、人々に洗濯を自由にさせないのかしら?
それって・・・
虫がわくまで同じシーツを使わなければならない私のためにあることわざ?
(詳細はこちらもっと洗濯を~

義母がベルギーに5日間旅行で家を空けることになった。
「洗濯をしよう!」
と、思ったのは言うまでもない。
まだ、誰も一度も使ったことのないバスタブに熱めの湯をはり、長湯しよう。
朝食から遠慮なく、和食にしよう。

などと、忙しく計画していたのだが・・・
義母は妹と旅行するそうで、義父はうちにいる。

それって、さらに面倒くさい。
なぜなら、夫は最近徹底的に義母の料理を食べない。
かといって、私の和風の料理もあまり好まない。
義父に夫の砂糖抜き、脂肪抜き料理を出すわけにいかない。
そういうわけで、2種類の食事を私は用意しなければならないのだ。

もちろん、義母は留守中に私たちが餓えないよう、抜かりなく準備しておいた。
冷凍庫には解凍するだけのシチュー、温めるだけの缶入りスープなどもそろえてくれた。



義母が焼いたこのケーキ、義父のために日持ちするものを選んだらしい。
(ん?わたしは食べてはいけない?)



これは義父の朝食。
野菜をいろいろ切らなくてはならない面倒くさいもの。
いつもは義母が準備。

今日から5日間、しばらく義母パワーからは開放される事となったが、義父が居るのでは自由は半減するどころか、調理の手間が増えるので仕事は増えた。

ま、いいか。

最近義母は私の買い物もうるさく口を出してくる。



これは健康補助食品。
ルテインがたくさん入っている目の健康のためのもの。
半額になっていたので嬉しく購入~

うっかり、食卓の上に置いたままくつろいでいたら、義母が怖い顔で訊いてきた。
「これはなに?」
「め、目のための栄養です・・」
「あなた、目悪いの?それだったら、医者に行きなさい。無駄なものを買ってはいけません」
ここで「これは半額で200円しかしない」とか「PC操作で目が疲れる」などといくらそれらしい理由を言っても、義母が折れることはない。
「はい・・・」
としおらしくしておくしかないのだ。
(医者にいくのだって、お金かかるのにねぇ~)



これは20ユーロが5ユーロ(約700円)と、4分の一になっていた椅子。
シャワー用の椅子で、日本では介護用品になっていることだろう。
私が使うのさ~。
5ユーロをみて、後先考えず、お買い上げ~
玄関に迎えにでた義母は大きな袋を持つ私を見て、
「また、何買ったの?!」
ここで、私がシャワーのとき座って洗いたいとか、たったの5ユーロだったと説明したところで、
「椅子はうちにたくさんあります、無駄なものを買ってはいけません」
と、言われること間違いなし!
「へへぇ~」
とジャパニーズスマイルで仁王立ちの彼女をすりぬけた私~



夫もそうした義母の性格を知っている。
上の写真の白布に包まれている品はコーヒーメーカーだ。
ここの製品って、よく故障するので、いま使っているものが壊れたらすぐ使えるように買い置きを夫が提案した。
いい割引の品を見つけ(25ユーロ)二人で喜んだ。
家に持ってはいるとき、細心の注意をして、義母の目に触れないようにした工夫したのだ!
私たちの寝室にもいつ義母が侵入してくるかわからない。
「なぜ、何台もコーヒーメーカーが必要なの!」
といわれるに違いない。
それで、こんなふうにしたわけ。

洗濯どころか、買い物も自由にならず、なかなか厳しい人生だ。

義母のいない5日間。
義父の目を盗んですでに1ヶ月使っているシーツを洗濯できるかな?
どうでもいい割引された品々を買い込みにいくかな?

つかのまの、ちょっとした自由~
鬼のいぬ間に洗濯ぅ~

あ?!いや、鬼じゃあありません、お義母さん~
猫かな?猫!!
わたしはねずみですぅ~踊っていますよ~
ベルギーを楽しんできてねぇ~








怖い姑

2008年09月18日 | 義母
確か、夏の始まりごろだったと思う。
外国人女性の集まりで知り合ったコロンビア人E子さんがうちに来た時のことだ。


私の交友関係が来た、というせいか、義父母は興味しんしん。
さっそく、質問攻め。
だが~
スペイン語母語の彼女、勉強すれば私より数倍早くドイツ語を習得できる可能性があるのになぜか、どういうわけか、さらに言えば、どうしてこんなにできないのか不思議になるくらいドイツ語ができない。

あまりのできなさに義母は、
「もっと勉強しなさい」
という意味のことを少々彼女に言った様子だ。

あとで、E子さん、わたしにボソッと言った。
「お義母さん、怖いね・・・」

この一言にはっとした。
そういえば、初めて義母に会った、8年前、私もこう感じたものだ。
「怖い・・・」

E子さんと違い、当時の私は「義母」となる可能性のあるこの女性の第一印象が「怖い」では、前途多難だ。
「きっとドイツ人女はみな、こんな傾向の印象なのだろう」
と、私は楽観的に考えるようにし、その後ドイツ人女性の観察に勤しんだ。

が・・・
他に知ったドイツ人女性の印象、怖くない。

第一、妹のバリおばさんでさえ、全然違う印象の女性だ。
明るく歌うような調子で話すバリおばさん。いつも朗らかで笑顔が絶えない。

それに比べると、高圧的でバンバンものを言う遠慮のかけらもないものの言い方をする義母。
これが怖い印象を作ってる第一の原因だ。

以前、夫と二人で「洗濯機を使っていいか」と訊いたときのことだ。
「ネーーー!!」
この、ネーとは「いいえ、ナイン」の口語的な言い方だ。
ネの母音、エは日本語のそれより、やや口を横に広げ、強い印象の音になる。
義母がこれを言うと「私が死ぬまで洗濯機に触ってはいけない」
と聞こえるものなのだ。
実際、夫も私も二度と同じ質問をしようと思っていない。


その怖い義母と同居、という日本では最悪の状況と考えられる生活を始めて約10ヶ月。
(ドイツで同居、ってそもそも珍しいのだけど)

慣れるのだ・・・・
怖さに・・・
日常的に接していると、怖くなくなるのだ。
少々きついものの言い方、に毎日接していれば、自然と慣れてくる。
話し方の癖なのであって、義母の性格が怖いのではない。
いやみや意地悪なことを言われたことは一度もない。
他人の性格、行動の特質についての好き嫌いをはっきり言うが、必要ないときに当人にそれを言ったり、無視したりいじめたりすることはない。
そんな彼女の性格を知ると、かなりの高圧的な態度も気にならなくなるものだ。
そういえば、よくやるな、仁王立ち。
怖い・・・


「義母は怖い」という感覚がなくなってきたところでE子さんに思い出させてもらったのだ。
第一印象が怖い女、って損だとは思うが、この性格で今まで人生をやってきて、特に不自由している様子はない。
たぶん、周囲はすぐに気づくのだろうな、怖くないって。






今月末にバイエルン州の選挙がある。
自党の応援のために首相が、首都ベルリンから遠い人口10万人ぽっちのインゴルシュタットに来るようだ。
実家のS市は首都圏、人口60万人、首相が来たことあったっけ?
この首相、写真やテレビでの印象は義母より柔らかい・・・
実物を観察に行きたい私。








もっと洗濯を~!

2008年09月10日 | 義母
二週間ほど前から、虫に刺された跡ができるようになった。
少々のかゆみを伴うのだが、あまり気にせず過ごしていた。

次第に虫刺されの跡は増えていった。
そして、昨日の夜。
布団に入る前に、いきなり、左足太もも内がわに強烈なかゆみを感じ、見て、びっくり。
虫刺され後が一挙に5箇所、新規に出来上がっていた。

ここで、少々不気味に思っていたことが解決された。
虫さされはなぜかからだの左半身しかできなかった。

とどめの太もも内側も左足。
本当に虫が刺したのなら、からだの左右に関係なく跡が残るだろう。

ストレスが、発疹になって左半身に出てきたものと思われる。
ストレスによるこんな症状、読み聞きしたことない。
でも、私はわかる。
ストレスの最大原因はこれなのだ。

三ヶ月間、洗っていない寝具カバー

この家の家事はすべて義母に支配されていて洗濯機を使うことができるのは義母だけである。
ここの洗濯機の使い方を教えてもらったが、私一人でこれを使ってはならない。
義母は2週間に1度しか洗濯をしない。
けっして、我が家が貧しく、洗濯もろくにできないほど切羽詰っているわけではない。



ドラム式全自動洗濯機。撮影し忘れたが、乾燥機ももちろんあり。



広々とした地下の洗濯室には手洗い衣類をかき混ぜる巨大なへらも完備。
始めて来たとき、給食室の備品かと思ったものだ。
写真左は脱水機。義母のお母さんからの品で、5,60年使っているらしい。

こんなに恵まれているのに、洗濯は二週に一度と決められている。

追い討ちをかけたのは浴室の改造工事である。
義母は「埃だらけになるのだから、洗濯は必要最低限にしよう」
と思ったそうで、2週間に一度より少ない頻度になっていった。
寝具など大物は広げて干す場所が、工事の足場でいっぱいなのでやる気にならないらしい。

そんなわけで、同じシーツを三ヶ月も使うという、のだめ部屋に続きそうな勢いの汚さのベッドに横たわらなければならないのだ。

私はどちらかというと、大雑把なので、多少の汚れや汚い雰囲気のものにも耐えられる。
日本の生活でも、シーツ類の洗濯はそんなに頻繁にしなかった。
が、3ヶ月、というのは脅威の長さだ。
今まで生きていて最長・・・・

ちょうど、2週間ぐらい前から布団にもぐりこむ前の一瞬、
「いやだなあ~」
布団に入ると、なんだか湿っぽい・・・
いくら湿度の低いドイツの夏でも、3ヶ月連続使用のシーツは湿気を含んで冷たい感じになっている。
布団に入ってからも、
「気持ち悪いぃぃ~」
熟睡不能。

こうしたストレスで、右脳がやられ、左半身に発疹が出来たものと思われる。

「洗濯のことくらいで・・・」
と他人も私も思うのだ。
勝手に洗濯機を使えばいいのでは、とも言われそうだが、義母が家にいないことはめったにない。
また、私が一人で使うことを禁じられているのに秘密で使うのも気分が悪い。
しかし、なぜ、使ってはいけないのか・・・?
わからない・・・


汚い寝具、自由にならない家事・・・ストレスになる~!

衛生、については神経質なはずの夫はなぜか気にならないらしい。

今は、からだの発疹くらいで済んでいるが、気をつけないと、もっと重大な病気を引き起こしかねない。

なんとかしなくては、と昨日の夜から真剣に対処法を考えている。