雲跳【うんちょう】

あの雲を跳び越えたなら

ジングル・ベル

2006-12-25 | 思い出
 昨夜はサンタさん、来ませんでした・・・せっかく玄関、キレイにしたのに・・・やっぱり僕が悪い子だから?オナニーばっかりしてるから?
 ゴメンナサイ・・・もうしません・・・
 と、言うのは真っ赤っ赤な嘘で、思わずトナカイの鼻も真っ青んなってます。

 そんなワケで(相変わらず強引な前フリだよなぁ~とかは無視しときます)クリスマスプレゼントで思い出したことがあるので書いちゃう。

 むか~し、僕がとてもあどけなかった頃のクリスマスの夜、サンタさんのプレゼントを楽しみにしながらお布団にもぐり込み、もうベタベタなカンジで「サンタさんを見てやる」と意気込んで眠っちゃうパターンを実践していたとき、フト、夢うつつの中で

「シャンシャンシャンシャンシャン・・・」
 と鈴の音が聞こえてきた。

 おわぁっ!サンタさんだぁ~と思うのだが、眠くて眠くて身体が動かない、しかし意識では鈴の音と頭の上でガサゴソと何やら音がするのは感じている。ハッ!金縛りかっ!と、話が逸れそうなので、それは無視して、っと・・・。

 まぁ、サンタさんだぁ~と思いながらも結局朝までグッスリ寝ました。
 起きたら僕の欲しかったトミカのダンプカーやショベルカーなどがセットになっているミニカーの箱が置いてありました。
 すぐさま、母のところへ行って
「これね、サンタさんにもらったの。シャンシャンシャーって!」
 母は
「あらー、良かったねー!大事にせんなんねー」
 と、とても嬉しそうな顔をして言いました・・・・・・。

 

「なぁんて、ことがあったんだよねー」
 と、昨日、この話を妻にしてやると、

「あぁ・・お義母さんなら、やりそう。その鈴、絶対お義母さんが鳴らしてたんだよ」

 えっ!マ、マジでっ!

 とか云って驚くはずないじゃん、オレだって解かってるよ・・・もう三十二なんだしさ・・・。
 ってゆーか、オレも子供がいたら絶対、鈴鳴らすもん♪そういう細かい演出、大好きなんだよ、ウチの家系・・・・。

 で、そういう細かい演出のおかげで、僕はずいぶん大きくなってからもサンタクロースの存在を信じていました。

 ちなみに、ウチの父親は土建屋で働いておりましたのでダンプカーやショベルカーを自由自在に操っておりました。
 そういえば、あまり家にいなかった父だが、クリスマス間近におもちゃ屋さんに一緒に行って
「何が欲しいか決めたか?」
 と、訊かれて
「コレ!」
 と、トミカの工事現場セットを指差したら、とても嬉しそうな顔をしていたような・・・?
 いや、まぁ、極めて曖昧な記憶ですから、それに、曖昧と云えば、もしかしたらオレも父親の喜ぶ顔を見たくて、そのミニカーを選んだのかも・・・なぁんて、ね?

 まぁ何にせよ、今夜はメリー・クリスマス♪ですよ☆
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Keito Blowを聴きながら・・・

2006-12-23 | 思い出
 Keito Blowの1stアルバムを聴きながら、小、中学生時代を過ごした場所を独り、車で流した。
 まるっきり昔の様子が変わってしまっているところ、まったく昔と変わっていないところが入り乱れていたのだが、基本的な空気みたいなものは、何故だかちっとも変わっていないような気がする。
 たぶん、懐かしさが先にたって、細かい部分は見落としてしまっているんだろう。それに、何だか、ぼんやりとした安らぎも覚えてしまう・・・たぶん、贔屓目なんだろう・・・。

 そんなカンジで、昨日思い出した協和温泉にも行ってみた。

 そこは見事に、変わっていた・・・。そんなに広くもない土地に、真新しい住宅がひしめき合っていた。
 
 まぁ、そんなもんかな・・・。

 番台に座る夢は見事に打ち砕かれたが、時の流れをすんなり受け止められる大人になったことが、少し、嬉しくて、少し、淋しくて・・・・。

 現在の場所に戻ってきて、ちょっぴり人恋しくなったので、思わずK氏をビリヤードなんかに誘ってみたりした。
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冬至

2006-12-22 | 思い出
今日は冬至なので、柚子湯にしてみた。

ウチの浴槽はすこぶる狭いので、小振りな柚子二つで充分である。
「ポチャン!ボチャン…」と湯船に投げ入れると
「プアッ~」っと甘ったるさを抜いた柚子ならではの柑橘の香りがほとばしった。

ゆっくりと湯船に浸かり「ふーっ…」と一息つき、目を閉じ「柚子湯なんて、何年振りかなぁ」などと記憶を辿ってみるうちに、「ふっ」と子供の頃を思い出した。


小学生の頃、よく通った近所の銭湯。
毎年、キチンと冬至には柚子湯だったなぁ…だいだい色のミカンの網ネットに大ぶりな柚子を沢山入れてブカブカと浮かしてあったなぁ…そいつを友達とグチョグチョに潰して、ハイになって遊んでたら、見知らぬオッサンにこっぴどく叱られたっけ…そういえばあの銭湯、協和温泉だっけ?温泉とは名ばかりのただの湯沸かし風呂だったけれども…同級生の祖父母が経営していて、時折、その同級生が番台に座ってたんだよなぁ…中学んなってからは、「今度オレにも座らせろよ!」とか、よく無茶を云ったもんだよなぁ…

今でもまだ、あるのかな?協和温泉?

明日、ちょっとそっち方面に用があるので久し振りに前を通ってみようかな。
もし、まだ営業していたなら、ひとっ風呂浴びたいもんだ。
そして、もし、同級生が番台に座っていたりなどしたら、
「オレにも座らせろよ!」
って、云ってやる。

ふふっ…なんだか、柚子の香りが、くすぐったくなってきたなぁ。
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I Need To Be In Love (青春の輝き)

2006-12-18 | 思い出
 オレの青春を、駆け抜けてイッた女たち・・・・

 葉山レイコ

 星野ひかる

 浅倉舞

 白鳥美香

 夕樹舞子

 星野杏里 


 うわっ!全部『処女宮』シリーズじゃねーかっ!

 その他、

 小林ひとみ 姫野真利亜 桜樹ルイ 愛咲めぐ 優木瞳...


 オマエらのことは、決して忘れないぜッ!


 そう、時々思い出しては、勃起してますから・・・・
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体を張ったギャグ

2006-10-13 | 思い出
カレーで思い出した話がある。

今でこそ、ちょくちょく(と、いってもホント、年に数回だが)カレーを食す私であるが、数年前まではカレーが苦手であった。食べると必ず胃もたれや胸やけを起こすのでかなり敬遠していた。ホント、年に一度食うか食わないかくらい。
そんな私のカレー避けは仲間内でも有名であった。中には「カレーが嫌いな人間なんていたのか!」と驚嘆する者もいた。
いや、まぁ別にそんな嫌いなわけではなく、苦手なだけなのだが、いちいち説明するのも面倒なのでどちらでもいいや。と、そんなふうにしていたら、「アイツはカレーを嫌悪している、いや、憎んでいるんだ」なんてことが周知の事実となっていった。

さて、そんなある日、仲間内で呑みに行き、しこたま呑んだ後、締めにラーメンでも食いにいくか!という段になり、近くのうどん屋にみんなでなだれ込んだ。
そこは安さと早さが売りの店だが味もなかなかのものである。みんなはやはりラーメンやそば、うどん、中にはまだ呑み足らなくてビールやおでんを注文する者もいた。
そして私はというと
「カレーライス!」
と、おもむろに言い放った。もちろん、ウケ狙いだ。
そして尚且つ、
「あっ!オバチャン、カレーに生卵落として!」

ハイ、みなさん困惑気味です。目玉焼きなら分かるが生卵かよ!っていうか、アンタ、カレー食べれるの?みたいな?
程なく、みなさんの注目する中、生卵入りカレーライスが運ばれてきました。オバチャンも不審そうな目つきで私を見てる。

よし!

私は食らいついましたよ。生卵をグチグチにしながらカレーに程良く混ぜ混ぜしながら、モリモリむさぼり食らいましたよ、ホント、キレンジャーも真っ青(アオレンジャー!)になるくらいのイキオイでねッ!
まぁ、とりあえず、みなさん唖然としながらも、大ウケしてくれました。よ?

そして、完食です。

その後は、みなさん笑顔で解散、私も一人でふらふらと良い気分でアパートに帰りました。
と、ところが!玄関を開けた瞬間、急激に吐き気に襲われました。私はすぐさまトイレに駆け込もうとしましたがOUT!
もうちょっとの我慢だったのですが、イッちゃいました…洗面台にぶちまけました…生卵入りカレーライスを…
そしてそのまま、朝までDOWN…


翌朝、重たい頭を抱え洗面台へ、そのあまりにも凄惨な光景を目の当たりして、私、思わず笑っちゃいました。
「なんかコレって、なかなか良いオチじゃん…」

なぁんて、そんな強がりをほざきつつ、二日酔いの身体で事故現場の清掃にあたりましたとさ。

それからしばらくは、このネタで笑いをとれたので、体を張った甲斐があったぜぃ!ってなとこでしょう。
しかし、時が経つにつれ次第に色褪せてしまったネタだ。今こうして書いていて、かなり引いてる自分がいる…。
これが所謂、大人の階段を上ったってこと、かな……ん、また誰かさんにツッコまれるかな?

まぁ、いいや!
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クリ&リス

2006-09-23 | 思い出
 中二のとき、親睦を深めるんだか皆のことを理解するんだかなんだか知らないが班ごとに学級新聞のようなものを作らされるハメになった。
 オイオイ、オレら小学生じゃないんだゼ、マジかよぉ・・・と、みんなそんなカンジだったのだが、なんやかんやと作業に取り掛かった。
 だいたい、班は男三人、女三人で一グループだった。
 僕らのグループは、こんなもんアホらしいわ~ってカンジの人間が集まったかなりイイ加減なグループであった。
 なので作業も
「こんなカンジ?」
「テキトーテキトー」
「こんなもん?」
「ん、いんじゃねー」
「なんかグループ名つけるみたいよ」
「・・・・・・」
「んじゃ、『クリ&リス』!」
「決定!」

 バカだ・・・。
 そのときの女子の反応は覚えていないが、たぶんカマトトぶって知らんフリを決め込んでいたのだろう。

 程なく全班がその新聞まがいを作り上げて、教室の後ろに貼り出された。

『クリ&リス』

 六グループ中、ひときわ目立つタイトルである。そしてひときわバカなタイトルであった。
 しかし、そのバカなものも、ウワサを聞きつけ、他のクラスのヤツらまでもが何人か見に来てはニヤニヤ笑ったり大ウケしたりで評判は良かった。
 が、半日もしない間に、そいつは壁から剥がされた。
 そして、何故かこの班全員ではなく、僕と悪友N二人だけが職員室に呼び出された。まぁ、諸悪の根源はこの二人だろう、と思ったのだろう、うん、正解!ですよ。
 担任は二十代半ばの女教師でわりと可愛かったのだが、そのときは物凄い形相で怒っていた。
「あんたら!!これがどういう意味か解かってんのかっ!」
「えっ?リスがクリを持っててーカワイイなーぁ、と・・・」
「じゃあコレ持って校長先生んとこ行ってそう説明してきなさい!」
(ハァ?なんで校長・・・?)

 それにしても、あの怒りようは凄まじかった。
 今にして思えばあの時校長云々というのは、たぶんコレのせいで校長からセクハラまがいの小言でも言われたのではないか?と推測される。
 なので、かなり頭にキテいたのであろう。

 それにしても、たかがオナニー覚えたてのガキ共の幼稚なイタズラ心にそこまで目くじら立てることもあるまい、と、思うのだが・・・。
 まぁ、そういうわけで『クリ&リス』はわずか半日で廃刊になりました。
 今から考えると、あまりにバカバカしくてどうしようもないけれど、これも貴重な青春の一ページなので、ヨシ!としよう。

 きっとセンセイが可愛かったんでチョイと困らせてみたかったのかな?このエロガキ共は。
 そうそう、蛇足だがこのセンセイ、80年代後半に活躍したAVアイドル『姫野真利亜』にマジでソックリだったんだけど、いや、ホント、上目遣いの顔などは、もーうタマラン!ってカンジで・・・・。
 そういう色々なことも含めて、僕はセンセイにお世話になりっぱなしでした。
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Be My Last

2006-08-19 | 思い出
昔、つき合ってた彼女が僕の部屋でエロ本とエロビデオを見つけて、ひどく怒りをぶつけてきたことがある。
最初は僕もヤベェなぁ、などと照れ隠しに苦笑いなどを決め込んでいたのだが、なんだか散々に怒りまくる彼女にムカッ腹が立ってきて逆ギレした。

「別に浮気してるわけじゃないのに、なんなんだ!」や
「オナニーしない男なんぞいやしないんだ!」や
「こいつは男の性なんだ!しょうがないんだ!」
など、自分で云ってて幾分、情けなくなるようなことも怒りに任せて叫んだ。
彼女は納得したんだかどうなんだか、たぶん馬鹿馬鹿しくなったのだろう、(なんせ自分でも馬鹿馬鹿しくなるくらいのズレた持論だったのだから)その場は黙って身を引いた。
それが原因かどうかは今もって定かではないが程なく彼女とは別れた。

さて、みなさんはこの話をどう受け止めます?
オナニーは浮気になるんですかねぇ?
僕は彼女がオナニーしてても怒んないけどねぇ…。

いやはや…。
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泡盛ラプソディー

2006-08-16 | 思い出
 夏場、私の晩酌は泡盛になる。何故?と訊かれれば「暑いから」。暑いから?なんで?「だって沖縄のお酒だから」。
 そんで、泡盛が呑みたくなる。まぁ、そう云うことだ。よく解からんが・・・。

 さて、そういうわけでこのところ泡盛漬けなのだが、コイツを呑んでいるとどうしても思い出しちゃう出来事があるので、ちょいとココに書いておこうと思う。
 かれこれ、七、八年前のことだったかなぁ・・・。

 当時私は、しがないフリーターであった。近所のコンビニで明日をも知れぬバイト生活に埋没していた。ちょうど深夜帯の時間が身体的にきつくなってきて昼間のほうにまわってしばらくした時だった。
 新しいバイトのコが入ってきた。
 彼女は私の一つ下で色白で線が細く、喋ると少々バカなところが自分とよく合った。
「こんなに気が合うコは初めてだ」
 私は当然、彼女に惹かれた。しかし、彼女にはもうずい分前から付き合っている男がいるらしかった。私は周囲のそんな話に
「カンケーねぇよ。そんじゃそろそろソイツに飽きるころなんじゃねーの?」
 などと強がり、彼女へのアプローチを続けた。
 そんなある日、ついに念願叶って二人で呑みにいく約束を取りつけたのだった。私は天にも昇る勢いで、この喜びをみんなに見せつけたくて夜のコンビニに出向いた。実は私の働いていたコンビニでは、夜中になると事務所で酒盛りが行なえる非常に貴重な場所なのであった。
 店に行くと深夜時代の相棒T、そしてTの友人「ぱんちょ」がいた。
 私は上機嫌で酒とつまみを買い込み、二人を事務所に引っ張りこみ、前祝を始めた。そう、そのときカンパイした酒が泡盛であった。これがまた旨い泡盛でみんなロックでガバガバ呑んだ。
 かなり酩酊してきた私は満足気に「よひ、んじゃ、デートにそなえてオリは、イク」(この日は金曜日。デートは月曜日なのだが、何を備えようというのだろうか?)
 と、満面の笑顔で車に乗り込んだ。って、えっ!く、車って・・・ダメじゃん、アンタかなり酔っ払ってるよ!
 そう、こともあろうに私はへべれけでハンドルを握りアクセルを踏み込んだのである。

 結果、家の近くの電柱に見事激突!車は大破。私はエアバックをかき分け、外に脱出。
「プーーーーーーーーー」夜中の住宅街にクラクションが鳴り響く。
 私は道路の真ん中、仰向けで倒れこんでいる。
 すると、周りの家々から人が出てきて
「大丈夫か!」などと声を掛けてくる。大丈夫なわけがない・・・。
 程なく救急車が来て、病院へ運ばれた。

 私は一命をとりとめた。というか、軽い打撲のみで外傷もなにも無く、その日の朝早くに帰された。運が良いのか悪いのか?それでもやはり、打撲で身体のアチコチが非常に痛い。そんな中でも私の杞憂は月曜のデートのことであった。
 土、日曜の二日間、私はたっぷり休んだ。とにかく安静にしていた。
 それが効を奏したのか、月曜の朝には多少痛むものの仕事にも行ける具合になった。
 そして仕事を終え、私は軋む身体を伸ばし彼女を食事へとエスコートした。場所は懇意にしている寿司屋だった。
 私たちは呑んで、喰って、笑って、非常に楽しい時間を過ごした。このときは身体の痛みも飛んでいた。
 それは、一生忘れられない、良い思い出となった・・・。

 さて、彼女とはそれ以降、なにもなかった。今では彼女も一児の母だ。旦那は当時の彼氏、けっきょく、そういうことなのである。
 オチもヘッタクレもなく、そういうことなのである。
 それでも、とりあえずまとめるとするなら、今でも泡盛の入ったグラスを傾け、口に運び、そのなんとも云えぬ苦さと甘さを味わうとき、彼女に恋していた当時の自分の、苦さと甘さを思い出せるのだ。
 
 
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遠い記憶

2006-07-29 | 思い出
確か小学校三、四年生の頃(1983,84年くらい)あるドラマを観た。
それは確か、こんな内容だった。おじいちゃんが高校生の孫のガールフレンドに恋しちゃう。でも結局は叶わぬ恋で、最後はおじいちゃん、孫のオートバイで暴走して死んじゃったはず…。
なんだか子供心にも、あまりに切なくて悲しくてワンワン泣いた記憶がある。
がしかし、ドラマのタイトルや出演者、どのTV局か、連ドラだったのかどうなのか、全く覚えていないのだ。だがそのわりに内容が鮮明なのは記憶の捏造なのだろうか?
でもワンワン泣いたことは確かだ。
ともあれ、もう一度観てみたいのだが、こういうのってどうやって調べりゃいいんだろうね?
どなたかこんな内容で記憶に引っかかっている方、いませんか?
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nowhere man

2006-07-08 | 思い出
 十代の後半、正確な年齢は思い出せないが、その頃七つ年上の兄キから誕生日のプレゼントに二冊の本を贈られた。
 カミュの『異邦人』とカフカの『変身』だった。
 どちらも心の孤独な青年の不条理な物語である。
 何故、この二冊だったのか?兄キの真意のほどは当時、よく解からなかったが、今は、なんとなくだが解かるような気がする。いや、やはり解からないかな?
 なんにせよ、この二冊の本がその後の僕の人生観に大きな影響をもたらしたことだけは、確かなことである。

 あの時、照れ臭くて云えなかった「ありがとう」をこの場で伝えさせていただく。
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二枚重ね

2006-07-06 | 思い出
 女子高生と付き合っていたときの話。といっても自分も16歳で同い年だったので現在のように女子高生に対して異常な執着心は持っていなかった頃。むしろ、年上のオネーサンに憧れを抱く、ごくごくフツウの健全な男子だった。
 とっても健全なので、その性欲はもはや溢れ出さんばかりだった。
 そんなこんなで付き合い始めて二、三ヶ月くらいだったかな、さて、そろそろセックスしようじゃないか!という段になり、いざ!という時に
「ニンシンが怖いから、ゴムを二枚重ねで着けてくれ」
 と、彼女にお願いされた。
 ・・・・。
 なんだか、そこまでしてセックスするのもアホらしくなり、止めた。(今なら三枚でも四枚でも着けるから、お願いだからやらせて!と懇願する、土下座も、する)
 しかし、ハチ切れんばかりの性欲はおさまることなどはなく、とりあえずその場はシャブってもらい、事なきを得た。
 その後、何度かチャンスはあったのだが、やはり『二枚重ね』だ。その都度、フェラか手コキだった。
 結局、その彼女とはセックスしないまま別れた。一年ちょっとの付き合いだった。

 それから十年後、僕の勤めるコンビニに偶然、彼女がやってきた。
 彼女はすでに二十六。あの当時、僕が憧れていた年上のオネーサンになっていた。しかし、僕も二十六。最初に口火を切ったのは彼女だった。彼女は昔と違い、セックスの喜びを身体中に刻みつけた模様で、こう云った。
「どうせならアンタとヤリまくればよかった」
 レジを挟んで屈託のない笑顔でそう云った彼女に、僕はこの十年で身につけた卑屈な作り笑いを浮かべるだけであった。
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ギャランドゥ

2006-06-02 | 思い出
 盲腸の手術を受けたのは、十六の時だった。
 その頃といえばラーメン屋でアルバイトをしていたのだが、仕事は午前十時からだったので、その日は友人のMと早朝から釣りに出かけていた。
 なんとなく起きたときから「腹具合が悪いな」くらいはあったのだが、Mとの約束もあるので、とりあえずままならぬクソをして家を出た。
 そしてMと落ち合い、港の桟橋から釣り糸を無心に垂らした。しかし、すぐに雑念が入った。
(は、腹がイテぇ・・・)
 どうにも我慢がならないが、近くに便所らしきものはない。しかし僅かながらの草陰がある。もう、限界だ。背に腹は変えられないので、私は産まれて初めての野糞をした。実に、爽快であった。
 そうこうしている内に仕事の時間が迫ってきたので、私たちは帰ることにした。収穫は、小指程のメギスに醜悪なボラくらいだった。(その場所は淡水と海水が混合している馬鹿げた河岸であった)
 私はバイト先につくと、真っ先に便所に駆け込んだ。皆から「どうした?」「大丈夫か?」などの声をかけられながら
「ちょっと腹具合が悪いが、大丈夫です」と気丈に振舞った。それは何故かと云うと、この日は給料日だったので途中で帰ると貰えないのでは?と、そんな思いにかられ、冷や汗かきつつも私の上がり午後五時まで働いた。
 そうして、ぎこちない笑顔で給料袋を受け取り、なんとか家まで辿り着いたのだが、そのまま居間に倒れ込み、腹を抱え、瀕死の形相でうずくまっていた。
 それから一時間もしたころであろうか?母が帰ってきて私の様子を見るなり、
「何事か!ど、どうした!」と、オロオロ焦るのだが、私に至ってはすでに説明の出来る状態ではない。
「い、医者へ・・・」
 至急、近くの総合病院へ駆け込んだ。
 結果は盲腸。しかし、もう少し遅かったら腹膜炎を併発していたらしい。我慢も程々に、である。
 そんなこんなで次の日、すぐに手術となるわけだが、その際私が危惧していたのは『剃毛』である。まだウブである私はあのキレイな看護婦さんに私のナニをつままれジョリジョリされるのは何とも恥ずかしくて、しかも、もしそこでナニが元気になろうもんなら目も当てられない・・・そんなことを苦痛の中で考えていた。
 しかし、手術前に看護婦さんが事もなげに
「剃らなくてもいいみたい。良かったね」と私に報告した。どうやらまだウブな私のギャランドゥは手術の邪魔はしないらしい。私は「ホッ」と安心したのだが、何だか「フッ」と寂しい気持ちもよぎった。
 手術は程なく終わり、私の右腹には、そんなこんなの思い出と共に手術痕が残った。

 さて、もうここまでくれば私の言いたいことは解かるであろう。もし、今現在の私が『剃毛』はしなくてよい、とキレイな看護婦さんから言われたなら、土下座でも何でもして(金を払ってでも)
「お願いだから、剃ってください!何もやましい事なんぞありません、ただ、ただ、アナタに剃ってもらいたいのです!」
 そう叫びながら必死に懇願するであろう。
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さわやかな青年

2006-04-14 | 思い出
コンビニで働いていたときの話。
その彼は、早朝のまばゆい陽射しを受けながら、入り口のドアに手をかけ、颯爽と店内に入ると一直線にエロ本コーナーに向かった。そして数秒、目をこらしたのち、一冊のエロ本を手に取ると、まだ眠気から覚めやらぬまま、レジカウンターに突っ立っている私のもとへ軽やかな足取りでやって来た。
「お願いしまっす!」
ハキハキとしている彼に比べ、私は気だるい声で
「らっしゃいせぇー」
と応じた。
バーコードをとおすため、その雑誌の裏面をむけると、そこには裏表紙イッパイにあられもない格好でオッパイをあらわにした看護婦さんが、いた。
私の目は一気に覚めた。
あたふたと紙袋を取り出し、入れようとする私に、彼はじつに、さわやかに、
「あっ!このままでいいでっす!」
そう言って千円札を差し出した。
私は慇懃に千円札を受け取り、お釣りを渡し、
「ありがとうございます!」
と、普段あまり込めない真心を込めて接客した。
彼も笑顔で
「ありがとっ!」
そう言ってエロ本片手に店をあとにした。
そう、それはまるで、春風のようにさわやかな青年であった。
あの時、私が本当に彼に掛けたかった言葉は
「がんばれ!」
であった。
しかし、彼のような青年なら、自ずと頑張りを極めることであろう。私なんぞのように、被害妄想に惑わされることなく。
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野球拳

2006-03-13 | 思い出
 どこぞの市議員らが研修旅行でコンパニオンのオネィチャンと野球拳をして全裸にした、というニュースを今朝観た。それについて私が思うことといえば「なんとも羨ましい、俺もまぜろ!」と、それくらいである。税金がどうのこうのと云う気もおきない。ただ、このニュースで思い出したことがあるので、ちょっと書いてみることにする。少々長くなるが、私の青春の一ページである。

 『野球拳』

 昔、ゲームセンターの片隅に『野球拳』のゲームがあった。約三十センチ四方の画面に笑顔のオネィチャンが映し出されていて百円入れるとゲームスタートだ。
 ルールはいたって簡単。オネィチャンとジャンケンをして、こちらが勝てばオネィチャンが一枚ずつ着ているものを脱いでいき、こちらが負ければゲームオーバー。それだけのゲームだが、十六歳の僕らにとっては、とても刺激的なゲームであった。
 真夜中、退屈を持て余していた僕らは、夜毎そのゲーム機を取り囲み、青春の情熱と、百円玉を惜しげなく注ぎ込んでいた。
 大抵は下着止まりだ。だが、それが僕らのツボを一層刺激して鼻息を荒くさせる。
 そんなある日、僕らはついに一線を越え、大きな乳房を露わにしたオネィチャンと最後の戦いに挑むところまで、きた!
 取り囲む友人たちはといえば、熱狂し大声で声援を贈る者、静かに息(生唾)を呑む者、全身全霊をかけて神に祈る者、様々ではあるが、想いは一つ、
「絶対、勝て!」だ。
 きっと甲子園の雰囲気はこんな感じなんだろうなぁ。そんなことを思いながらも、僕だってそりゃ勝ちたい!産まれてこのかた、これ以上ないほどの集中力と(意味不明の)計算と神への祈り(これがいちばん強い)を凝縮して勝負に挑んだ。その結果、
『勝利!』
 僕達の若きボルテージは最高潮に達した。
 と、その瞬間あろうことかゲーム機が「ブゥン」と鈍い音をたてると同時に画面が真っ暗になり、唖然とする僕らにかまうことなく、画面が復帰し、スタート画面のボディコンを着込んだオネィチャンに戻っていた。
 僕らは信じられない出来事に遭遇したかの如く呆然とその場で立ち尽くしていた。しばらくして周りからはあからさまな溜め息、怒声、落胆の空気が押し寄せてきた。そんな中、一人の友人が
「係員を呼んでくる!」と云い出した。
 しかしUFOキャッチャーとはワケが違う。こんなエロゲーで係員なんて呼んだら、いい恥さらしだ。
「やめとけ、やめとけ」と憤る友人を押し止め、僕らは苦い青春の一ページを、その純粋な胸に刻み込んだ・・・。

 社会と云うものが多少解かってきた今なら、そりゃパンツの先はゲームオーバーだろうな、と妙に寛大な心で許せることもできるのだが、当時の僕らにとって女性のパンツの下というのは『宇宙の神秘』や『死後の世界』なんかより、ずっとずっと知りたい事柄だったのである。それを踏みにじられた僕らは、そのトラウマから抜け出せず、現在、尚一層オネィチャンたちに飽くなき追求心を抱いているワケだ。

 今日のニュースを観た純粋な少年たちが、
「役人になれば税金でオネィチャンと野球拳ができるんだ!」
 そんな夢を持ってくれれば、日本も安泰であろう。 
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忍者

2006-02-08 | 思い出
子供の頃、真剣に忍者になることを考えた。たぶん『忍者ハットリくん』の影響だろうが将来は忍者になるしかない!と頑なに思っていた。
『忍者入門』なる本を買ってもらい(今でもそんなバカげた本があるのかな…)折り紙で作った手裏剣を投げたり、腰から長い布を垂らして、地面につかないように全速力で走ったり、他人の家の塀によじ登りそこを歩いてみたり、意味もなく跳躍したり、子供ながらになかなかの修行をしていた。だが、いつの間にかそんなことはしなくなった。何かキッカケがあったのか、ただ単に飽きただけなのか、記憶は定かではない。
もし、あの頃から今まで修行を続けていたら、きっと相当なモンになっていたに違いない!それとも、ただの頭のイカレタ忍者狂のオッサンとして当局にマークされていたかも。どちらにしても、今さら忍者になろうとは、真剣には思えない。
子供の心と云うのは、ほんとうに、果てしない明日を目指しているんだなぁ…。
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