雲跳【うんちょう】

あの雲を跳び越えたなら

調理パンの噂

2022-04-14 | 思い出
中学校の購買で販売されていたパンで、調理パンというのがあった。
「調理」というほどでもないと思われるが、ハムカツにソース、そして卵サラダみたいなのが挟んであった。
これがまぁとにかく美味いのでよく食べていた。確か値段も安かったはず。
みんなからも愛され慕われている調理パンであったが、ある噂があった。
それは、調理パンを食べたあとの屁は臭くなる! というものだ。
いや、まあ、屁はたいがい臭いだろうが、なんか具材のコンビネーションでさらにかぐわしくなるのを多感な時期の僕らは見逃さなかったんだろうね。
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支配からの卒業

2022-03-25 | 思い出
卒業の思い出といえば、夜の校舎窓ガラス壊してまわったことくらいかな・・・嘘です。
とはいえ、あまり良い思い出もない。
小学校の卒業式のときは、途中で気分が悪くなり退出。
中学のときは、確か一刻も早くおさらばしたくて、感慨もへったくれもなく、そそくさと帰ったはず。
特に学校が好きだったわけでもないので思い入れもない。
マジで「卒業していったい何解ると言うのか」みたいな、やさぐれ感に包まれてた。
今にして思えば、きっと良いことも楽しいこともいっぱいあったんだと思うんだけれど、思えば思うほど後悔の念も増してくるので、前だけを向いていたい。
うんざりしながら、それでも過ごした、卒業までの日々。
もっとイイ子で行儀よく真面目でいたなら、思い出深い卒業を迎えられたのかな? まあそんなの出来やしなかったから、なんかクソみたいな思い出だ。
だからもう、それはそれでヨシとしよう、するしかない。
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それでもなんとか生きていけるよ

2022-02-05 | 思い出
んーん、受験かぁ・・・。
思い返してみても全く良き思い出が浮かばない。
家から近いからという理由で受験する高校を選んだら、担任の先生に「ふざけるな」と一喝された。もちろんそれは、お前ごときの脳みそで受かるところじゃねーんだ、バカ。ということであった。
で、ランクを底辺に落として受験に挑むんだから、じゃあ勉強しなくていいじゃん♪ て、バカがやりがちな自分を過大評価。もちろんチンプンカンプンだ。
面接でも舐めらんねぇようにわけのわからん気合入れてドン引きさせてさ、挙句の果てに帰りのバスで乗り物酔いしちゃって・・・。
んーん、今なら多少は真面目に取り組めるだろうけど、あの頃は無理だ。ホント、バカが服着て受験してるようなもんだから。
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クリスマスの思い出

2011-12-22 | 思い出
 クリスマスの思い出を記そう。
 
 そう、あれは中学生の時。男女の仲間でクリスマスパーティーなんかを開き、その当時こんな田舎にもちらほら進出してきた宅配ピザでも頼もうぜ、と言って「三十分過ぎたら半額」の惹句に、ウチへ辿り着くための道々のあちこちに、そこらへんにあった工事現場の『通行止め』の看板を置きまくったこと……。
 
 いや、そんなんじゃなくて……。

 そう、あれは初めて本格的に勤めだしたケーキ屋でのクリスマス・イヴ前日。まさに修羅の如くクリスマスケーキを作らされていたこと……。

 いや、そんなんではなくて……。

 青春の四年間、クリスマスは地獄でしかなかったケーキ屋を辞めて、ようやく世間一般的なラヴラヴクリスマスを過ごせると思っていたのに、どっこい肝心の相手がいなくて、世間を呪っていたクリスマス……。

 いや、そんなはずはない。

 今の女房とのクリスマス……さて、なんら思いあたらない。
 あるとしたら、毎年自分が駄々をこねて「クリスマスなんだからチキンとケーキがなきゃ話にならんよ!」と言って女房を呆れさせ、終いには「うちはクリスチャンじゃない!」などと怒られ、泣く泣く華やかなクリスマスを断念せざるを得ないと消沈しているのだが、それでも、毎年、ささやかながらも鶏の唐揚げだとか、ショートケーキなんかを用意しといてくれている。
 
 そんなところか。
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ドクロの指輪

2009-07-27 | 思い出
 7、8年前、兄貴の結婚披露宴が終わった後、兄貴の友人家族を車で送っていったことがある。そのとき、息子のY君(当時、5、6歳だったか)が、ダッシュボードに放り込まれていた『ドクロの指輪』にえらく興味を示した。
 その指輪は玩具菓子のオマケかなにかで、それほど高価なものではない。でも、わりと重量感もあって、なかなかしっかりした造りであった。
 私はY君に「いいだろ、これ。ロックの魂だ」と、見せてやる。
 彼はキラキラした眼差しで、鈍く浮き上がるドクロを見つめる。
 私はそれを彼のほうに差出し、「やるよ」と、少々気取って言った。
 彼は驚きの表情の後、満面の笑顔で「ありがとー!」と言って指輪を受け取った。
 たかだが玩具菓子のオマケだとも知らない両親も「ええっ! ホントにいいの?」などとうろたえたりする。
 私はニヒルな微笑と共に頷く。キマったな、これ。とか思いながら。


 それから久しく、Y君に会う機会がなかった(親父のほうのSさんとは度々、兄貴らと一緒に呑み散らかしたりしていた)のだが、今年のゴールデンウィークに会うことがあった。しばらく見ない間にすっかり身長が伸びた彼は、もう中学生だと言う。子供の成長とは凄まじいものである。
 すでに精通も始まっているであろう男子だ。さすがにそんな子供のときに何気なく貰ったおもちゃの指輪のことなんぞ忘れているだろう、と思っていたら、なんと彼は今年の正月に件の『ドクロの指輪』を引っ張り出してきて、私のことを色々と案じていたのだ、と言う。そのときの嬉しさと言ったら、筆舌に尽くし難い。

 彼の父、Sさんは類い稀なるミュージシャンである。その血を引くY君が、いずれギターを覚え、その『ドクロの指輪』を指に嵌めてライブなどに登場してくれたなら……私のロック・スピリッツは、これ以上ない狂喜に燃え上がり、ギターを奪い取って、燃やすか、それともアンプに突き刺すか、するであろう。
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鼻くそ

2009-07-05 | 思い出
 小学校の時分、クラスに一人か二人は鼻くそをほじくって食べてたヤツ、いませんでした?

 今日、車で信号待ちしているとき、何気にバックミラーで後ろの車を見ると、ちょっとイケメンなオニィサンが思いっきり鼻くそほじくっていた。さすがにそれを口に運ぶことはしなかったのだが、その光景を見て、小学校のクラスメートA君のことを思い出した。

 A君は、しょっちゅう鼻くそをほじくっていた。授業中も休み時間も、とにかく、気がつくとほじくっていた。どんだけ鼻くそあるんだよ、ってくらい、ほじくっていた。しかしA君は、そのほじくったブツを食べるわけではない。彼はほじくりとった獲物をことごとく椅子の裏になすりつけていた。
 掃除の時間などになり、机と椅子を下げる際、椅子をグルリと返して机の上に乗せて移動させるのだが、そのときにA君の椅子裏の『鼻くそアート』が白日の下にさらされる。その前衛的な作品にはクラス中が、呆れを通り越して、嫌悪感を抱いていた。

 しかしながら僕らは、それに対して、からかったり文句を言ったりはしなかった。もはや、人智を越えた凄みが、そこにあったから。

 そんなある日、授業中にA君が突然鼻血を出した。

 先生は突然のことに「お、おい! どうした!」と慌てふためいていたのだが、クラスのみんなは冷静に事の次第を悟っていた。

 
 鼻くそ、ほじり過ぎだってば……。

 
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兼六園

2009-01-12 | 思い出
 金沢の名所といえば、やはり兼六園であろう。(日本三大庭園だっけか?)

 他県から来る人の大半は立ち寄る場所ではないだろうか?もちろん、他県の人間ではなくとも、春になればその周辺は桜に囲まれ、夏には生き生きとした緑を放ち、秋には紅葉、冬には雪化粧を纏い、四季折々の情緒溢れる顔が望めるとあって、地元の人間もしきりに足を運ぶ。

 かく言う私も、幼い頃にはよく両親に連れられて兼六園に足を踏み入れたものだ。だがしかし、幼い子供にその情緒を解かれというのは酷な話で、そんなに楽しくもなく、だからこそ、そんなに思い出も思い入れもない。

 それでもひとつだけ、兼六園のことを思い出すことがある。それは成人式の日のことだ。
 かれこれ十四、五年前のことだが、私たちの通っていた学区の式場は尾山神社という街中に佇むわりと大きな神社の傍の文化ホールで行なわれた。昔から、この地域は成人の日は雪に見舞われる、という慣わしというか言い伝えというか伝説というか、そういったものがあって、この年もご他聞に洩れず雪が降り積もっていた。

 そんな中でも私たちは、世間的に大人として認められるこの日に昂揚しながら式に挑んだ。私たちは他の学区の連中などと一緒に大ホールに集められ、やがてなにやら偉い人が祝辞や訓辞を述べたりして、滞りなく式を終えると、各学区の成人たちに分かれ会議室のような部屋に用意された酒や食事を振舞われた。そこで親しいもの、親しかったもの同士、中学を卒業して以来の者などと、同窓会さながらのテンションで近況を言い合ったりしていた。やがて宴もたけなわの頃にお開きの声がかかると、まだまだ物足りない連中が集まって「今夜、街にくり出そう」という話になる。自然な流れだ。
 もちろん私もそれに乗っかって飲みに行くことにした。

 さて、それじゃあまぁ、一旦帰って、また夜に。ということになって他の連中とは別れたのだが、このときつるんでいた五人で、何故そういうことになったのか、誰から言い出したのか(私のような気もする)忘れたのだけれど、今から兼六園へ行こう!という話になった。ここからならタクシーを使えば十五分かそこら。バスでも行ける。なのに、何を考えているのだろう、五人は「歩く」ことを選択した。
 どうやら午前中で雪はやんだ模様だが、にわかに暖かくなったがゆえ、積もった雪が解けだし、もはや歩道はジャブジャブのグチョグチョの態。それでも私たちは歩いた。皆、慣れないスーツ姿に革靴で、一人は紋付袴で、およそ四十分強の道程を、ひたすら歩いた。
 それでも私たちは、楽しかった。それが、楽しかったのだ。

 兼六園は多くの人で踏み固められた積雪でツルツルしていて、そこかしこですっ転んでいる人がいた。私たちの中にも、いたはず。もしかしたら私だったかも?

 そして私たちは、そんな雪化粧を施した兼六園内で、名物の雪吊り(北陸特有の重く湿った雪から木の枝を守るための冬になると木のてっぺんから縄で枝々を縛り固定するもの)をバックに記念撮影をした。


 これが、私のいちばんの兼六園の思い出である。そして、この日以降、何度となく兼六園前は車で通っているが、園内には足を踏み入れてはいない。特に「見飽きた」とか「行き飽きた」とかではない。ましてや「つまらない」とか「興味がない」という訳でも、ない。
 機会があれば、また行きたいと思う。今ならば、また昔とは違った心象を持てるだろうと、思う。それでもなかなか足を延ばさないのは、近くにありすぎるから、行こうと思えばいつでも行けるから、そういった甘えに似た意識があるからだろう。私にとっての兼六園とは、そういう場所なのである。

 切実に、「兼六園に行きたい」と思うことは多分ないだろうけど、死ぬ前にもう一度くらい、行っておきたい場所ではある。
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カモメカモメボクノカチンカチン

2008-04-03 | 思い出
 って、『カ』を抜いて言ってみ?

「え~っとぉ・・・もめもめ、ぼくのちんちん・・・」

 イェーイ!


 って感じでガキの頃バカな友だちにちんちん揉まれませんでした?

「やーめーろーよー!」

 とか言いつつも、なんだか下腹部の辺りに言い知れない切なさを覚えませんでしたか?



 ないですか?そうですか?

 こりゃ失礼。

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ヨコヤマくん(仮名)

2007-12-11 | 思い出
「オマエ、将来エロ本会社の社長やなー」

 小学生のクセにやたらと性的知識が豊富だったヨコヤマくんは、よく皆からそう言われ、からかわれていた。

 しかし、中学生になり皆一様に思春期を迎え、いやおうなくエロスの壁にぶち当たり、女体の神秘に興味を持ち始めた頃には、ヨコヤマくんはちょっとしたヒーローとなっていた。

 そう、彼の家には、ようやく性に興味を持ち始めた純粋無垢な僕らには、まだまだ刺激が強すぎて、目を背けたくなるような、でも、もちろん背けられない、猥褻雑誌が多種多様にコレクションされていた。

 その頃僕らが目にするエロは、せいぜい親父が購読している『週刊ポスト』や『プレイボーイ』、たまにドリフやバカ殿で垣間見るサービス乳、くらいのものであって、本格的なエロ本『デラ・べっぴん』や『あっぷる通信』、『投稿写真』や『スコラ』、『エロ小説』『エロ漫画』の類いなどは、まさにバイブル(性書)の如く、その神々しさに、ただただ、ひれ伏すのみであった。

 ヨコヤマくんがそれらをどうやって収集したのか?一説によれば廃品回収の山から抜き取ったというモノもあるらしいのだが、大抵は僕らの近所から遠く離れた書店やエロ本の自動販売機で購入したものである。

 図らずも小学生の時に言われていた「エロ本会社の社長」とまではいかないものの「レンタルエロ本の元締め」になっていたことは、意外でもなんでもなく、当然の結果であろう。

 そんな彼の部屋は連日、熱くたぎる若さを持て余した少年たちが、かりそめの友達面を持ってして、集まっていたものだ。

「それにしても、こんだけのエロ本、よく母ちゃんに見つからねーなー」

 誰かが感心した口調で、しかし視線は小麦色の肌を凝視しながら言い放つ。

「あったりめーよ!ちゃんと考えて隠してあるからなー!そう簡単には見つからん」

 ヨコヤマくんは余裕の微笑みを湛え、自慢げに応える。どこにどうやって隠しているのかは教えてはくれなかったが、今にして思うには、所詮、中坊の浅はかなオツムで、しかも六畳にも満たない、いや、四畳半にも満たなかったかも知れない狭い部屋の中で、あれだけの量のエロ本を隠すとなると、ほぼ限定されるし、尚且つ、探そうと思えば十五分もかからないで見つけることは、いとも容易いことであったろう。然るに、私が思うには、ヨコヤマくんの母ちゃんはエロ本の存在は知っているけれど、あえて知らぬフリをしていたのだと思う、うん、きっとそうだ。

 そして僕らは、目ぼしいエロ本を何冊か見繕うと鼻の下を伸ばし、下半身の膨らみを気づかれぬように、満面の笑顔でレンタルさせていただく。レンタルといっても、もちろん、お金などは取らない。ヨコヤマくんはとてもいい奴なので、僕らのかりそめの友情に身を委ね、いつも快く承諾の意を表してくれていた。

 当時のエロ本は、今のように陰毛や肛門などは御法度だったので、局部周辺は黒く塗りつぶされていた。巷の噂ではその部分に酢を塗れば落ちる、だの、接着剤を塗り、乾かして剥がせばバッチリ、などとまことしやかに囁かれていた。真偽のほどはさて置き、(それはきっと輸入物の裏本などを油性マジックで塗りつぶしたモノに限ると思うのだが)明らかに印刷媒体である本にどんな抵抗を試みても悪あがきにしかならないと、誰もが解かっていて、何よりエロ本マスターのヨコヤマくんがいちばん解かっていたと思うのだが、ヨコヤマくんから借りたエロ本の黒塗り部分はことごとく努力の跡が垣間見えて、微笑ましくもあり、鬱陶しくもあった。

 そんなある日、いつものようにヨコヤマくんの家へ行くと、珍しく他の友人達の姿はなく、僕とヨコヤマくん二人きりで『エロスの館』に佇んでいた。
 なんだか自分独りではあからさまにエロ本を拝観するのも照れ臭くて、そこら辺にある『少年ジャンプ』などに目を通していた。しかし、気持ちは落ち着かず、ジャンプもそぞろ読みになってしまう。そんな僕の心境を見越したのか、ただ単にコレクションを自慢したかっただけなのか、ヨコヤマくんは「すげぇモン、見せてやるよ」と僕にとてつもなくイヤラシイ笑顔を向けてきたのだ。

 こ、この自信は!も、もしや、裏本か!?

 と、僕は期待に胸膨らませ、ついでに下半身も膨らませ、彼の手招く方へ近寄った。
 彼は弟と共有している二段ベッドの上段に昇るための階段に身体を預け、僕はその横で下段の柵に足を乗せ、必死に首を伸ばした。
 ヨコヤマくんは「覚悟はいいか?」と問うようにイヤラシイ眼差しをチラリと僕に向けると、徐に敷布団を捲った。

 そこから現れたのは、なんと、無修正局部バッチリ!の裏本!などではなく、『デラ・べっぴん』かナニかに付録として付いていた『浅倉舞』の等身大ヌードポスターであった・・・・。(もちろん陰毛はNG。パンツは穿いていた)

 僕は思わず、絶句してしまった。それを見たヨコヤマくんは「ふふん、どーよ?」みたいな自慢気な笑みを僕に向けて寄こす。
 僕はしばし判断に困りつつも、あぁ、こいつとはかりそめの友情だけで、本当に良かった・・・と、心から思った。
 
 それでも、「すげぇな」「毎晩、舞ちゃんとお楽しみかよー」「オレも欲しいー」などと一応、褒め殺しておいて、僕は借りるもん借りて、とっとと帰った。


 数日後、学校で浮かない顔のヨコヤマくんと廊下ですれ違い「よう!」と声を掛けると、「最悪・・・あの布団の下のポスター、母ちゃんに見つかってしこたま叱られたわ・・・」
 そう言って溜め息を吐くヨコヤマくんを、僕は心の中で「やっぱアホだな、コイツ」と呟き、せせら笑っておいた。

 それにしても、ヨコヤマくんの母ちゃんも、普通に机の引き出しやベッドの下、くらいに隠してあるエロ本には目を瞑れたものの、流石に布団の下から出てきた等身大ヌードポスターには、堪忍袋の緒が切れた、のだろう。いや、というより、我が息子ながら情けない・・・とか、あまりの変態性に息子の将来を悲観したりしてしまったのであろう。

 何にせよ、哀れなのは、叱られたヨコヤマくんではなく、そんな息子を持った母であることは、言うまでもないことであろう。
 そしてそれ以降、かりそめの友人達が、あまりヨコヤマくんの家に近づかなくなったことも、言うまでもないことであろう。
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トレンディードラマの影響でしょうね

2007-10-19 | 思い出
 十代の頃、ビールといえば、何かと『バドワイザー』や『クアーズ』『ハイネケン』などの輸入ビールを好んで呑んでいた。

 味なんかそっちのけで、その頃流行ってたドラマの中で三上博史やW浅野なんかの全くもって生活感のないお部屋に常備されていたビールに憧れて。。。

 二十代ともなり、本格的に呑みだすようになると、やれ「アサヒは辛いだけだ」やれ「サッポロは甘いな」やれ「サントリーは水っぽい」などとのたまって、とりあえず「キリンのこの苦さがいいんだよなー」とか解かったふうなことをほざきつつ、キリン派におさまった。

 そして結婚して、三十代の現在。キリンでもアサヒでもサッポロでもサントリーでも、とにかく呑めりゃあ何でもいいやー!
 もはやこだわりなどは皆無。発泡酒だろうが雑酒だろうが、第三だか第四だかのビールだとか、とにかく、酒や酒!酒もってこーい!
 という、有様である。

 もうかれこれ、十何年、輸入ビールは呑んでいない。いくらなんでも、十代のあの頃よりは多少、酒の味も判ってきたと思う。よし、今週末『バドワイザー』でも、呑んでみるか、とか思いつつも、値段を見たらきっと「なんだ、この値段なら国産のビール買ったほうがいいや」ってなるんだろうな、いや、絶対なる。

 決して不味くはなかったと思う。うろ覚えだが、ビール初心者にはかなり呑み易かったような気もする。

 でも結局は、その時のトレンディー(これって死語なの?)でしかなかったんだろうなぁ・・・と、韓国のインチキ発泡酒とかを呑みながら過去を振り返ったりしてみる。
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割礼

2007-06-21 | 思い出
【割礼】 陰茎の包皮を切りとる風習・儀式。


 今日仕事中、唐突に保育園の頃のことを思い出した。

 そう、僕の通っていた保育園では入園と同時に男の子たちは割礼を受けるのが古くからの習わしであった・・・。


 ハイ、嘘です。


 では、本題に入りましょう。

 あれは僕が年長組だった頃だ。その頃の僕らは人間の汚らしさや厭らしさ、世の中の醜さ、非道、日常と隣合せの悪業などなど、社会に蔓延する闇には目を向けることもなく、また、知ることもなく、ただただ無邪気に、よく遊び、よく食べ、よく寝て、笑ったり泣いたり怒ったり、ときには拗ねてみたりなどしながらも、日々の平和を謳歌していた。

 そんなある日、僕らの平和な園内に、恐ろしく悲痛な叫び声がこだました。それはまさに、銃で撃たれた獣が発する、嘆きとも怒りとも戸惑いともつかぬ獰猛な雄叫びであった。

 僕らの面倒を看ていた保育士さんたちは「何事か!」と、すぐさま声の上がった方へかけ向かっていった。
 幼い僕らも、恐怖心こそあれ、それに勝る好奇心によって身体が勝手に動いて、みんなでトタトタと保育士さんのあとをついていった。

 そして着いた先は、トイレ、であった。

 そこには、股間を押さえ悶絶し、泣きじゃくりながら床の上で身を縮こまらせている一つ年下のイシグロくんが、いた。

 そう、彼は、その穢れなきチンチンをチャックに挟み込んでしまっていたのだ!

 保育士さんたちは懸命にソレを外そうと試みるのだが、外そうとすればするほど、イシグロくんの痛烈な叫びと嗚咽が増すばかりで、皆一様に焦りを見せるばかりである。

 僕らもはじめのうちは「バカだー」と、嘲笑って見ていたのだが、イシグロくんの苦悶に歪む表情がますます酷くなってゆくにつれ、幼心にもこれはシャレにならんなぁ・・・と思ってきて、尚且つ保育士さんがいつになく尖った声で「あっち行ってなさい!」などと言い放つので、僕らは踵を反し、みんなでトタトタと教室へと走っていった。

 で、あるからして、僕はイシグロくんがその後どうなったのか、どうしたのかを、知らない。なんとか上手い具合に保育士さんが外したのか、それとも専門の病院へ向かったのか、はたまたレスキューの人などを呼んだりしたのか、結末は、僕らの知る由では、なかった。


 さて、そんなワケなので、もしも、この記事に憶えのあるイシグロくん、もしくはそんなイシグロくんを知っている方がいたなら、どうかご一報願いたい。
 
 あの後、君は、どうなったのか?どうしたのか?
 
 そして、イシグロくん。今、君のチンチンは、どんな塩梅だい?
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フェラーリルレロ

2007-04-10 | 思い出
 昔付き合ってた、ちょっと前歯が出気味の彼女。

 そんな彼女のフェラチオは、予想通り、時折ナニに歯が立って、ちょっぴりクセになっちゃう、そんなカンジでした。

 だからどーした?と、言われればそれまでですが、そんな、フェラチオ日和なんです☆
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SEX FOR YOU

2007-03-09 | 思い出
 オレの通っていた中学校で一度、昼食時の校内放送にてBUCK-TICKの『SEX FOR YOU』が流れたことがある。

 あの時のみんなのどよめきは、今でも忘れられん。

 誰がかけたのかは知らないが、粋な選曲であった。

 が、やっぱ途中で止められた・・・・。
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少年の詩

2007-02-13 | 思い出
 十五ん時だったかな?十六んなりたての頃だったかな?

 まぁ、そのへんの頃の話。

 昼間、友人のMと「今日は暑いのでYの家へ遊びに行こう!」と二人で出かけたんですよ。ちなみにMはバンドのドラムでYはギターです。(このときベースのDもいたんだっけか?そこんとこ、曖昧なので、とりあえず二人にしとく・・・いい加減?)
 で、なんで「暑いので」かと云うと、当時、自室にクーラー装備してたのはYの部屋だけだったもんで・・・。

 と、まぁ、そんなこんなでYのお家の付近まで辿り着くと、なにやら、聴きなれた音楽が、ガンガン鳴り響いていました。

 おおぅ、これは、THE BLUE HEARTSの『少年の詩』だよ。

 おいおい、ご近所迷惑だなぁ、まぁでも、昼間だからなぁ・・・と、僕ら二人は顔を見合わせ笑みをこぼしながら玄関に向かおうとした瞬間、どちらからともなく、その異変に気付いたのであります!

僕「お、おい・・こ、これって・・・」

M「あ、あぁ・・これは・・・」

二人同時に

「Yの声だよなー!」


 そうです、そうなのです!彼の家から大音量でご近所中に鳴り響いてる『少年の詩』はボーカルが甲本ヒロトではなく、Yだったのです!

 ちなみに『少年の詩』の歌詞はこんなんです。↓


 パパ、ママ、お早うございます
 今日は何から始めよう
 テーブルの上の ミルクこぼしたら
 ママの声が聞こえてくるかな

 1.2.3.4 5つ数えて
 バスケットシューズがはけたよ
 ドアを開けても 何も見つからない
 そこから遠くを 眺めてるだけじゃ

 別にグレてる訳じゃないんだ
 ただ このままじゃいけないってことに
 気付いただけさ

 そしてナイフを持って立ってた
 そしてナイフを持って立ってた
 そしてナイフを持って立ってた

 僕やっぱり勇気が足りない
「I LOVE YOU」が言えない
 言葉はいつでも クソッタレだけど
 僕だってちゃんと考えてるんだ

 どうにもならない事なんて
 どうにでもなっていい事
 先生たちは僕を不安にするけど
 それほど大切な言葉はなかった

 誰の事も恨んじゃいないよ
 ただ大人たちにほめられるような
 バカにはなりたくない

 そしてナイフを持って立ってた
 そしてナイフを持って立ってた
 そしてナイフを持って立ってた
 ナイフを持って立ってた

 少年の声は風に消されても
 ラララ・・・・ラララ・・・
 間違っちゃいない

 そしてナイフを持って立ってた
 そしてナイフを持って立ってた
 そしてナイフを持って立ってた

 そして!

 いろんな事が 思い通りに
 なったら いいのになぁ



 と、今聴いても、とても素晴らしい曲です。


 で、話を戻しますが、僕たち二人は玄関前でフリーズ・・・いや、聞き惚れていたワケではありません。ただ、躊躇してしまってね。

 だって・・・ナイフを持って立ってたら、いやだもん。

 僕らは暑さと戸惑いでヘンな汗を垂らしているというのに、Yときたら

「少年のーこーえーはー!風ーにぃ消ーさーれーてもー♪」

 って叫んでるし・・・そして消えてねーし・・・。


 沈黙を破ったのはどちらからだったかは忘れたけれど、とにかく僕らは

「行くか・・・」

 と、呟きつつ、彼の家に背を向け、涼を求めて新たな彷徨いに出かけたのでした。


 その後、この話は、僕らの間では伝説となって今なお語り継がれている次第であります。
 
 
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おーい、さびしんぼう・・・

2007-01-12 | 思い出
 富田靖子が好きだ。
 いや、正確に云うと、僕が18の時に恋をした女の子が富田靖子に似ていたんだ。だから、その女の子に似た富田靖子が好きなんだ。

 その子とは、たまに会うとくだらない話をしたり、一緒に犬の散歩をしてみたり、ただ、それだけの関係であって、「好き」って気持ちも伝えられないまま、いつしか疎遠になってしまった・・・。

 それから数年経って、風の噂でその子が『デキチャッタ結婚』(僕はこの言葉が、嫌いだ)したらしい、と耳に入ってきた。

 俄かには、信じられなかった・・・。

 そのまま、信じられないながらも時は過ぎ行き、僕の中の彼女の記憶も薄らいできたのに、この前、偶然、その彼女を見かけた。

 彼女は5、6才と思われる、とても可愛らしい女の子と手をつないで、近所のスーパーで買い物をしていた。

 僕の心臓は高鳴った。もう何年も経っているのに、ちっとも変わっていないよ・・・それどころか、すごく、綺麗になってる・・・。

 頭の中を真っ白にしたまま、僕は彼女を見つめていた。

 すると、彼女が不意に顔をこちらに向けた。

 一瞬、ほんの、一瞬、目が、合った。

 何故だろう?僕は、反射的に目を逸らしていた・・・・。

 
 そしてそのまま僕は、僕のすぐ横で夕飯の肴を何にしようかと頭を悩ませている今の僕の『さびしんぼう』に、とてもぎこちない仕草で、

「今晩は、どこかへ食べに行かないか?」

 と、誘ってみた。
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