孔子の理想とする人間像についてよく『仁』という言葉が出てくる。
一言に『仁』
といっても明確な解説はなされていないのだが、なんとなくニュアンスで感じ取るしかないのだろう。
「巧言令色、鮮なし仁」
さわやかな弁舌、人をそらさぬ対応、そんな手合いに限って仁には遠いとも言う。
「剛毅木訥、仁に近し」
剛直で無骨な人間は、仁に近しと言ったり。
孔子はこうも言っている
「仁とは愛することだ」
「人間として正しいことは、たとえ労多くして功少なしと知っていても、あえて実践するのが仁なのだ」
「日常生活では慎み深くすること、仕事を大切にすること、他人に対してはどこまでも誠意を尽くすこと、それが仁である」
ちなみに孔子の嫌いなタイプ
・他人の失敗を喜ぶ者
・部下として上司の陰口を叩く者
・ただの乱暴を勇気とはき違えている者
・独断を決断だと勘違いしている者
「情熱家だが、そのくせ手練手管を使う。愚直だが、そのくせこすっからい。
こういう連中には手の施しようがない」
「指導的立場にいながら寛容さを欠く者、儀礼を行う際に誠実さを失っている者、葬儀に参列するのに哀悼の気持ちを持たない者、このような人間はまったく評価に値しない」
こんなことばかり書いていると、宗教家みたいなイメージも持たれかねないが、
僕は無神論者で、平和主義者である。
ただ、僕に先人達の言葉や思いを考えさせる自分にしてくれたのは、仕事であり先輩達であり成功者達であり、逆に人を裏切った人達や失敗者達でもある。
テクニカル的にこなすのは仕事として素晴らしいことではあるが、まず人としてどうあるのか?僕はここに行きついたといっても過言ではない。
いくら科学や技術が発展・発達しても、それを使うのは人間なんだ。
それは、2,000年前でも千年後でも変わらない。
すべては、人の心に在るんじゃないかな
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