最近、お金についての節約術だとか、投資法やらなんやらHOWOTO本は星の数ほど出ているが、さて・・・
お金の使い方の本はあまりないなと思う。
所からして、売れないのかな。そういう本は。
まぁ、仕事柄、人生柄いろんな人と出会ってきたが、
お金の使い方のうまいなと思える人には、なかなか出会う機会がない。
逆を言えば、そういう人にひっついて色々と学びたいし、出会う努力をしていかなければならないなとも思う。
封建的な日本の文化風潮の中で、
先輩が後輩に対して面倒をみるというのはよくある光景だが、
ヤクザ社会や、職人の世界なんかは顕著に思える。
下の人間に労働を与え、搾取するとは聞こえが悪いがそういった構図は、資本主義経済の縮図ともいえるんじゃないかとも思う。
しかし、そこで労働を覚え、構図を覚え、人の扱いを身につけた人間は独立していくという流れも頷ける。
が、誰もがそういう流れの中で成功していくわけではなく、ごくごく一部の人間がそういう流れを継承できている。
なぜ、誰もが上手くいくわけじゃないのか?
それが、お金の使い方に起因しているといっても過言ではないのかなと、ここ最近思う。
なぜ使い方が重要なのかと言えば、
金を稼いで使う、使いたいというのは万人共通だろう。
がしかし、意味を持った使い方のできる人間はほとんどいない。
意味と言っても、寄付したりとかボランティアだとかそういうことではなく、
人を惹きつける使い方だ。
豪快な使いっぷりとか、大盤振る舞いとかそういうことでもない。
心に残る使い方、また、お金の使い方をも継承できるような振る舞いも大切なんだろうと思う。
自分だけが儲かればいいだとか、自分だけ使えればいいというのは論外で、
お金の使い方の上手いひとには、大勢のブレーンや部下がいるし、
また、そのブレーンや部下もその人のためならという思いがある。
器と言ってしまえば終わりだが、
じつは、ここは誰も教えてくれない。
その人の育ちや環境が大きく作用するわけだから、知り合う人の縁というのがどれほど重要なのかというところだ。
昔の自分なんか、誰かが大金を手にしたらおごってもらえるかなとか、金持ってるんだから出すのが当たり前だろうだとか、そんな卑しい考えを持っていた。
部下の手柄を自分の手柄にしたり、自分の金を確保してから人に分け与えるなどといった
醜い男だったと思う。
一番、心に残っているのが、人を使っていた時の自分だ。
金の切れ目は縁の切れ目なんて、本当にそうで、
金で人を使って、金に寄ってくる人しか集められなかった己の小ささである。
仕事が出来ていても所詮は私事であって、
志のない人間の集合体ほどもろいものはない。
それに、そういう会社が少ないということは、本当に学ぶべきものが欠落して経済的に成功してしまうという時代でもあるのかとも。
毎年、数万という会社が登記され、数年後には半分以下になっていくなんて統計も頷ける。
何のために儲けたいのか、儲ける必要があるのか?
自分が何か欲しいから。
遊びたいから。
原動力にはなるが、決して発展はしないし、人は付いてこない。
発展するには人は不可欠であり、人がいるから稼ぐこともできるし人がいるから思いは大きくなっていくんだろう。
ある社長が嘆いていた。
社員のためと思ってやってきたが、社員なんて信用できない。
平気で裏切るし、会社なんてなんとも思っていない。
だから、俺は社員のためになんてこれっぽちも考えたくない。
僕はこう考えた。
じゃあ、社員も同じように社長のことを考えているんだろうなって。
上手く説明できないんだけど、
絶対に作りたい会社がある。
甘いかもしれないし、理想かもしれない。
でも、絶対に作りたい。
人には役割がきっとある。
全部が全部できなくってもいい。
みんなで儲かればいいと思える会社。
相互扶助なんて神話的かもわからないが、みんなが一人のために、一人がみんなのために
だから真剣に
残業代がどうたらこうたら、交通費がどうの、時給が・・・そんな次元の低い話じゃなくて、もっともっと将来の夢を本気で語れる会社。
そのために、お金が必要なんだって最近やっとわかった。
お金は目標じゃない。
ただのバロメーター。
人生を謳歌するための潤滑油に過ぎない。