中世のある時に
二人のユダヤ人の乞食が、キリスト教王国フランスにやってきた
二人は生き延びていくために、お金を集めようと考えた
一人はユダヤ教の象徴のダビデの星を置いて、道端で恵みを乞うた
もう一人は、十字架を布の上に置いて、道行く人に恵みを乞うた
当時のフランスは、キリスト教徒が圧倒的に多く、当然十字架を置いた方に多くの硬貨が投げられた
十字架の方のユダヤ人にお金が貯まると、物陰でそのコインをダビデの星を置いているもう一人のユダヤ人に渡した
ダビデの星の方に硬貨が山と積まれ、十字架の方には全く無いという状況をわざと作った
たまたま通りかかったキリスト教の神父が、十字架の方の布には全く硬貨がないのに、ダビデの星には山ほど硬貨があるのを見て、
「これは、キリスト教の乞食の方よ、お可哀想に。キリスト教の神父である私がユダヤ人に負けないくらいにお金をお恵みさせていただきます。」
と言って
何枚ものコインを十字架の方の布に置いていった
こうした事を何日も繰り返して、二人は商売を始める元手を稼ぐ事ができた
とても深く、印象に残った話で
これが正しいかどうかは自分はわからないけど
人とお金を動かす 仕組み
としては、まごう事なき事実です
人々の心理を読み工夫し
お金を落とし続けるプラットフォームの作り方の教えとしては秀逸
ユダヤの教え
ただ、日本人は
こういうお金の稼ぎ方を嫌う傾向がある
もちろん、自分自身も違和感がある
だからこその教えなんだと解釈する
お金は額に汗して稼ぐものという思考により
ただ石を磨いただけで何万倍もの利益を取るようなやり方はフェアじゃないと否定する
切磋琢磨し正々堂々と競い合うスポーツではない
ある意味、お金を奪い合うのがビジネス
そういう側面も伝えてくれる
商売の根源のルールや物資、道具、ノウハウを押さえて、独自の仕組みを作り、競争に巻き込まれない環境を作り、ノウハウをブラックボックス化し、人には教えない
それがお金を稼ぐコツというか、考え方なんだという事はとても勉強になる
それがやりたいかどうかは別として
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます