たろうが亡くなってから10年。来月20日が命日。
10年経ってもまだ夜中の3時頃には目が醒めるし、辛い感覚も蘇る。
3時には毎日発作止めの座薬を入れていた。10年経っても体は記憶している。
この1年はお試しの集大成のような年だった。
なぎちゃんのこと、夫のこと、子どもの頃にさりげなく支えてくださった方々が次々天に帰り・・
義父母の介護問題は出て来たけれど、トイプードルの花が我が家の家族になり、目に見えない空気感が変わってきた。(犬との生活は子育てと正反対で四苦八苦ですが。犬って不思議ないきもの~)
障害者の支援センターのボランティアを通して巡り合った方々との何気ない会話や、野菜直売所のおばちゃんや大学の先生との何気ない会話や、花と散歩中に出会った人との会話や、友達との会話や
そんな平凡なことに幸せを感じるようになった。
たろうが亡くなった頃は、そんな平凡さが辛くて辛くてたまらなかったけれど、10年経った今、そんな普通さがしみじみ幸せなんだなぁと感じられるようになった。
この10年は、平凡な幸せを受け入れるということのレッスンだったのかも知れない。
何だかね、こんな普通な感覚って今までの人生になかったんだよね。人生の終盤にさしかかり、普通って幸せだなぁとしみじみ感じる。
でも、単純な幸せな気持ちとは違い、辛さや寂しさや孤独や怖れや、色んなことがたくさん詰まった幸せなんだよね。
今ここを生きる、ってよく聞くけれど、10年経ってようやく今、目に見える形でたろうが私の人生にいないことを受け入れられたのかも知れない。
それが受け入れられなかったら「今ここ」は生きられないものね。
「今ここ」を生きようと思って努力して生きられるものでもなく、生きているうちに生きられるようになるんだなぁ、というのが私の感じているところです。
10年経ってもまだ夜中の3時頃には目が醒めるし、辛い感覚も蘇る。
3時には毎日発作止めの座薬を入れていた。10年経っても体は記憶している。
この1年はお試しの集大成のような年だった。
なぎちゃんのこと、夫のこと、子どもの頃にさりげなく支えてくださった方々が次々天に帰り・・
義父母の介護問題は出て来たけれど、トイプードルの花が我が家の家族になり、目に見えない空気感が変わってきた。(犬との生活は子育てと正反対で四苦八苦ですが。犬って不思議ないきもの~)
障害者の支援センターのボランティアを通して巡り合った方々との何気ない会話や、野菜直売所のおばちゃんや大学の先生との何気ない会話や、花と散歩中に出会った人との会話や、友達との会話や
そんな平凡なことに幸せを感じるようになった。
たろうが亡くなった頃は、そんな平凡さが辛くて辛くてたまらなかったけれど、10年経った今、そんな普通さがしみじみ幸せなんだなぁと感じられるようになった。
この10年は、平凡な幸せを受け入れるということのレッスンだったのかも知れない。
何だかね、こんな普通な感覚って今までの人生になかったんだよね。人生の終盤にさしかかり、普通って幸せだなぁとしみじみ感じる。
でも、単純な幸せな気持ちとは違い、辛さや寂しさや孤独や怖れや、色んなことがたくさん詰まった幸せなんだよね。
今ここを生きる、ってよく聞くけれど、10年経ってようやく今、目に見える形でたろうが私の人生にいないことを受け入れられたのかも知れない。
それが受け入れられなかったら「今ここ」は生きられないものね。
「今ここ」を生きようと思って努力して生きられるものでもなく、生きているうちに生きられるようになるんだなぁ、というのが私の感じているところです。