香の幻想：ウィンターグリーン

　昼近くなった市内を走る路線バスの中、ふっと鼻につく湿布の匂い。窓から入ってきた風で気がついた。３列ほど前の席に松葉杖を抱えて足に大きく包帯を巻いた初老の男性がいた。オールバックにした前髪は半分以上白髪で覆われ口を真一文字に結んでいる。優先席は空いているが、その人は普通の一人掛けのシートに座っている。

　とある停留所でその人はブザーを押し、降りる準備をはじめた。このバスは全区間同一料金の前払い制。乗車する時運転士の脇のコインボックスにお金を入れ、車両中央にある出口から降りる。

　出口のステップは急で松葉杖を撞いて降りるのは見るからに大変そう。同じ停留所で降りようとしている女性が手をかそうかどうか躊躇していると、

　「どうぞ、負ぶさってください」

　いつの間にか運転士が外から廻り込んでステップのところまで来ていた。降りようとしている女性に一端松葉杖を預け、半ば強引に男性を背負ってステップを降りた。「すみませんね、このバスまだリフトが備わってないんですよ」とさわやかに詫びた。

　男性は笑顔で礼を言った。さっきの気難しそうな表情とは別人のよう。男性はかなり大柄。そして運転士はわりと小柄だった。一瞬とはいえ重たかっただろう。

　運転席に戻った運転士は何食わぬ顔で車を発車させた。バスの中にいた人たちの顔が心なしか皆微笑んでいるようだった。中でも運転士の顔が一番嬉しそうだった。

過去ログ：Goltherie

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