イスラエルとハマスの間で停戦合意が成立したのは喜ばしい限り。このまま戦火が収まってほしい。他方、私の中東歴史熱は収まる気配を見せず、今も古代オリエントの歴史書を読んでいるのだが……
中学の頃、世界史の参考書にアッシリア(現在のイラクの北部)の王様の名前として唯一書いてあった「チグラトピレセル」(現在は「ティグラトピレセル」と表記するようだ)がどうしても覚えられない。覚えるとっかかりがない。だが、当時は根性があった。しゃにむに暗記に努めたら覚えた。そうやって脳細胞に刻まれた「チグラトピレセル」は半世紀経った今でも忘れることはない。きっと、親の名前を忘れても「チグラトピレセル」は覚えているだろう。ところが、今読んでる歴史書にその名がいつ出るかとわくわくしながら読み進めても一向に出てこない。出てこないままアッシリアの章が終わってしまった。代わりに出てきた王様の名前が「シャムシ・アダド」「アッシュルバニパル」等々。別にググって得た情報によると、ティグラトピレセルは中興の祖ではあったが1番手で覚えるべき名前ではないようだ。私が必死で覚えた名前はそんな程度のモノだったのか。満足感は半世紀経って粉々である。この歳になって「シャムシ・アダド」などどうやって覚えられよう?
そうなると、件の世界史の参考書が恨めしい限り。だが、そういうものだ。「チグラトピレセル」はまだましである。作曲家や曲を解説した中学生向けの本を最近押入の奥から発掘して読んだら、リヒャルト・シュトラウスの代表的なオペラとして「サロメ」「エレクトラ」「バラの騎士」と並べて「グントラム」を挙げていた。よりによって、失敗作との呼び声高く、シュトラウスが自宅の庭にお墓を作って楽譜を埋めた「グントラム」を、である。しかも、「ナクソス島のアリアドネ」「影のない女」「アラベラ」等々の錚錚たる名曲を差し置いて、である。初演こそ失敗したが今では評価されて人気曲(「椿姫」のような)というわけでもない。今でも、上演されることはほとんどない。日本における中東の古代史やリヒャルト・シュトラウスに関する半世紀前の情報量がその程度のものだった、ということだろうか。
とぐだぐだ書いてるうちに、なんとなく「シャムシ・アダド」が覚えられそうな感じになってきた。なお、「アッシュルバニパル」については、そういう名の現役の競走馬がいるから、先に覚えられそうである。
因みに、シャムシ・アダド王はアムル人だという。おお、ウルトラQに出てきたアムール人か!と思ったら、あっちはケムール人だった。
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