台地シリーズは当初から23区の北東部を扱ってきたが、前回の大森貝塚は南東部だった。引き続き今回も南東部。ターゲットは三田段丘の「石段」である。そうでなくても23区の南と西は私にとって別の銀河系であるのみならず、三田段丘にはKOウニがある。この一事で私は窒息しそうなところを無理して歩いた理由はもっぱらタモリさんが推してるという噂の石段が最近の再開発で微妙なことになっているとの情報をゲットしたから、「健在」のうちにこの目で見ておきたいと思ったからである。
ということで、田町駅で下車して早速現地に向かう。桜田通りに出ると東京タワーが目に付いた。
この辺りのメルクマールなのだな。これまで歩いてきたところはスカイツリーだったが。やはり東京タワーはいい!色がいいし、カタチもいい……っと、ここで今回のルートのあらましを紹介しておこう。
三田段丘は、武蔵野台地の南東の端っこにあって、そこだけがぴょこたんと独立している。真田丸が大阪城の外郭にあって独立していたごとしである。
で、桜田通りを東京タワー寄りに少し歩くと、出た!KOウニ!
かねがね不思議だったのは、このKOウニの東門が他のビルに並んで狭苦しそうにしていること。ビルがキャンパス?さすが都会だとは思うけど、土のキャンパスはないの?田んぼが名称の某大学みたいな?と思ったら、この門の奥に広大なキャンパスが広がっていた。入口から覗くとすぐ高台になっていてその上におとぎ話に出てくるような校舎が建っているのが見えた。
なるほど、キャンパスは台地の上にあって、東門だけが台地の下にあるのだな。そのあたりのことは、台地の側面から見るとよく分かる。
崖が台地の法面であり、その上に校舎が建っている。間口が狭くて奥が広いなんて、まるで京都の町屋である。因みに、田んぼが名称の某大学もやはり台地の縁に建っていて、正門から入った先は坂道である。
さらに桜田通りを東京タワー寄りに進むと、左に上り坂が現れた。
台地の上に上る坂である。坂の途中には都立の三田ホッホシューレが見える。網の手引坂というのが坂の名称である。
この標識があるあたりが坂のてっぺん=台地の上であり、しばらく先に進むともう台地を下りる下り坂になる。
日向坂である。ここから少し戻ると、北側に下りる坂道がある。
神明坂である。さあ、目指す石段はこの先である。地図には石段に至るルートなど載ってない。勘を頼りに、路地に入って、何度かかくっかくっと曲がると、フェンスが行く手をはばみ、一見行き止まりのよう。だが、右手にちょろっと入る細道が目に入った。これだ。この先が目的の石段に違いない。で、進むと大当たり!
下の方では建設機械がうごめいていてなるほど再開発の工事中である。だが、石段は健在であった!それをこの目におさめた。めでたしめでたし!
……なのだが、ちょっと気になることが。これまで聞いたいた話では、石段の途中に踊り場があって、そこで、かっくんと右に折れて、すぐに左に折れて下に下りるはずである(こういう形状を「クランク」という)。だが、この階段は、踊り場らしき所で右に折れるはずの所がフェンスでふさがっていて、石段から一直線に金属製のいかにも応急で作りました風の階段が伸びている。
だから、「健在」と言ったが石段が健在なのは上半分だけ。クランクは消滅して下半分が新しく作り替えられるのだろうか?それとも、この金属製の階段は工事中だけの臨時の階段で、工事が終わったらクランクが復活するのだろうか。フェンスの合間から右側の様子を覗いてみると、
元の石段の下半分らしきものを視認できなかったことが気がかりである。
ま、とにかく一番下まで下りた。ここから先はまさに開発区域で臨時の通路が設けられていて、それが古川にかかる小山橋に通じている。その通路をちょっと行って階段を振り返るとこんな感じ。
階段の右側のフェンスで覆われている辺りは以前「小山湯」という銭湯があった場所である。タイムスリップして入ってみたい銭湯である。
臨時の通路に沿って歩くと、古川を渡る小山橋に出た。
こっちは上流側で、この先の渋谷区では渋谷川と呼ばれているそうな。原宿あたりでは暗渠という。そこも一度歩いてみたいと思っている。
同じ処から、台地を見上げるとこんな感じである(右端がさっき降りてきた階段辺り)。
やはり台地である。ただし、三田段丘の高さは20メートル以下で、近傍の台地よりは高さが足りないそうである。
この日はこれでおしまい。痛風の病み上がりだから歩く距離をなるべく少なくするためすぐに地下鉄に乗ろうと最寄りの駅を探したら麻布十番駅。
え?ここらへんてあのおハイソな「麻布」だったの?と思うと、歩いている人も駅のホームにいる人もみんなセレブに見えてくる「外国人」のワタクシであった。そう、私にとっての国境は隅田川である。
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