ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

ここと外

2011-11-13 18:51:50 | Weblog
マフラーが編み上がった。
先日、同僚に「意外にかわいい」と言われた布団カバーの上に乗せてみた。
単に、IKEAで一番安いカバーがこれだった、というだけなのだけど。



こういう単純作業をしながら、あれこれ考えるのが好きだ。
仕事で、なんだか納得いかないというか、消化不良だったことを考え、
気持ちを整理していく。
そんな時間がないと、1週間は長くてつらい。

最近、中国人の上司から、いろいろと会社の方向性とか、
新しい人材の募集のことなどの話を聞くと、すごく違和感を覚える。

だから、ここは中国だし、中国の会社だから、
中国人のあなたたちが考えたようにやればいいと思うけれど、
私は納得がいかないので、私の周囲にいる日本人の同僚に対する態度としては、
私はあなたたちの方法に従わず、自分の思った通りにやる、と、言い返している。

全体主義による恐怖の時代は、日中ともにあったと思う。
日本は第二次大戦のとき、中国は文革のとき。
でも、その超え方が、まったく違うと思う。

日本では、第二次大戦のときに多くの人の命が失われた。
南方戦線での消耗戦は、まさに人命の消耗戦だったし、
軍隊は、同郷の人で編成されることが多かったから、
戦地においても地縁の結束は強かったのだろうと思う。
ある人は弾にあたり、ある人は餓死した。
生き残ったことを申し訳なく思いながら戦後を過ごした人もたくさんいた。

だから、日本の社会保障や企業の終身雇用制は生まれたんだと思う。
命に軽重があってはならない。
決して個人を見殺しにしてはいけないと。

だから、アメリカから、いろいろと押し付けられたけれど、
アメリカのような社会にはならず、日本独自の発展を遂げた。
敗戦によって憲法や政権が大きく変わったので、
みなが一時代の被害者として気持ちを切り替え、やり直すこともできた。

ただし、世代交替が進み、その制度が「あたりまえ」のこととなると、
もちろんいろいろな弊害も出てくる。
戦後が確実に終わった3月11日の震災の結果、
どのような社会に変わっていくのか。
これは本当に大きな転換期なのだろうと思う。

中国では文革のときに、自分の故郷で、隣人が隣人を攻撃した。
多くの命が失われ、その人数はいまもって正確に把握されていないだろう。
日本のように、遠い南の海で人が亡くなったのではない。
まさに「ここ」で、だった。

中国の会社の内情は、あまりよくわからないけれど、
総じて、人材は使い捨て、上からの数字目標だけが非常に重いような印象を受ける。
民間企業の人は、終身雇用ではなく、数年単位の契約をする。
そして社会保障も、まだまだ整っていない。

だから、会社のためというよりは、自分のために働く。
自分にとって無駄だと思えることは、会社の指示でもやらない。
それに、上からの命令もコロコロ変わる。

つまり、明日「ここ」に住めなくなったときに、
逃げるだけのお金を用意しておくこと、
行った先の土地でも生きていけるスキルをもっている人が賢い、
ということなんだろうと思う。

日本のように、内地に帰ったら、
あたたかい故郷(総じて幻想で、そんなにやさしくはないけれど)があり、
恐怖は外にある、と思っている人たちと、
いつ恐怖が「ここ」に生まれるかわからないから、
逃げる用意はいつでもしている、という人たちとでは、
おのずと会社や同僚に対する考え方も変わってくる。

会社にいる中国人の上司たちは、同じ中国人の仲間すら、決して信じない。
信じてはいけない、と思っているように思う。

同じアジアの国だけれど、本当に違うなあと思う。

チェロ

2011-11-13 00:01:31 | Weblog
朝からバッチリ仕事をして、そのあとはドイツづくし。

ドイツ系の家電屋でデジカメを見て、
ドイツビールとウインナーをいただき、
きわめつけに、ベルリンフィルの12人のチェリストたちのコンサートを聴きに行った。

チェロで、こんなに豊かな表現ができるとは思っていなかったので、
眠くなるどころか、どんどん脳内アドレナリンが分泌されて、
いい具合に覚醒して、気持ちもよくなって、
中休みの時間には、思わず「かっこいい~!!!」と一緒に行った人と喜んでしまった。

聴きにきていたのは、欧米人と中国人。日本人は一緒に行った友人以外は見かけなかった。
中国人は、非常にマナーが悪いと聴いていたけれど、
さすがに今日の演奏を聴きにくる人となると、
それなりにチケットも高いし、なんとなく中国ではないと思えるくらいに静か。

貧乏揺すり、種かじり、痰吐き等はなかった。
細かい私語はあり。
あと、咳は相変わらず手で口を押さえずにする。

やはり、携帯やデジカメを取り出して撮影しようとする人はいたけれど、
後ろからビーム攻撃を受けていた。

つまり、赤や青のビームを液晶部分に当てるので、
思わずひっこめてしまう、という音が出なくて、効果がある方法だ。
それでもやめない人がいたけれど、周囲からも止められていた。

まあ、言うことをきかない人はどこの国にもいる。

それにしても、この演奏を上海で聴けるとは。
いい時代になったものだ。