昨日から、中国の新浪微博(中国版ツイッター)をやっている。
当面、会社の同僚をフォローする気はなくて、チベット仏教のコミュニティなどを
ぶらぶらしてみようと思っている。
漢民族でも、チベット仏教に興味をもっている人はいて、
結構盛り上がっているようだ。
ただし、民族主義とは関係ない、文化としての仏教のよう。表面的には。
これからもっとディープな人にめぐり会って行くかもしれない。
ツイッターでフォローしている何人かの中国人を探したのだけれど、
微博では見つからなかった。
まあ、そういうことなんだろうなあ。
どうせつたない中国語だからバレることなので、
最初から、上海在住の日本人であることを明かしている。
イヤな書込みが来るようだったら、アカウントを削除すればすむことだ。
さて、中国人は中国語で読むことができないような内容でも、
日本語ではちゃんと読むことができる。
今日読み終わったのは『私の西域、君の東トルキスタン』(王力雄著、広集舎刊)。
ウズベキスタンで、「新疆ウイグル自治区」と言っても、誰にも通じなかったけど、
「East Turkestan」と言ったら、全員に通じた。
著者の王氏が取材でウイグルの土地を旅していた頃、
ちょうど私も北京留学中で、夏休みにはシルクロードに行った。
ウイグル人による民族独立運動で外国人には封鎖されている土地もあったし、
出発前にいろいろな人から「巻き込まれないように気をつけて」と言われた。
でも、実際にその地に行ってみると、
オアシスは、ゆっくりとやさしく時を刻んでいて、
山からの雪解け水を大切に使いながら歌い踊る人たちと、
ぶどうの木陰が美しい街並だった。
漢民族が少ないところほど、共産党的な無機質な建物も少なく美しかった。
移民政策がこれだけ進んでしまった今、
単に「漢民族は内地に帰って、ここはウイグルの土地」と言っても、
確かに実現は難しいだろうと思う。
漢民族の人口は、内地で支えるには多過ぎるし。
そういえば数年前に内モンゴルのフフホトに行った時、
90年代初頭と違って、漢民族の街になったと思った。
モンゴル文字をほとんど見かけず、人々が話している言葉も漢語だった。
すでに、ウルムチもそうなっていると聞く。
私はこれまで、今まで行った中で一番美しかった街はトルファンと答えてきたけれど、
きっともう、私の思い出の中のトルファンとは違ってしまっているんだろう。
当面、会社の同僚をフォローする気はなくて、チベット仏教のコミュニティなどを
ぶらぶらしてみようと思っている。
漢民族でも、チベット仏教に興味をもっている人はいて、
結構盛り上がっているようだ。
ただし、民族主義とは関係ない、文化としての仏教のよう。表面的には。
これからもっとディープな人にめぐり会って行くかもしれない。
ツイッターでフォローしている何人かの中国人を探したのだけれど、
微博では見つからなかった。
まあ、そういうことなんだろうなあ。
どうせつたない中国語だからバレることなので、
最初から、上海在住の日本人であることを明かしている。
イヤな書込みが来るようだったら、アカウントを削除すればすむことだ。
さて、中国人は中国語で読むことができないような内容でも、
日本語ではちゃんと読むことができる。
今日読み終わったのは『私の西域、君の東トルキスタン』(王力雄著、広集舎刊)。
ウズベキスタンで、「新疆ウイグル自治区」と言っても、誰にも通じなかったけど、
「East Turkestan」と言ったら、全員に通じた。
著者の王氏が取材でウイグルの土地を旅していた頃、
ちょうど私も北京留学中で、夏休みにはシルクロードに行った。
ウイグル人による民族独立運動で外国人には封鎖されている土地もあったし、
出発前にいろいろな人から「巻き込まれないように気をつけて」と言われた。
でも、実際にその地に行ってみると、
オアシスは、ゆっくりとやさしく時を刻んでいて、
山からの雪解け水を大切に使いながら歌い踊る人たちと、
ぶどうの木陰が美しい街並だった。
漢民族が少ないところほど、共産党的な無機質な建物も少なく美しかった。
移民政策がこれだけ進んでしまった今、
単に「漢民族は内地に帰って、ここはウイグルの土地」と言っても、
確かに実現は難しいだろうと思う。
漢民族の人口は、内地で支えるには多過ぎるし。
そういえば数年前に内モンゴルのフフホトに行った時、
90年代初頭と違って、漢民族の街になったと思った。
モンゴル文字をほとんど見かけず、人々が話している言葉も漢語だった。
すでに、ウルムチもそうなっていると聞く。
私はこれまで、今まで行った中で一番美しかった街はトルファンと答えてきたけれど、
きっともう、私の思い出の中のトルファンとは違ってしまっているんだろう。