ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

もやもや

2012-03-10 15:21:03 | Weblog
当然のことながら、仕事で何かを広げようと思うと、
日本だろうが上海だろうが、壁にあたる。
そもそも、そこに壁があるから、これまでは止まっていたわけなので、
壁を抜けようと思ったら、方法を考え、広げる努力をすることから始まる。

そして、壁は、
国の制度だったり、会社の仕組みだったり、習慣の違いだったり、
人の心の障壁だったりする。

ここのところ、仕事でもがいてみてる。
上海に来て、中国人オーナーの会社に入って8ヶ月が過ぎ、
なんとなく管理職っぽいボジションに就いたのだけれど、
日本と大きく勝手が違って、日本とは違う意味でもやもやすることがある。
そもそも日本の会社にも馴染めなかったから、いまここにいるわけなので、
しっくりこない感があるのは、私の性格が一番の原因。

で、もやもやの理由。
それは、オーナーが、会社の数字を開示しない、ということ。
日本でも、お金はそんなにクリアにされない。
特にオーナー企業の場合、お金回りが至極不鮮明なことはよくあるし、二重帳簿も普通だ。
中国でも、うまく脱税できないようなオーナーは無能と言われるし、
そもそもオーナーになれないだろう。

でも、日本の場合は、表面上の基準であったとしても、
なんとなく予算や売上目標、責任の範囲が各人に明確に示される。
そこの会社で働く限りは、売上や利益にある程度の責任をもつのは当然だ。

でも、中国は少し違うみたいだ。
ほんの一部の、ある意味同族の人だけがすべてを握り、
社員には、単なる売上目標が各論で課せられるのみ。
しかも、底辺の社員には、その各論すら伝えられず、
いつでも調整可能な人員としてのポジションに置いておかれるし、
会社の情報が漏洩しないように情報自体を開示されない。
面談と言うと、目標設定ではなくて、まるで踏み絵を踏まされるような内容だ。

そして、会社に具体的な方向性を質問すると、
「儲かったら待遇をよくするから」という話しか、未来のビジョンとして示されない。
「どうやって儲けるんですか?」という問いには、精神論の回答が戻ってくるばかりなので、
なんだか、戦前の大本営発表を聞いているみたいだなあ、と思えることも多い。

中国人なら、それでいいのかもしれない。
でも、私は日本人だし、どうしたらいいか困る。
最初は、中国は資本主義の経験が短いからしょうがないと思っていたけれど、
でもなんとなく、最近は、
これがグローバルスタンダードに近いんじゃないかと思えてきた。

バブル崩壊後に社会人になった私は、すでに身体の奥底まで
「原価意識」がしみこんでいる。
何かを業務として行う時、売上と原価を考えずに、
単に「楽しそうだから」で進めることもできなければ、
「面倒そうだから」で諦めることもできない。

自分のことだけであれば、線引きすることができる。
会社から必要とされている利益はこのくらいで、
それは、この程度やればクリアできるのだけれど、
私は「好きだから、やりたいから、たとえ無償でも、休日をつぶしてでもやる」と、思える。
たとえ、いま、お金の基準がなくても、これまでの経験でなんとなく決めることができる。

ただし、趣味ではなくて業務である以上、他人や他社の協力を必要とする。
相手は日本人や日本企業であることが多いから、
相手も乗ってくれるような理由をいろいろと仕組みとして考えるわけだけれど、
具体的な数字の話ができず、中国的な華やかな面子の話が多い限り、
日本企業との溝は深いと思える。

ただ、最近、ふと振り返って、
日本人は、底辺にまで責任を求めすぎるんじゃないか、と思えてきた。

中国も、たぶんアメリカも、
底辺の人間にまで、原価意識を徹底させようなんて、考えてないと思う。
それぞれが、好きなことをやったらいい。
あなたがやりたいことが会社の利益に繋がるのなら、うちにいて。
でも、繋がらないのなら去って。
いずれにしても個人の責任。
ただ、それだけ。

だから、どこまで打ち込もうが、それは個人の自由。
アプローチ方法も個人の自由。
誰が決めたのかわからないような企業理念に、
一生かけて責任を感じる必要なんてない。
そもそも、経営者じゃないんだから。

でも、日本の場合はそうはいかない。
会社の目標が前面にですぎて、自分が一個人としてやりたいことを考えないようにしてる。
だから、まず、
残業代が出ないならやらないとか、会社に尽くす必要はないとか、
そういう言葉から業務にアプローチしてしまう。
そもそも、そんなに頑張っても、上はつかえているし、
いまだに男尊女卑だし、年功序列が普通。
無理して失敗しないほうがいい。

戦後、みなが平等になって、
機会はある程度は均等になったけれど、責任は均等ではない。
そして、結果も均等ではない。

中国の国営企業出身者と日本人は、比較的同じことを言う。

ミク

2012-03-10 00:31:47 | Weblog
今日は、3月9日。
友人に誘ってもらって、「初音ミク大感謝祭」に行ってきた。

19時からだと思っていたら、それは日本時間の19時で、
上海の18時スタートだった・・・。

会場内はすごい盛り上がりだし、みんな初音ミクの歌をよく知っている。



ついに、人間がボーカロイドの生演奏をし、
前座をつとめるようになったか、と、不思議な気持ち。

それにしても、東京の会場は、いったいどんなだったんだろう。
あの映像技術、すごい。



全部最初から仕組まれたプログラムなのに、
どこでファンが盛り上がるかもわかっていて、
まるで初音ミクと意思疎通ができるかのような間合いで進んで行く。

バーチャルだけれど、生きている。
そんな不思議なコンサートだった。

会場を出たら、中国のオタクの誰かが乗ってきた痛車が並んでいた。



違うオタク曰く「不拍照不行」。
「撮らなきゃダメだろ」ぐらいな感じだろうか。

オタクは、どこの国も同じ格好、同じ雰囲気。
世界共通の世界。

でも、すごく楽しかった。


まるくなる

2012-03-08 23:20:15 | Weblog
そういえば、去年の今ごろは、
ロシアはサンクトペテルブルクを歩いていたのだった。
1年経つのが早い。

今日、仕事で会った日本人の顔が、誰かに似ていると思って、
「誰だっけな~」と考えながら話していたら、
ふと、非常に苦手としている人の顔に似ているのだと気づいた。

なかなか思い出さなかったくらいだから、
不思議と嫌悪感はなく、
「そういえばあの人も、かわいい顔をするときがあったんだよな~」と
相手の笑顔を見ながら、懐かしく思ったりした。

人の記憶なんて、そんなもんなんだろう。
そして私も、少しは人間がまるくなってきたのだろうか。

そういえば、少しくらい社内がごたついていたり、
仕事の進み具合がスムーズでなくても、
むかしのようにイライラしなくなった。
ただし、大事なことを忘れることも増えてしまった。

もし、私がむかしのように日本企業で働いていて、
その駐在員として上海に来ていたら、
やっぱり、イライラが継続していたんだろうなあ、と、
思えることもある。

シルクロード

2012-03-08 00:17:14 | Weblog
今日は、ヨーヨーマとシルクロードアンサンブルを聞きに、
上海大劇院まで行ってきた。

開演前の舞台。



音が幾重にも生み出されていくようで、すごくよかった。
音が後から後から追いかけてきて、そして、気持ちは少し先に行っていて、
それでいて、仲間とタイミングがあう。

この先読みの感じが、いかにも音楽ならではの印象で、すごくいい。
やっぱり音楽の魅力はライブだ。

が、ただひとつ、
ハープ系の楽器が来ていなかったのが、少し残念。
むかし、「新・シルクロード」の曲を演奏していたときは、
ハープの音がすごくきれいで印象的だったような気がするから。

あと、メロディラインが追えないような、
弦楽器を弾いて使う曲は、基本的に苦手なんだと再認識。
これは個人の好みの問題。

そして、ブログを書きながら、「新・シルクロード」の曲を聞く。
やっぱり秀逸だ。

いつか、ヨーヨーマのブラームスのチェロとチェロのソナタを聞きに行きたい。
高校生の頃、ひとりで家にいるときに、本当に心細かったときに、よく聞いた。

情熱的なタンゴではなくて、ブラームスだったからよかった。
表現は何通りもあって、信頼関係もそれぞれで、
人を愛する距離感も、それぞれでいいと思った。
それが自分の心であれば。

私がいちばん自分の血を憎んでいたときに、救ってくれた。
音楽には、本当に、そんな力がある。
さて、シルクロードの一人旅に行きたくなってきたな。

そして、ブラームスを聴き始めた。
今晩はもう仕事をしないで寝てもいいだろうか。
というか、もう仕事をしないで寝るんだけど。

たまに過去から逃げたくなって、
猛烈に仕事をしようとか、似合わないことを考えて、
そんなときに、ひょんなことから、昔よく聞いていた曲を聞き始めて、
逃げたくても逃げられないから、せめて寝ちまえ、と思ったりする。

寝られるだけ、精神的に安定しているとも言えるのが、せめてもの救い。

2012-03-06 23:32:33 | Weblog
中国の野良犬には、ぶさいくな犬が多い。
顔がつぶれている系で、胴長&短足。
チャウチャウが小さくなりました、という感じ。
そして、毛もあまりきれいではないので、総じてあまりさわりたくない。

が、今日は、なかなかの美形に会った。
野良犬なのかどうか・・・、首輪していないからわからない。



でも、人を怖がってもいなかったから、きっとどこかの飼い犬だろう。
ただし、愛想も無かった。シッポを振らないし。
まあ、飼い主の中国人に似たのだろう。

久しぶりに太陽が出たからか、
朝の公園には、太極拳をやる人たちが集まっていた。



そして、旗のように洗濯物が干されている通り。
色とりどりのぶらさがっているものは、すべて誰かの洗濯物。



どうやら明日からまた雨のようなので、みんないっせいに干した模様。

宴のあと

2012-03-06 01:44:20 | Weblog
今日は、異業種交流会という名のもとの飲み会に行き、
かわいらしい女性に会った。

上海で、自分の力で行きている女性は、
ある意味で強く、ある意味で弱い。
それを、包み隠さず表現する人だった。

そういう女性は大好きだ。
その、自分を持て余している感が、すごく好きだ。

そして、いつの頃からか私は、そんな女性にもてるようになった。
これは、私が自分の老いと、ちゃんと向きあっているからではないかと、
勝手に自画自賛している。

女性は、同じ女性の、無理に若づくりしている人に反発を覚える。
半面、自分の老いをユーモアとして、
たったひとつの自分の老いとして、
その表現を楽しんでいる人のことを好きになると思う。

女性は常に、若く美しくありたい。
そうすることによって男性が振り向いてくれるし、
何よりも自分のなかにある女性らしさを、受け止めることができるから。

男性に女性と見られていないのに、
かつ自分自身のなかでは女性であること、
それを受け止めた上で女性であるという覚悟は、
単なる容姿を超えた何かをもっていないと、
なかなか保つことができないものだ。
普通の女性はなかなかそこまでいけない。

さて、この先どこへゆくかな。
そんなことを考える宴であった。

机上の空論め

2012-03-05 01:38:09 | Weblog
1992年に書かれた本のようなので、
後だしジャンケンになるのはわかっているけれど、
久しぶりに、しっくりこない本だった。
『歴史の終わり』(フランシス・フクヤマ著、三笠書房刊)

ソビエトが崩壊して「勝利宣言」したかった時期なのは、
なんとなくわかる。
93年に北京に留学していた頃も、アメリカ人留学生のノリは、
「みんなアメリカに憧れるからさ、真似されてまいっちゃうよ。
 俺たちのノリが世界でナンバーワンじゃん」みたいな感じだったから。

ナチスによるホロコーストは、特異な例で検討にあたいしないのか。
まるで、アメリカは核兵器を使ったことがないかのような書きぶりだけど、
核は冷戦時代の抑止力になる前に、
広島と長崎で実際にアメリカによって、無差別殺人兵器として使われたことがあるんだけど。

そして20年後のいま。
本の中で語られているような日本の経済力は、もう過去のもので、
中国は天安門事件のあとも、やっぱり共産党による一党独裁が続いていて、
「革命」で多くの少数民族が殺されており・・・、
911のあとのアメリカは、すっかり自信をなくしていたりするわけだし、
EUもかな~り、無理が出ているし。

ということで、哲学者による机上の空論は、かくももろい、と思わせられた。

それにしても、世界にとって、
日本の戦後の復興がどれだけ驚きに満ちたものだったのか、
再認識させられた。

日本が復興を遂げた時期、
その礎を築いた人たちは、戦前の教育を受けた私の祖父母の世代だった。
日本の明治維新後の国つくりは、戦争という道に進んだわけだけれど、
でもやはり、日本人の気質をよく考えた上での、
自分たちで作り上げたすごい教育システムだったのだろうと思う。

日本に帰ると、道ゆく人の顔が暗くて、「あれれ?」と思うこともあるのだけれど、
海外にいるとやはり、日本は黄金の国ジパングに見えるのだ。
それはやはり、第一に自然が美しいこと。
そして第二に、人が礼儀正しいこと。

自然に対する敬意と、家庭の躾は、
どんな歴史の流れにあっても、忘れちゃいけない日本の宝だと思う。

横断幕

2012-03-04 17:39:56 | Weblog
昨晩の雨は、けっこう本降りだったので、
相変わらずアパートのひさしにあたる雨粒の音がうるさく、
夜中に何度も起こされた。

中国人たちは、本当にこんな音の中でも熟睡できるのだろうか。
まあ、できるんだろうな、と思いつつ、なかなか信じられない。
でも、日本人も、つい何十年か前までは、大音響でも熟睡できたのかもしれないな。

さて、昨日の散歩で、見つけた横断幕。
上海市黄浦区政府に対する抗議。



黄浦区政府が、法廷でいかさまをやりやがった。
政府のやり方は横暴だ。借地権を返せ!

みたいなことが書いてある。
こんな内容を貼り出しても怒られないんだなあ。

むかし留学していた頃の北京には、
偉大なる毛沢東思想、とか、
雷峰さんを見習おう! みたいなスローガンが街中に貼られていたけれど、
いまはもう、そういうものも少なくなった。

農村に行くと、一人っ子政策のスローガンは見かけるけれど、
思想的な内容はめっきり減ったと思う。

これがまた、ウイグルやチベットに行くと、全然違うんだろうな。

散歩

2012-03-03 19:13:31 | Weblog
お昼ごろ雨があがったので、仕事の調べ物がてら散歩に出掛けた。

久しぶりに見かけた路上床屋。



お婆さんがつくろいものをしている隣で、
おじいさんは髪を切ってもらい、
そのまた向こうでは、洋服の寸法直しのおばさんが、ミシンをまわす。

懐かしい光景。
まだ上海の中心でも、一本入ると残っているんだ。

きっと室内はリフォームされてきれいだろうけど、外側は昔の面影。
洗い場が外にあるアパート。



振り向けば、大胆に洗濯物が干されている。
雨が上がったから。
明日も雨みたいだし、みんな束の間の曇り空に、洗濯物を出していた。



門が素敵な洋館。
アメリカ領事館の近く。



なんだかんだ言って、最後に頼りになるのは日本領事館ではなくてアメリカ領事館だから、
場所はちゃんと覚えておこう。

イラン領事館の裏手には、大きなアンテナがあった。
いったい、何を受信してるの?



思わず、以前シルクロードで見たゾロアスター教の祭壇を思い出した窓。
スペイン風建築と書かれていた。



椿のつぼみも色づく。



さて、夕飯食べて、もう一仕事するか。

かしら

2012-03-03 01:47:36 | Weblog
いま江戸川乱歩の作品を読んでいる。
あの頃の小説だなあ、と思うポイントは、
男性のセリフで、「○○かしら」という言い回しがあるところ。
作家によっては、「○○かしらん」になっていたりする。
そこで、作者の意図とは別に、くすりと笑えてしまう。

仮に、病弱で両親以外の人と話したことがない男の子が、
すごい江戸川乱歩のファンだった場合、
やっぱり、語尾に「かしら」をつけるようになるのだろうか。

少年マンガが好きな中国人の女性が、
「ねえ、メシ、くった?」と、非常に愛らしい笑みを浮かべながら
日本人に話しかけてしまうように。

きっと私も、へんな中国語で話してるんだろうなあ。
中国語の場合、語尾で性差が大きく出ることはないとはいえ。

上海で初音ミクのコンサートがあるようなんだけど、
ボーカロイドのコンサートって、いったいどんななんだろう。