豚も杓子も。

私にすれば上出来じゃん!と開き直って、日々新たに生活しています。

ひとやまの

2009年06月28日 | Weblog
くろだかり・・・?
う~~ん、違うけどわかるなあ。

そんな言葉もちりばめて行われた桂文珍さんの全国47都道府県独演会に行ってきました。昔々のバラエティ番組「ヤングOH!OH!」でちょっとシャイな落語家さんとしてその存在を知り、以後は情報番組の司会なども軽妙にされているお姿を見かけていましたが、最近は本業の落語に邁進されているご様子。昨年から全国を駆け巡る独演会をされているのだそうです。
今回の演し物は、「七段目」、「大風呂敷」そして「粗忽長屋」。枕と呼ばれる導入部分にはタイムリーな話題も織り込んで、本当に面白く聞かせていただきました。表情の細かいところまでわかるお席で聞けたせいか、テレビで拝見するよりもまっすぐな文珍さんを見せていただけたような気がします。語りだけでこれだけの聴衆を引き込んでいくなんて本当にすごいことだなあと感心しました。たくさんの人が楽しい時間を過ごさせてもらえたと思います。
会場では、10日間連続の独演会の模様を記録したDVDも紹介されていましたが、その演目のどれもに工夫があり、観てみたいものが沢山ありました。「老婆の休日・・」とかね。

最後の「粗忽長屋」の中では、自身還暦を過ぎられたということで、「時々、生きているのか死んでいるのか、わからなくなる気持ちになりますなあ・・」と話されていました。これは誰にもあることだとは思いますが、私も最近しばしば感じる心持なのです。人通りの多いところに出ると、ふっと周りの風景を俯瞰気味に捉えている自分を感じます。意識だけで眺めているような、実感のわかない周りの風景に、ひょっとして、すでに違う世界から景色を見ているのかもしれないのかも?という錯覚にとらわれてしまうことがあるのです。
自分の目を通して見ているには実感に乏しい、夢か現かわからない瞬間。これは、どういうことなのでしょうね。文珍さんのおっしゃったことが、まったく同じ現象とはいえないですが、似たようなことを経験されているのだなあと思った次第です。

それはそうと、「ひとやまのくろだかり」のような言葉で、最近、二度続けて聞いたのが、「ばんきたいせい」!
うん、これも何気なく聞き流してしまいますね。
でも、晩期に大成することもあるんじゃないかなあ?