大僧正行尊
もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし
父は三条天皇の孫・源基平。なので三条源氏というマイナーな血統になる。
園城寺で出家し、後には延暦寺の座主にもなる。
ちなみに園城寺と延暦寺はともに天台宗の寺だが、両者の仲は歴史的に非常に悪く、互いに焼き討ちにする間柄でもある。
園城寺は大友氏が開いた寺とされるが、天智天皇のあとを継いだ弘文天皇(大友皇子)が関係しているとも言われている。
鳥羽天皇・崇徳天皇からの信頼が厚かったが、実は崇徳天皇期までは崇徳の曽祖父にあたる白河上皇の院政期にあたる。
百人一首の並びはほぼ時代順になっているが、この行尊は1055年生まれで、行尊の前の
相模は生没年不詳だが、その相模の前の
藤原定頼は1045年に死去しているので、ここだけ非常に間が空いている。百人一首の並びについで調べるのも研究として面白いかもしれない。