特別な訓練とステレオタイプ

2022年02月28日 22時43分05秒 | 意見・物申す
ウクライナとロシアの戦闘には兵士の死者が出ているらしい。
こういった紛争になると兵士の死者は多少なりとも出るだろうと思ってしまうけど、
その兵士にも家族がいるわけで、報道のたった一言の裏には色々な人の悲しい出来事が潜んでいる。

しかしながら兵士だからある適度仕方がないという思いが少しは無いだろうか?
その証拠に犠牲者が民間人だとあえて“‘民間人の死者”と説明が加えられて別枠で取り扱われたりする。
報道を見てて思うのだが彼らは人を殺すことや自らの死について特別な訓練を受けたりしてるのだろうか??

さて次元は違うけど医療従事者に置き換えてみる。
医療従事者は高い倫理観が求められる・・・これは私も否定はしない。
殆どの人が普通に大学なり学校なりを卒業して今の医療現場の職に就いて、そして突然高い倫理観を要求される。
だけど自分もそうだけど特別な訓練など受けたこともない。
特別な訓練もなければ、それに見合う報酬もない。これってどうなんだろう?
それにしても、なぜ医療従事者だから高い倫理観が必要という風潮になるのだろ?
逆に言えば医療従事者でなければそこまで倫理観は必要はないのか?そうではないだろう。
どうも最近、こういった自分の中で腑に落ちないことがモヤモヤとしている。

ニュースを見てて警察官が不正を働いて逮捕された時は「警察官なのに?」って思うし
教師が教え子に手を出した時なんかは「聖職者なのに?」なんて思ってしまう。
どうもステレオタイプな感じだ。


だけど警察官にしろ教師にしろ、いきなりそういう職についただけで
世の中は思ったほど訓練されたものでなく、そういうイメージで作り上げられているだけ。
皆、それぞれその役割を演じているに過ぎないのでは?そう考えるようになった。

昔見た映画のESがまさにそう。


あらすじはこんな感じ
スタンフォード大学心理学部ではある実験をするため、被験者となってくれる男性を公募した。
集まった20名ほどの被験者は無作為に「看守役」と「囚人役」に分けられ、学内に設けられた模擬刑務所に収容された。
初めはそれぞれの役を演じるだけの簡単なアルバイトと誰もが考えていた。
しかし、実験が進むうち、「看守役」の攻撃的な振る舞いはどんどんエスカレートしていく。
それに対して、「囚人役」は卑屈に服従するのみで、まったく抗議できなくなっていく。
いつしか、模擬刑務所内は単なる実験の枠組みを越えて、もはや誰にも制御不能の状態に陥っていく……。


さて最近、このステレオタイプな感じにどうも嫌気がさしてきている。
あと何十年も医療従事者を演じなければいけないのだけど、果たして務まるのかどうか?
もちろんやってて良かったと思うことが多いけど、どうもすり減ることが多い。

話は戻るけどロシアとウクライナの兵士もそう。
彼らもいつまで兵士を演じることができるのだろうか?
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