ある団体から食品衛生講習会の講師を依頼されて、穴守稲荷神社の近くにある施設で講演してきました。穴守稲荷駅は羽田からの帰り京急に乗ると必ず止まる駅で、興味を持っていた場所です。降りるのは初めてで、駅前にはコンちゃんがいました。
講演を終えて駅に向かう途中穴守稲荷神社に寄ってみました。参道です。自転車に乗っている方がいらっしゃいますが、この方が次の写真にも出てきます。
手水場で手を清めて本殿に向かっていました。
参道から入った右手には
神楽殿があり、その前に盆踊りの櫓が組んでありました。これを見る付け、踊りはその昔から延々と引き継がれていることを実感しました。由緒書きを探したのですが見当たりませんでした。駅に戻りかけましたが、途中で引き返し駅に近い方の鳥居のところに行き、ようやく見つけることができました。
駐車場で、お稲荷様の鳥居の工事のために使われていた場所にありました。
穴守稲荷神社は、HPを翻訳してみると、文化元年の頃(西暦1804年頃)鈴木新田(現在の空港内)を開墾の際に、沿岸の堤防はしばしば激浪のために害を被りました。ある時、堤防の腹部に大穴ができ、ここから海水が侵入しそうになりました。そこで村民等が相計り堤上に一祠を勧請し、祀ったのか稲荷大神です。これが当社の草創期の出来事です。以来、神霊の御加護あらたかにして風浪の害もなく、五穀豊穣だったそうです。穴守とは「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う稲荷大神」だということです。そもそも稲荷大神は、伊勢の外宮に祀られる豊受姫命にあり、衣食住の三要を守ってくれる最も尊き大神だそうです。ですから私たちは一日たりともこの大神の恩顧を蒙らぬ日はなくて、実に神徳広大なものです。
明治以来、大正・昭和を通じて、隆盛を極めました。参拝は日夜とも多く来場者があり境内は踵を接するほどの混雑ぶりでした。崇敬者は国内は勿論、遠く海外にも及びました。ですが昭和二十年八月終戦は、敗戦と云う未曾有の大混乱となり、この時、米軍による羽田空港拡張の為、従来あった場所(東京国際空港内)より四十八時間以内の強制退去せよと命ぜられます。同年九月、地元崇敬者有志による熱意の奉仕により境内地七百坪が寄進され、仮社殿を復興再建しました。現在地(大田区羽田五丁目2番)に遷座することになりました。以来、崇敬者各位の協力により、社殿・奥宮・神楽殿・社務所・展示場・神輿庫・納札所等復興し、現在も境内整備を実施しており、漸次昔日の面影を取り戻しつつあります。ということのようです。