茅ヶ崎にある施設を訪問しました。3回目だと思いますが、ほとんど周りを散策したことはありませんでした。今回はこの間広島に行ったときに訪れた、厳島神社と同じ名前の神社が近くにあるということで、散策してみました。北口を出てしばらく歩くと着くと思っていましたが、着いたのは円蔵寺でした。寺は文安2年(1445)に没した善誉が中興の祖であると伝えられている。もとは本村5丁目にあったが大正12年(1923)の関東大地震で倒壊し、昭和4年に現在地に移設したということだそうです。
本堂、少し離れたところに、こんなものがありました。
護国忠魂碑の脇にいるのは乃木希助大将だそうです。こちらは203高地「血染めの岩」だそうです。神社なら国粋主義的なことはわかりますが、お寺は平和の象徴だと思っていましたが、これでは戦争にうなされて安心してねむれないと思いました。迷ってたどり着いたところですが、目的地の厳島神社はなかなか見つかりませんでしたが、
駅に戻る途中で見つけました。
厳島大神とは、天照大御神と須佐之男命との誓約(うけひ)の際にお生まれた五男三女の神々のうち、初めに生まれた姫神様達の総称だそうです。須佐之男命の御子神で、別称を宗像三柱の神ともいわれ、福岡県宗像神社(旧官幣大社)の祭神で、安芸の宮島・厳島神社(旧官幣中社)にも祀られていて、全国に6千カ所もあるようです。拝殿です。
拝殿の右側に
御末社 石神弁天社 当神社の沿革を担う社の一つで、茅ケ崎市元町十四番五号の水沢氏宅地内にて祀られ、水沢家の手にて守られていたが、昭和六十年に天皇陛下御在位六十年並びに茅ケ崎駅の橋上駅舎竣工を記念して境内に移したようです。と
こちらは妙音弁財天 弁天様という別称で古くから親しまれていた縁をもちて、八角の神池の中にその御神像を昭和五十六年に祀り、琵琶持つお姿にちなみ妙音弁財天と名付けられ、音楽芸能の導きの御神として御神徳を広めているということです。