ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

土佐稲荷神社・大阪市西区

2014年11月21日 23時19分52秒 | 訪問地周辺散策

大阪出張で新幹線で向かいました。新幹線に乗る時は富士山をぜひ写そうと思っていて、晴れて山が見えるときは撮っています。

出張初日は大阪市の西区にある施設を訪問しました。行く前に地図をみていたら近くに神社があるというので、仕事を終えた後寄ってみました。なんとなく横道から入った気がしますが、狐さんがいっぱいいました。

神社の起源は、「江戸時代、土佐藩の大阪蔵屋敷に隣接する長堀川(現在の長堀通)鰹座橋のほとりに神社が祀られていました。この神社に土佐藩第6代藩主、山内豊隆が、京都の伏見稲荷から稲荷大神を観請し、土佐稲荷神社としました。以来、土佐藩邸、蔵屋敷の守護神として崇められ、山内家は参勤の際には必ず立ち寄り参拝するようになりました。明治になって、廃藩置県後、藩営事業を継承した岩崎彌太郎がこの地を取得した後も、三菱の守護神として崇められました。その後、郷社に列せられ広く「土佐稲荷」の呼称で親しまれるようになりました。」ということのようです。主祭神は宇賀御魂大神ですが、宇賀(宇迦)には「食」の意味があり、食料を司るとされ、こと穀物、農業の生産豊穣を守護する神様だそうです。また、豊受毘売神(読み方)とも同神といわれており、国の発展に大切な農産守護神であると同時に、すべての生成産業、殖産興業活動の神として、全国的に崇められるようになったそうです。 

三菱の守護神ということで、三菱広報委員会のPHによると「土佐稲荷は、桜の名所として江戸時代の観光ガイド『攝津名所圖會(せっつめいしょずえ)大成』にも紹介されている。
   当時、土佐藩邸の北側には長堀川が東西に流れており、藩は大坂蔵屋敷に国元の鰹節や材木などを運び、大坂商人を介し特産品を全国に流通させていた。現在も残る白髪橋(しらがばし)は土佐の白髪山(しらがやま)の材木を下ろした場所、鰹座橋(かつおざばし)は土佐の鰹節問屋が並んでいた場所とされる。
   この鰹座橋の脇に古くから神社が祀られていた。ここに土佐藩第6代藩主・山内豊隆が京都の伏見稲荷から稲荷大神を勧請(かんじょう)したのが、土佐稲荷神社の起源とされる。以来、土佐藩邸と蔵屋敷の守護神として土佐稲荷神社は崇(あが)められた。
   幕末、藩は藩直営の土佐商会を長崎に設立、支社を大坂に置いた。三菱創始者の岩崎彌太郎は明治2年(1869)、土佐藩開成館大坂出張所に赴任。大坂藩邸の責任者となるが、藩邸や蔵屋敷は商人からの借入金の担保となっていた。政府の藩営事業禁止令に先立ち、明治3年に九十九商会を創立すると、彌太郎はこれを監督。藩の借金と事業、藩邸と蔵屋敷を受け継ぐ。その後、三川商会、三菱商会と改名、本社を東京に移して敷地を大阪市に譲渡した後も、彌太郎は土佐稲荷を三菱の守護神とした。」と書かれていました。

土佐稲荷神社境内の末社です。石宮社は海上安全の守護神だそうです。当日は犬を散歩しながら宮参りをしている方がいて犬が先に房に飛びついていました

後ろに見えるマンションも土佐屋敷の跡地だそうです。
また、若宮社は諸芸上達、合格祈願、縁結びに参詣する人が多くいるそうです。こちらは磐居社狐の奥になにやら動くものが、少し寒かったのでネコさんが身を寄せ合っていました。脇道から入ったので、正面の方に向かってみました。

公園の中には平和の像が立っていました。境内や前の公園には桜が植えてあり紅葉していましたが、ここは桜の名所でもあるようです。

 

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