ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

青山善光寺(南命山善光寺=港区北青山)江戸名所図会めぐり

2017年09月17日 21時58分49秒 | 江戸名所図会めぐり

前にも仕事の途中で散策したことがりましたが、神宮前にある会場で開かれる勉強会に行く途中、江戸名所図会めぐりとして再度訪れてみました。江戸切絵図より

これまでにオレンジのところは散策しました、今回は赤の善光寺です。

表参道(左手下の十字路)から向かったので参道の脇に秋葉神社がありました。

★ランドマーク秋葉神社:1824年紀伊国屋文左衛門が深川に隠栖の後、歓請したという秋葉神社が表参道入り口に移転してきたものです。境内掲示より:当神社は金王八幡宮の域外末社と称せられた。文政十年(一八二七)六月の創立といわれ、昔は青山善光寺境内で鎮守本社として奉祭したが、明治維新後、神仏判然の別により同寺院より分割された。祭神は稲荷大神・秋葉大神・御嶽大神(木曽の御嶽)三神を奉斎するがゆえに三社さまとも、また秋葉神社とも俗称する。青山の鎮守としてもっぱら火防神として尊崇されている。とされています.

 

こちらが信州善光寺別院、南命山善光寺です。

山門です。

山門にある風神

雷神です

こちらが本堂です。

★ランドマーク青山善光寺:善光寺の建立は、慶長6年、信州善光寺大本願上人の宿院にして、浄土宗の尼寺でした。

 善光寺第109世が、家康公に請願し江戸谷中に7500坪の地を寄付されたので、初めて迦藍の建立が実現しました。しかし、元禄16年11月29日に小石川水戸邸から発した大火により、消失しましたが寛永2年に心誉知善上人(享保12年7月21日没)が現在の地に、間口75間、奥行100間の地を授かり、新たに堂宇を建営してその年の12月に完成しました。

そして、文永2年12月5日、また火災に遭い再建はしたものの大正4年9月に再建し、同9年5月に落成を告げるまで元来の姿でした。この時再建したものが現在の迦藍です。本道前の広場は江戸時代から、かなり大きな建物であったことが伺い知ることが出来るでしょう。(青山表通商店会のPHより)江戸名所図会より、前の通りは現在の青山通りです。三社宮とか書かれているあたりが秋葉神社でしょうか

左手に手水舎、奥に酔芙蓉がピンクに染まっています。

無縁塔の中にある庚申塔です。

続いて

宝篋印塔

高野長英の碑です。

高野長英先生(1804年―1850年)

先生は岩手県水沢に生れ長崎でオランダ語と医学をおさめ西洋の科学と文化の進歩しておることを知り発奮してこれらの学術を我国に早く広めようと貧苦の中に学徳を積んだ開国の先覚者である 

  その間に多くの門人を教え又訳書や著書八十余を作ったが「夢物語」で幕府の疑いを受け遂に禁獄の身となり四十七才で不幸な最後をとげた 最後の処は今の青山南町六丁目四三の隠れ家で遺体の行方もわからなかったが明治参壱年先生に正四位が贈られたので同郷人等が発起してこの寺に勝海舟の文の碑を建てた処昭和戦災で大部分こわれた

よってここに残った元の碑の一部を保存し再建する

 昭和三十九年十月

朝詣礼賛碑

地蔵堂

如意輪観音像と石仏

前回2014年3月に訪問したときはネコさんが歓迎してくれました。

酔芙蓉は今年一番きれいに撮れました。

コメント
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