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戦死した兵士らを記念して、今年も多くの人々がガリポリに集まった

2019年04月26日 | 国際
4月28日 25日朝、オーストラリアとニュージーランドから来た人々が、第一次世界大戦のガリポリの戦の104周年を記念するため、チャナッカレ県ガリポリ半島のアンザク湾で行われた“暁の式典”に出席しました。

 Hurriyet

オーストラリア人とニュージーランド人は、8か月間の作戦の始まりを記念する恒例の“暁の式典”のために、ダーダネルズ海峡を見渡す古戦場にやってきました。参加者たちは寒さの中、寝袋や毛布にくるまって一夜を過ごし、式の始まりを待ちました。

エルドアン大統領も、ガリポリの戦いで命を落とした兵士たちに讃辞を送り、戦時中に国民の間に育まれた“友情のメッセージ”を守るために、ガリポリに来るよう呼びかけました。大統領はメッセージで「今日、私たちはチャナッカレの戦で命を落とした諸国の兵士たちすべてを顕彰します」と言いました。「私はチャナッカレの戦が、共通の痛みを、友情と愛と平和のツールに変える好例となるよう望みます」

「アンザック・デーを機会に、私たちはわが国を訪れた方々を通じて、平和をくり返し呼びかけます」と、エルドアン大統領は言いました。「私たちは新たな戦いを起こさず、次の世代を平和な世界を渡す責任があります」

4月25日のアンザク・デーには、多くのアンザク軍の子孫たちがトルコを訪れ、戦死した兵士たちの霊を慰め、何十年間にわたって育まれた国家間の友情を記念します。

第一次世界大戦中、トルコが連合軍と戦ったチャナッカレの戦は、トルコの転機となりました。何千何万のトルコ国民と兵士がなくなり、何千人ものヨーロッパ人と、7000~8000人のオーストラリア人と3000人のニュージーランド人もなくなりました。

・・・ANZACとはオーストラリア・ニュージーランド軍団の意。第一次世界大戦中、1915年4月25日、オーストラリアとニュージーランド連合軍がトルコの首都イスタンブルを占領しようと、トルコのガリポリに上陸しました。激戦8か月、トルコ軍は連合軍を撃退し、トルコの独立を守りました。


ホテル料金の高騰で、財布に優しいキャンプ休暇が人気に

値上がりするホテルはパスして、財布に優しいキャンプ休暇を選ぶトルコ人が増えています。

 Hurriyet

テントなどキャンプ用品の売れ行きが約2倍になったそうです。需要に応えて、キャンプ用品売り場をひろげた店もあります。トルコリラの下落で、外国人ツーリストがトルコに群がりはじめたため、ホテルの値段が高騰し、トルコ人の間にこのトレンドが生まれました。

トルコ人旅行者はまず、比較的低料金の文化的観光旅行に目を向けます。しかし、休暇を海辺で過ごしたい人々は、キャンプを選択します。キャンプならアウトドアライフのための食糧を買うくらいで、お金のかからない休暇が楽しめます。


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イスタンブル・スルタナメット広場に今年もチューリップのカーペット

2019年04月26日 | 経済
4月26日 25日、イスタンブル新市長エクレム・イマムオール氏の就任とともに、世界最大のチューリップのカーペットがスルタナメット広場に敷かれました。

 Hurriyet


イスタンブル市が毎年、チューリップ祭の一環として披露しているチューリップのカーペットは、今年、5年目になります。約144平米のカーペットは、64万本のチューリップでつくられ、トルコの伝統的な敷物の柄がデザインされていると、わが国最大の球根植物生産会社「アスヴァ・ラーレ」の報道係コルクト・イエトギンさんが言いました。

コンヤを拠点にする同社は、今年、カーペットに使われるチューリップすべてを供給しました。チューリップ・カーペットは、「アスヴァ・ラーレ」の従業員が市の職員を手伝って、花を1輪1輪植えて織りあげました。完成には2日半かかり、費用は120万リラかかったと、イエトギンさんは言いました。イスタンブル市はこれを、世界最大のチューリップ・カーペット費として計上しました。

チューリップ・カーペットは、ブルーモスクやアヤソフィアのあるスルタナメット広場で、4月30日まで一般に公開されます。イマムオール市長は、4月25日正午前の開場式に出席し、その写真をツイートしました。今回の選挙で、共和人民党(CHP)のイマムオール氏がイスタンブル市長の座を勝ち取ったので、新市長にとっては初のチューリップ祭となりました。

イスタンブルのチューリップ祭は4月1日から30日までです。チューリップ祭中は、市内の多くの広場や公園など、さまざまな場所でチューリップを満喫できます。


DNA研究でアナトリアにヨーロッパ人の痕跡が

中央アナトリア・コンヤ県の新石器時代の居住地チャタルホユクで発掘された出土物をDNA調査した結果、アナトリア人とヨーロッパ人の遺伝的類似性が明らかになりました。

 Hurriyet

ポーランド国立科学センターの支援で行われ、2人のトルコ人学者が関与したこの研究は、遺伝学雑誌GENESに掲載されました。「チャタルホユクを含む中央アナトリアのグループは、マルマラ地方の人々と最も近い類似性を有し、反対に、レヴァント地方(地中海東部地方)の人々との類似性は乏しい。われわれが発見した物は、新石器時代にアナトリア半島に出現し拡大した人々に関する仮説を裏づけ、その過程における中央アナトリアの重要な役割を強調している」と研究レポートは言っています。

ヨーロッパ文化の基盤はチャタルホユクにあると論じるメフメト・オズドーアン教授は、発見した物が考古学上の発見を強化してきたと言いました。「われわれはすでに、考古学的研究によって、この状況を確認している。移民や、文化的影響や、婚姻によって、ヨーロッパとの相互の影響があったことは明らかである。DNAの調査結果は、考古学的、科学的データを確認してくれた。移民はBC7400年代に始まり、何千年もつづいた」

また、人々が農耕を始めた新石器時代、人間社会は母権制で、地母神を崇拝してきたというのが定説で、チャタルホユクでも母権制社会が優勢だった言われていましたが、最近の研究ではこれが覆されました。


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