「何か1つ」を見つける毎日(⌒‐⌒)

自然と神様と猫と木と音楽、、それからそれから、、( - ө - )

シロキさんからマジマさん💨 Y田下宿から始まった13

2020-06-09 08:47:17 | Y田下宿から始まった😼
美人でおしとやかなイメージがあるシロキさんだが、そのイメージとは裏腹の「意外な一面」を持っていることが少しずつわかってきた。彼女は後にバンバと、仁義なき戦いを始めるのだが、戦う時の作戦も、なかなかの頭脳プレーを展開するのだった。
「あの婆さん、、結構口うるさいわよね、細かいし」シロキさんが、笑みをたたえながら言う。そう言えばシロキさんは、いつも穏やかな表情で微かに笑っているかのようだった。バンバの事も、内容的には相当厳しい内容なのに、雰囲気がなにしろセレブな感じなので、そのギャップに私はいつも戸惑った。「はあ、確かに少し、、」私が答えるや否やシロキさんが返す「少しじゃないわよ、サツコは今年入ったばかりだからまだわからないでしょうけれど、あのお婆さんはお金にも結構細かいの」お金( ゚д゚)ハッ!?知らんがなあ、第一、下宿代払ってんのは親だし、、。戸惑いながらシロキさんを見つめると「まあ徐々にね(^^)教えてあげるし、サツコもそのうちわかってくるわよ。それより、ケーキ食べない?美味しいシフォンケーキがあるのよ、私が焼いたいたの。」そう言ってシフォンケーキを出してきてくれた。そう、下宿には共同の電子レンジがあったのだが、シロキさんは、オーブンレンジを持っていたのだ。シロキさんの部屋からはいつもいい匂いがしたが、あれは紅茶をしょっちゅう飲んだり、ケーキを焼いたりしてたからなんだろう。
だいぶ長い時間シロキさんのお部屋にお邪魔し、腹も膨れ満たされた気持ちで部屋に入ろうとすると、左隣のマジマさんが、待ってました!とばかりに部屋から出てきた。「○原さん、ちょっといいですか。部屋に来ませんか。」自分の部屋に戻ることなく、右隣から左隣の部屋へ移動。今度はマジマさんとのお茶の時間だ。
続く

食べない二人、の理由は異なる Y田下宿から始まった 12

2020-06-07 20:48:21 | Y田下宿から始まった😼
下宿にあまり居着かなくなった私だが、たまにちゃんと部屋にいると、他の下宿人が訪ねてくることがあった。確率的にそれは、同じY田2の2階、つまり両脇の二人(のどちらか)である事が多かった。で、私がウキヨちゃんなど友達のアパートに行ってる間、両脇のマジマさんとシロキさんが親交を深めていたかというと、それが全くだったようだ。何故だろう、やはり人には相性というものがあるのか 。Y田1の二人は前にも書いたが同じ高校出身と言うこともあり、いい意味でのライバルでありながらも仲は良かった。
それに比べるとY田2の5人はてんでバラバラだった気がする。それぞれがそれぞれの生活を好き勝手に送っていた気がする。だけど、それなりに仲は良くて、程々の関係、をそれぞれ保っていた感じだ。
いつだったか、Y田食堂で夕飯を食べている時、その事を一緒にご飯食べてた人たちに言ったことがある。確か全員は揃っていなかった(と言うか、下宿の食事時間に下宿人七人が皆揃うことは自体ほとんどなかった)と思う。「なんか、、(Y田1の)二人と違って、うちら(Y田2の)5人て、みんな自由にそれぞれ好き勝手な事やってますよねえー」するとそれを聞いた、川の名前のついたSヅちゃんが、箸を動かすを手を止めてこちらをじっと見てこう言った。「○原女子、誰よりも一番自由に飛び跳ねてるのは、間違いなく○原女子ですよ😏。」その言葉にいち早く反応したのがY田1のOさんだ。深く頷き「そう、確かに。○原女子は、とっても自由ですね、本当に。そしてやたらと楽しそうだし。大学生活って、そんなに楽しい事ばかりなのですか?」と聞いてきた。多分真面目で勤勉なOさんには学生なのにまるで勉強してる気配のない私が不思議でならなかったのだろう。事実私は、あまり勉強はしなかったヾ(__*)。そして、まだ何も私が答えていないのに、マジマさんが話に加わる。「わあ、そんなに楽しいのですか、大学は!私も早く大学に通いたいです〜」いやいや、みなさん、私はまだ何も答えてませんよ。私にだって苦労はあるんです。と答えようとしたが、確かに自由で楽しい夢のような毎日を送っているからな。苦労と言えば、成績が悪い事くらいだもんな。(←実際薬大の勉強はキツかった😭。)
Sヅちゃんが続ける。「、、本当にうやらましい事です。Sヅはこの頃悩みが多くて、、」「Sヅちゃん、そうなの?」Oさんが今度はSヅちゃんに声をかけ、二人が何やら話し始めた。なんか、、私が自由人かどうか?という話題は私の答えを待たずして終わっちまったようだな。ホッとしたような物足りないような、なんか間抜けた時間が流れた感じ。仕方ないから必死でご飯を食べていたら、再度マジマさんが横から話しかけてきた「○原さん、私、本当に早く大学行きたいですー。それまでにお化粧ももっと、うまくなりたいです💄。」ああマジマさん、あなたのその純朴さか私は大好き。変わらないで。お化粧なんか覚えないで。そのままのマジマさんがいいよ。とりあえず、来年合格して早く大学に来てね。
突然奥からY田バンバ登場👽。「あら、今日は何だかにぎやかですね。あっ!○原さんじゃないですか!久しぶりですね!忙しかったですか。わたくし、毎日○原さんの分の食事もちゃんと準備してたんですよ。」「すみません😞本当にすみません」ひたすら謝り、早めに退散した💨。何だかY田バンバに会うといつも何故か謝ってる気がする。何だかなあ、、。確かに私はY田食堂でほとんどご飯食べてないもんなあ。でも、仕方ないよな、、。友達のアパートで自由気ままに過ごす方が断然楽しいんだもん。だいたいにして、なんだってお母さんはアパートじゃなくて下宿にしたんだろう、相談もなく
。あれこれ考えているとノックの音が響いた。誰だろう、、まあ、マジマさんかシロキさんかウキヨちゃんしかないんだけどね。戸を開けるとやっぱりそうだった。シロキさんだ。そう言えば、シロキさんも時々食堂にご飯食べに来ない事があるってバンバが不満たらたらな様子で言ってたな。私みたいに出かけるわけでもなく下宿にいる事が多いのに、何故だろう。まあいいか。「サツコ、今日はいたのね。」きれいなシロキさんに名前で、しかも呼び捨てで呼ばれると、なぜかドキドキする(。><。)。そのままシロキさんの部屋に招かれ、とびきり美味しい紅茶☕とシフォンケーキをご馳走になった。ああ、シロキさんの部屋って、何だかやっぱり特別(*´∀`*)。私を含む他の下宿人の部屋とはまるで違うの❦。アパート暮らしのような家財道具の充実ぶり。電気ポットしか持ってない私とは大違いだわ。北海道の、不動産屋さんの娘さんらしい。お金持ちなのね、きっと。他愛ない話をしたあと「ねえ、ところでサツコは、今日はあのお婆さんのご飯を食べたのね?」「はあ、まあ。あまり下宿でご飯食べてませんねって、Y田ばあさんに言われましたー('👅')。」「あらそうなの?私も実はあのお婆さんのご飯食べない時あるのよ」私、内心→(はい、知ってます、ほとんど食べてませんよね、知ってる知ってる〜)しかし「えっ!?どうしてですか!」と驚いたフリをする。「だって、、質素なんだもん」ギャー、出たあ!プリンセスシロキのきつい一言。「質素、ですか?」「質素よ!すごく質素。それに、特別美味しいってわけでもないし」またまた、キツイ1発🥶。シロキさん、ハッキリしてるなあ。ある意味かっこいい。「だからデパートから買ってきたり、食べに行ったりしてるのよ。その方が美味しいんだもん(◍•ڡ•◍)」シロキさんたらー、やっぱりお金持ちっ。羨ましい。しかし、ここでフと思った。゛Y田バンバのご飯、けっこう美味しいのにナア、、。“だが黙って話を聞く。「それで、私もこの間お婆さんから注意されちゃった。部屋にいるならご飯食べてくだいって」そりゃそうだ、ここは賄い付きの下宿だもん。自分も余り下宿で食べてない事を棚に上げ、バンバの肩を持つ。ただし心の中で😁「そうでしたか。まあ、私もしょっちゅう注意されてますから、、」「うふふ、一緒ね。あの婆さん、結構口うるさいものね」うわ、、ついに三度目のギャーだ。口うるさい、と来た。
続く


浜田省吾さんに夢中になる。 Y田下宿から始まった11

2020-05-15 23:16:52 | Y田下宿から始まった😼
Y田下宿に住み始めてから数カ月、、いつの間にか、あれほど好きで聴いていた甲斐バンドとチューリップをあまり聴かなくなっていた。ではその後何を、誰の歌を聴いていたのか、と言うと、これが、もう、ほぼ浜田省吾さん中心。もう1人夢中になったのは、アンジェリーナ、の佐野元春さんだな。きっかけは、2人とも、多分ラジオ。わし、部屋にテレビ無かったから部屋にいる時はレコード、カセットを聞くか、ラジオを聞いてるか、どちらかだったのよ。高校の頃は、浜田省吾さんは多分一度も聴いてなかったはずだ。ラジオで流れてきた風を感じて、を聴いて、これはいいぞ、となり、早速大学の近くにあるレコード屋さんへ。そこで買ったアルバムが「illumination」これが物凄くよかった。多分もうそこから一気に浜田省吾さん❤になっていった気がする。ほんとにほんとに毎日聴いていた。「生まれたところを遠く離れて」「MIND SCREEN」、、親から仕送りが振り込まれたっつーすぐに浜田省吾さんのレコード買いに行ってたもんなあ。声とメロディが、めっちゃ好みだった。浜田省吾さんて不思議だよな。ジャンルとしてナニナニ、と言い表せない。初めの頃の「生まれたところを、、」は、何となくフォークかなあと思える曲もあったけど、illuminationは、何だかそれとは雰囲気が違ってて、そこが浜田省吾さんのすごいとこなんだろうけど、どれも浜田省吾さん独自の世界だ。
そんな折、浜田省吾さんが、新しいアルバムを出すとラジオで聞いて、さっそく近くのレコードやさんに予約しに行った。予約特典のポスターをもらいたい一心で。そして、発売当日、いそいそとレコード屋さんに出向き、レコードとポスターを抱え下宿に戻った。ポスター貼らねば!!張り切る。しかし、下宿の部屋は超和風。江戸間で、渋めの襖があるのだ。いかん、、浜田省吾さんのかっこいいポスターが全く似合わない。しかし、やっぱ貼りたいわい。仕方ないから、ふすまの脇の壁に貼った。後日、ウキヨちゃんが部屋に来て、そのポスターを見て「でかいわなー、このポスター」と感心?していた。ちなみに、ウキヨちゃんはと言うと、その頃、ゴダイゴ命で。中でもタケカワユキヒデさんの大ファンだったのだ。そのため、英語の曲が多いゴダイゴの歌を理解するため(だけかどうかはわからないが)通信教育で英語を学んでいた。私もゴダイゴは嫌いではなかったので時々部屋で聴いていたしウキヨちゃんの部屋でもよく聴いたが、ウキヨちゃんは浜田省吾さんには全く興味なかったため私は部屋でもっぱら1人で浜田省吾さんを聴いていたのだ。
さて、HOMEboundを買った時、袋の中に、1枚の紙が入っていて、見ると、浜田省吾さんの全国ツアー日程が書いてあるのだった。仙台にも来る。、、行くぞ。市民会館だ、よし!
当時はもちろん、ネット予約なんてないしケータイもない。だから予約はハガキか電話かチケット売り場か当日券て事になる。今の時代からしたら信じられないほどの不便さだが、当時はそれが普通だったから面倒だなんてこれっぽっちも思わなかったな。デパートのチケット売り場まで出向く。真ん中よりちと前の席を取ることができた。生まれて初めて自分でチケット買って行くコンサートが、大好きな浜田省吾さんであることが、とにかく嬉しかったのを覚えている。


未だに悔しがってしまう話、、🚺 Y田下宿から始まった10

2020-05-06 22:56:06 | Y田下宿から始まった😼
Y田1のトイレは水洗なのに、何故Y田2は汲み取り式なのか、、。掃除当番がなるべく回ってこないようにと願った🙏。しかも二階にトイレがなく、いちいち下に行かねばならないのも面倒だった。夏ならまだしも、冬などは本当になあ、、。夜トイレに行きたくなっても朝まで我慢した事もある。掃除は皆真面目にしていたから、キレイではありましたが。あと、お風呂も、Y田1は、3人でひとつなのに、Y田2は、4人で1つ
下宿のトイレ、で、必ず思い出す出来事がある。未だに時々思い出して、なぜあの時ワタシは、、と悔しがる時がある。
、、入学してまだ間もない頃、大学の教授が何人かの教え子を自宅に招き、寿司を振る舞うと言う何とも素敵な会が催された。その教授は、自分で寿司を握るのが趣味で、寿司屋さんにある“ネタを入れるガラスケース“まで持っていて、そこにマグロや卵、タコ🐙、ハマチなどを入れて、自分で炊いたシャリで寿司を握り、生徒らにご馳走してくれたのだ。まだ入学して間もないから、寿司を食べながら、顔合わせし交流を図って下さいね。と言う教授の粋な計らいだった。美味い寿司をつまみながら、様々な人と話をしたのだが、
その中に一人キラッと輝く人がいて(^ν^)。仮にK田君としておこう。たまたま座ってる席も近かったので、色々話すことができた。北海道出身だという。そして、地元に彼女がいる、という話までもしてくれた。そんな事は言わんでええわ。でも、まあとてもかっこいいし、そりゃ彼女もいるわよね。とりあえず、このようなステキな方と知り合えただけでもめっけもんだぜ。聞けば、サッカー部⚽だという。「で、○原さんは何部なの?」「、、は?私ですか、、。ワタシはですね、こ、公害を研究する、そんな感じのクラブです。」「へえ〜!そんなクラブあるんだあ!真面目なんだね。でも、、それ面白いの?」「いや、面白くはないですよ。ま、いいじゃないですか、クラブのことは、、(_ _;)。」
交流会は大変盛り上がり、無事終了。解散となった。当時はケータイ、スマホなどはないから、アド交換とかラインとか、そーゆーのは一切ない。頭で、必死で名前や顔を記憶するしかないのだ。K田君か。名前覚えたもんね。

それから二週間くらいだった頃、、。
その日は、午後からの講義や実習もなく、珍しく午後から時間ができた。迷いなくクラブはサボる事にしてと、、。まずはユニちゃんと学食でお昼を食べた。「ね、今日うちに来ない?」ユニちゃんからいつものように誘われ「行くいくー、一旦下宿寄ってから、すぐ行くー!」「じゃ私も下宿に付いてくわ」予定も決まり、定食も食べ終わった。ほんじゃそろそろ下宿行くか。そう思った時だった。突然(本当に突然だった)激しく腹が痛みだしたいたい。なんだこれ?!、、(@_@;)わからん。、さらには痛みと共に、強烈な○意が襲ってきた、、。わあ、これはマズい!ユニちゃんに状況を説明する暇さえなかった。急に立ち上がり、、大学のトイレへ!と思いきや、そうはせず、全力疾走で下宿めがけて走り出したのだ💨。十八歳、多感な年頃、あの頃は大学のトイレで💩をするなんてできなかった😭。驚いたのはユニちゃんだ。「サツちゃん!待って!サツちゃん!どうしたの?!待って!待ってー!うちに来るんじゃないの〜?」答えてる場合ではなかった。まさに「非常事態」である。大学から下宿までは走っても十分はかかる。しかも、かなりきつい坂道の頂上にY田下宿はあるのだ。上りきらなければならない。脂汗たらしながら走った。本当にものすごい速さで走っていたと思う😤。坂道の中盤に差し掛かった時、道路の反対側から声がした。「○原さ〜ん!今帰り?○原さーん!」誰だ、うるさいな、こんな非常事態に!!と思いつつ横を見ると、なんと、憧れのK田君ではないか!その時の私の驚きが、わかるだろうか。「なんで、、?なんで横にK田君がいるんだ、よりによってこんな時に、、。だめだ、今返事したら、危険だ⚠」仕方なく無視して走り続けた。しかし、K田君はさらに話しかけてくる。「○原さん、南光台に住んでるの?」そして、話しかけながら、何と自分も走り出したではないか😱。やめろ、なんで一緒に走り出すんだ?!今は何もかも無理だ、やめてくれ!○意も限界に近かった。道路の反対側を走っているK君を引き離す形でラストスパートに入った。
下宿に着いた。「ま、、間に合った。」昼間だから下宿には誰もいないはずだよな、、。ハァハァ、、ト、トイレ🚾、、。命からがら下宿の引き戸を開け、中に入る。何と、まさかの「今まさにトイレに入ろうとしている人」がいた。、、マジマさんだった、、。「あ、○原さん。お帰りなさい。今日は帰り早いですね」だめだ。何も言わずトイレに飛び込んだ。番抜かしだ


しかし、マジマさんは、怒るわけでもなく、のんびりした口調で、戸の向こうから話しかけてくる。「今日は私、帰り早かったんです。今から部屋で体操しようかと思ってるんですよ。」「、、あのさ、、トイレさ、水洗じゃないから、中の音、丸聞こえじゃん。できればそこにいないでくれよ、頼むよマジマさん、、」なんて言えるはずない。まあいいや、マジマさんなら、まあいいや。ほどなくしてユニちゃんが下宿にやって来た。「サツちゃん、いる?」いるいるー!さっきはすまない、実はね、あーでこーで、と事細かに説明したのだが、ユニちゃんは涙を流しながらゲラゲラと笑い続け、しばらくは会話にならなかった。「そっかー、💩だったのかー!いや、本当にびっくりしたよ、いきなり何も言わずに走り出すからさー。追いかけようかと思ったけど、あまりにも速かったから、やめたの。いやー、本当に速かったわー」すまんね、ユニちゃん。
そんなこんなで、大変ではあったが、一件落着。
ホッとして、一息ついて、冷静になったのち、今度は悔しさが込み上げてきた。坂道でK田君がいて、声をかけてくれたんだ。なのになのに、、そのチャンスを💩のせいで逃してしまった。しかも、向こうとすれば、私が💩のために全力疾走してるなんて知るわけないから、無視して走っていったと思ったに違いない。なんてこったい!悔しさと情けなさで泣きそうになった。何て運が悪いんだろう。あんまりじゃないか。次もし会った時に謝ろう。この間はすみませんでした、実はあの時、、って適当な理由つけて、とにかく謝ろう、、。
しかしその後、坂道でK田君と会う事はなかった。本当にそれ以来一度も会わなかったのだ。、、(;´д`)そんなものね。

左隣マジマさん🤓のこと。 Y田下宿から始まった9

2020-05-06 15:14:38 | Y田下宿から始まった😼
入居者みんなを一通り軽く紹介しましたが、よく考えたら、向かって左隣のマジマさんについての紹介が全然足りなかった事に気づいた。彼女は、非常に味のある人だった。私がY田下宿に入居したその日、すでに入居していたマジマさんは、すぐに部屋から出てきて挨拶してくれた。3月の終わりだったが、マジマさんは、暖かそうな「どんぶく」(注︰綿入れ、厚手の半纏のこと。私が住んでいた岩手ではこう呼んでいた。)を着ていた。しかも何故か屋内にいるのに、手編みのロングマフラーまで巻いていたのだ。今思えば、暖かな福島から来たので、仙台は寒かったのだろう。
人懐こい笑顔で、マジマさんが話しかけてきた。福島のS市の出身だった彼女は、とにかく、素朴、マジメ、な感じがする人だった。背が高いのも印象的だ。大きめの、縁の厚いメガネをかけ、福島弁全開で話す。隣の部屋ということもあり、彼女は、私が部屋にいるとよく遊びに来た。私も何度かお邪魔させてもらった 。
「○原さん、大学生活っていいものですかー?」「うん、楽しいよ、実習とかは嫌だけど。」「早く私も大学行きたいです。ところで○原さん、話変わりますが、私、赤い
口紅とか、アイシャドーとか、、その、、化粧品類を買ってみたいんですけど、、。」おお!マジマさん、化粧に目覚めたか!「買いに行くなら、付き合うよー。仙台の駅前まで出なくても、下宿のそばに、小さな化粧品やさんもあるしね😉!」更に彼女は続けた。「何といいますか、○原さん、私、変身してみたいんです!お化粧を覚えたいし、服装も変えてみたいです。」マジマさんが当時着てた服は、多分福島の親御さんが買ってくれたものだったのではないかと思う。年齢的にまだ早いんじゃないかと言うような、大人びた服(はっきり言えば、おばさんぽい服)が多かった。「○原さんはどこで服買いますか。わたしも一緒に行ってみたい。服一緒に選んでくれませんか。」そんな事を何度か言われたが、実は、何を隠そう私自身、入学当初は母が買ってくれた、かなり地味な服しか持っていなくて、マジマさん以上に老けた服装していたのです。人の服を選ぶ余裕などなく、あんた、まず自分の服装を変えなさいよ、という感じだったのです。つまり、わたし、マジマさん、共に老け込んだ服装をしていたわけです。マジマさんは、本当に変身したがっていました。こうなりたい、ああなりたい、という具体的な希望や夢を持っていたのです。ただ、今はまだ予備校生だから勉強第一、と言うのはわかってるけど、、。とも言ってました。
そんなマジマさんは、Y田1のOさんと同じくらい、ほぼ毎日朝晩きちんとY田下宿で食事を取っていました。しかし、特にY田バンバに気に入られるという事もなかったようです。Y田バンバのお気に入りNO1は、不動のOさんでしたから。
マジマさんは、前にチラッと書いたかもしれませんが、同じ二階に住んでいながら、美人姉さんのヒロキさんとは、ほとんど没交渉でした。生活のリズムが異なっていたので仕方ありません。今思えば、ヒロキさんは、とてもおしゃれで、お化粧もきちんとしていたので、服や化粧のことは私ではなく、ヒロキさんに相談すればよかったのではないでしょうか。そんなマジマさん、下宿内では誰と一番仲が良かったのか、、。私だったような気がします😁。そのワタシがウキヨちゃん他、大学の友達といるようになったので、マジマさんは、たまに私が下宿にいると、すぐに遊びに来ました。そして、私がいない間に起きた下宿で起きた珍事件などを細かく報告してくれたのです。ついでに「Y田バンバが“○原さんはまたいませんね💢”と言ってましたあ!」と言うようなことも忘れずに教えてくれました。そこは別に教えてくれなくてもいいんだけどね〜😂マジマさんは、初め、Y田バンバをちゃんとおばさんと呼んでいたのだが、私が何度もバンババンバと読んでるのを聞いて、いつしか毒され?て、バンバと呼ぶようになってしまいました。