結局、鎌倉(及び鎌倉時代)の予習が終わらないうちに鎌倉旅の日はやってきて、、お寺を回り海を見て、大仏様に手を合わせて、そのどれもに感動し、旅は終わった。しかし、負け惜しみではないが、由来や歴史的背景がよくわからないまま訪れた仏閣は、理屈抜きにみな素晴らしく、感動の嵐であった。鎌倉に着き一番最初に訪ねた北鎌倉の円覚寺で早くも「え!なんだこれは!すごくないか!」と感激し、胸が熱くなった次第です。行く先々でこんなふうに感動ばかりしてたら、喜びで胸がパンクしてしまうのではないか。次に行くのはかねてから天井画を見たかった、あの、建長寺だぞ。どうなるんだろうか、この気持ち。何だかとにかく、静かな興奮状態で大変だ。
もう、、傾き始めていたであろう平氏の政権、でもまだまだ力は残っていた。、、以仁王(と源頼政)により「平氏を倒せ〜」という令旨がだされ、全国に広まり、平氏に対し不満をいだいていた武士たちはじわじわと行動を起こし始める。長きに渡り伊豆の蛭ヶ小島に流されていた、後に鎌倉政権を開くことになる源頼朝もその一人でした。何たって、平治の乱で平氏から父を討たれ、自分も小島に流されたのだ。憎き平氏を今度こそ討ちましょう、と気合十分。行くで行くで〜。で始まったのが石橋山の戦い。が、、初めこそ調子良かった源氏側は、ここでも、平氏にやられちまいます。平氏の兵の数がとてつもなく多く、太刀打ちできず、、みたいな感じか。まずい、、😥。が、ピンチ続きでも強運なのか、人望がそうさせるのか、必ず助っ人がいて頼朝を守ってくれるんですよね〜。強運の神か何かが付いてるのかしら💖。戦いの際、落ち合う予定だった三浦の軍が雨のため到着できず、これはマズいとなった時も、勝ち目なく山の中に隠れた時も、必ず頼朝には敵の中に「助けてくれる人」がいたのです。こんな事、普通はないですよね。そして、頼朝は、このような時に頂いた「恩」を忘れない人でもあったようです。山中で隠れてた時に敵側の武士、梶原景時に見つかったのですが、見逃してくれたんですな。この梶原を、頼朝は後にしっかり重用してます。というわけで危機の連続だった頼朝は、それらを様々な人達の助けも受け、お船に乗り何とか安房国に行き着きます。
ここから、頼朝の本格的な巻き返しが始まるのです。ドラマチックとさえ思える巻き返しが。
ここから、頼朝の本格的な巻き返しが始まるのです。ドラマチックとさえ思える巻き返しが。