珍しく「仕事を休み、山へ🌰拾いに行こう」と母が言い出し、里山へ登った。空のリュックを背負い、どのくらい歩いたか、、。それまではただ山道を歩いているだけだったのが、突然パアッと視界が開けた。あの感じ、、忘れられない。木に囲まれた山奥の美しい森、と言うのがまだ子供だったジブンの印象。うまく表現できてないと思うが、、。母が呆然とした表情で、「周りこれ、全部栗の木だ!すごいね」と言ったな。、、そこから、栗拾いが始まった。軍手をはめ、長靴を履いた足で必死にイガから実を外し、ごそごそとリュックに詰めていった。、、再度書いておくが、かなり山の奥で、民家は全くなかったと思う。あれば、あの視界のいい森のなかで、すぐに気づいたはずだから、、。
どのくらい二人してもくもくと栗を拾っただろう。リュックの中にかなり🌰が詰まったあたりで、母が「⚪⚪子、そろそろいいんじゃない❔帰りましょう。だいぶ拾ったね、、」と満面の笑みを浮かべ言った。「うん!」大きくうなずいて、リュックを持ち上げてみるとずっしり重い。さ、、これをしょって山を降りよう。と母、私、それぞれリュックを背負い、歩き出そうとした、まさにその時、背後から「こらーっ!お前ら!」と突然ものすごい大声がしたのだ。心臓が止まるかと思った。マジで。文字は音が出ないから、その声の迫力はお伝えできないが、とにかく、ものすごい声だったのだ。振り返ると、いつの間にそんなとこにいたのか、痩せた小さなお婆さんが木の棒のようなものを持ってすごい形相でこちらを睨み付けながら立っていた。ものすごい迫力。母はどうだったか覚えていないが、私は震えて半べそだったと思う。そのあとの事がはっきりと思い出せないのだが、その痩せた老婆が「いつもこの山に来て、盗んでゆくのはお前たちだろう!絶対にそうだ!」みたいなことをがなりたてていたと思う。そして「今拾った栗を、全部ここに置いていけ!」と言ったのだ。私は泣きながら母を見た。泣いていたのは、間違いなく老婆が怖かったからだ。だが、、今思えば、母は、私が、せっかく拾った栗をここに置いていかねばならない事が悲しくて泣いてると思ったのではないか、、。「大丈夫!これ絶対に屋敷栗じゃないから!あのお婆さんに渡さなくていい!」とワタシに言ったのだ。老婆はその間も、何やらずっと怒鳴り続けていた。そして、いきなり木の棒を持ったままこちらに近づいてきたのだ。「走って!」母が泣いてるワタシに言った。そして、私たちは走り出した。「待てーっ!栗を置いてけ!」叫び声を聞いて「鬼婆だ!」本気でそう思った。、、。母と私はものすごい速さで山道を走った。かなりの距離を走ったと思う。、、もう、あのお婆さんは追いかけてこなかった。
今でも、あの時の怖さは忘れられない。棒を持ったお婆さんが一体いつからあそこにいて、栗を拾う私たちを見ていたのか、、。どうしてその気配に気づかなかったのか。わからないことだらけなのだ。
まるで「まんが日本昔話 」みたいな話じゃないか。
この時のお婆さんの図。、、イメージ的にこんな感じだった。
今日は暖かい一日でした。十二月の中旬に、この天気はないなあ。、、夜歩き🚶もさほど寒くはなかったです
どのくらい二人してもくもくと栗を拾っただろう。リュックの中にかなり🌰が詰まったあたりで、母が「⚪⚪子、そろそろいいんじゃない❔帰りましょう。だいぶ拾ったね、、」と満面の笑みを浮かべ言った。「うん!」大きくうなずいて、リュックを持ち上げてみるとずっしり重い。さ、、これをしょって山を降りよう。と母、私、それぞれリュックを背負い、歩き出そうとした、まさにその時、背後から「こらーっ!お前ら!」と突然ものすごい大声がしたのだ。心臓が止まるかと思った。マジで。文字は音が出ないから、その声の迫力はお伝えできないが、とにかく、ものすごい声だったのだ。振り返ると、いつの間にそんなとこにいたのか、痩せた小さなお婆さんが木の棒のようなものを持ってすごい形相でこちらを睨み付けながら立っていた。ものすごい迫力。母はどうだったか覚えていないが、私は震えて半べそだったと思う。そのあとの事がはっきりと思い出せないのだが、その痩せた老婆が「いつもこの山に来て、盗んでゆくのはお前たちだろう!絶対にそうだ!」みたいなことをがなりたてていたと思う。そして「今拾った栗を、全部ここに置いていけ!」と言ったのだ。私は泣きながら母を見た。泣いていたのは、間違いなく老婆が怖かったからだ。だが、、今思えば、母は、私が、せっかく拾った栗をここに置いていかねばならない事が悲しくて泣いてると思ったのではないか、、。「大丈夫!これ絶対に屋敷栗じゃないから!あのお婆さんに渡さなくていい!」とワタシに言ったのだ。老婆はその間も、何やらずっと怒鳴り続けていた。そして、いきなり木の棒を持ったままこちらに近づいてきたのだ。「走って!」母が泣いてるワタシに言った。そして、私たちは走り出した。「待てーっ!栗を置いてけ!」叫び声を聞いて「鬼婆だ!」本気でそう思った。、、。母と私はものすごい速さで山道を走った。かなりの距離を走ったと思う。、、もう、あのお婆さんは追いかけてこなかった。
今でも、あの時の怖さは忘れられない。棒を持ったお婆さんが一体いつからあそこにいて、栗を拾う私たちを見ていたのか、、。どうしてその気配に気づかなかったのか。わからないことだらけなのだ。
まるで「まんが日本昔話 」みたいな話じゃないか。
この時のお婆さんの図。、、イメージ的にこんな感じだった。
今日は暖かい一日でした。十二月の中旬に、この天気はないなあ。、、夜歩き🚶もさほど寒くはなかったです
いい思い出、いえ、怖い思いをしたんですねえ。でも、お母さん「屋敷栗じゃないから」と見抜いていたのはさすがですね。
「鬼婆」の気配に気が付かない程、相当栗拾いに熱中していたんですね。一部始終が手に取るように解りました。迫力のある「鬼婆」についてはイメージ図で、笑える程に納得出来ましたよ。
その時の状況、幼い子供の体験としては、正に恐怖そのものだったのでしょうね。
でも、トラウマにはなっていないでしょう !? 「まんが日本昔話し」。そうですねえ、市原悦子さんにでも語ってもらいたい様なお話し。いくら小さかったとは云え、そういう事って死ぬまで忘れられないんですよね。
どうです? 今(今の年齢)となっては笑い話しとして片付けられる様になっているのではありませんか? 他人事だからそう思ってしまうのかなあ?
その後リュック二つ分の栗は美味しく頂いたのでしょう?
今現在の山との関り合いの、或る意味でのルーツの様なものに、無意識のうちに、なっているかもしれませんね。
楽しい・・・いえ、怖い体験をしたお話し聞けて、良かったです。 また、お願いします。
いつも御手紙ありがとうございます。また、何か変なこと思い出したら書きますね。よい午後をお過ごし下さい。