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結局幽閉、、 しかも二度目よ(=_=) 鎌倉時代の少し前

2023-11-29 00:47:14 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾
残念なことに、鹿ヶ谷の陰謀後、相変わらずの辛抱強さで法皇と清盛の仲を取りもってきた賢息子、重盛は病に伏し亡くなってしまいます。心労も相当あったのでしょうな、、😢。二人の仲を取り持っていた人は他にもいました。後白河法皇の奥さん、滋子さんです。しかしこのかたも亡くなってしまい、もはや、二人の間のクッションとなってくれる人はいない状態となりました。実の息子、時には父を諌めてさえくれた本当に賢かった息子、、。その息子をなくしたのですから、清盛の悲しみの深さやいかに、、。想像つきますよね。ところがその頃、悲しみにくれる清盛の傷口に塩を塗るような事を、後白河法皇がしてしまいます🙅。
重盛の知行国であった越前(現福井県のあたり)の土地やら何やらをささっと没収してしまうのです。あんなにも法皇に尽くしてくれた重盛だったのに、これはあんまりですよね。本来は重盛の子である維盛が継承するのが筋でしょうに、、法皇やっちまったな(-_-;)という感じです。
法皇が平に行ったのはこれだけではありませんでした。清盛の娘、盛子(娘にも、盛、をつけたわけね😉)の財産を院のものにしてしまうのです。まあ、こちらの話は重盛の知行国没収の話と違い、やや平側にもきな臭い部分がありどっちもどっちな感じもあります。が、この2つの件で、当時すでに福原京(現兵庫、神戸のあたり)にて半隠居状態だった清盛に、メラメラ🔥と闘志の炎が再び燃え上がります。点火〜🔥「、、やっぱ、後白河法皇は幽閉だわ、、。重盛許せ。」と思ったかどうかわかりませんが、とにかく、清盛は後白河法皇を鳥羽殿に幽閉してしまいます。法皇二度目✌の幽閉となりました。やったことはよくないとしても、後白河法皇も、本当に大変な目に何度もあわれ、気の毒です。
このあたりから、少しずつ、鎌倉時代への足音が聞こえ始めてる感があります。もう一波乱二波乱、更に、、戦は続きます。


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