「何か1つ」を見つける毎日(⌒‐⌒)

自然と神様と猫と木と音楽、、それからそれから、、( - ө - )

終わらんかった予習。 😅 鎌倉旅終了①

2023-12-14 23:49:56 | 小さな旅のおはなし
結局、鎌倉(及び鎌倉時代)の予習が終わらないうちに鎌倉旅の日はやってきて、、お寺を回り海を見て、大仏様に手を合わせて、そのどれもに感動し、旅は終わった。しかし、負け惜しみではないが、由来や歴史的背景がよくわからないまま訪れた仏閣は、理屈抜きにみな素晴らしく、感動の嵐であった。鎌倉に着き一番最初に訪ねた北鎌倉の円覚寺で早くも「え!なんだこれは!すごくないか!」と感激し、胸が熱くなった次第です。行く先々でこんなふうに感動ばかりしてたら、喜びで胸がパンクしてしまうのではないか。次に行くのはかねてから天井画を見たかった、あの、建長寺だぞ。どうなるんだろうか、この気持ち。何だかとにかく、静かな興奮状態で大変だ。



川→山→寺→峠 終わりから始まり、に向かって、、。 鎌倉時代の少し前

2023-12-14 23:30:58 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾
もう、、傾き始めていたであろう平氏の政権、でもまだまだ力は残っていた。、、以仁王(と源頼政)により「平氏を倒せ〜」という令旨がだされ、全国に広まり、平氏に対し不満をいだいていた武士たちはじわじわと行動を起こし始める。長きに渡り伊豆の蛭ヶ小島に流されていた、後に鎌倉政権を開くことになる源頼朝もその一人でした。何たって、平治の乱で平氏から父を討たれ、自分も小島に流されたのだ。憎き平氏を今度こそ討ちましょう、と気合十分。行くで行くで〜。で始まったのが石橋山の戦い。が、、初めこそ調子良かった源氏側は、ここでも、平氏にやられちまいます。平氏の兵の数がとてつもなく多く、太刀打ちできず、、みたいな感じか。まずい、、😥。が、ピンチ続きでも強運なのか、人望がそうさせるのか、必ず助っ人がいて頼朝を守ってくれるんですよね〜。強運の神か何かが付いてるのかしら💖。戦いの際、落ち合う予定だった三浦の軍が雨のため到着できず、これはマズいとなった時も、勝ち目なく山の中に隠れた時も、必ず頼朝には敵の中に「助けてくれる人」がいたのです。こんな事、普通はないですよね。そして、頼朝は、このような時に頂いた「恩」を忘れない人でもあったようです。山中で隠れてた時に敵側の武士、梶原景時に見つかったのですが、見逃してくれたんですな。この梶原を、頼朝は後にしっかり重用してます。というわけで危機の連続だった頼朝は、それらを様々な人達の助けも受け、お船に乗り何とか安房国に行き着きます。
ここから、頼朝の本格的な巻き返しが始まるのです。ドラマチックとさえ思える巻き返しが。

甦る、頼朝、、。 鎌倉時代の、ほんと一歩前。

2023-12-03 11:52:18 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾
以仁王に平氏打倒の命令を出すよう直言した、摂関源氏の系譜の生まれである源頼政ですが、令旨を発令した以仁王と共に戦い、宇治で敗れ、こちらも亡くなってしまいます。が、以仁王が戦死だったのに対し、頼政は負けを悟り自刃します。歌人でもあった彼は、辞世の句も詠んでおります、、。この時代を生きた武将たちは、色々な意味で強いですよね。自刃自体非常に苦しく辛いことで、とてもじゃないが平静な気持ちなど保っていられないと、私などは想像しただけで気絶しそうになるのですが、頼政は(例え表向きだけだったとしても)冷静に辞世の句を詠んでいるわけです。んー、、💧
では、、その辞世の句を、、。埋木の 花咲くことも なかりしに 身のなる果てぞ 悲しかりける。

志半ばでこの世に別れを告げねばならない切なさ辛さが詠われているのですね。この戦では、頼政の子供たちも次々と戦死し、頼政の心中の哀しみはどれほど大きかった事でしょう。戦、また戦、、で気の休まる暇などなかったのではないかしら、、。さて、感傷に耽る間もなく、時代はまた一歩、鎌倉時代へと進んでいきます。二人がなくなったあと、「以仁王の令旨」は全国に更に広がり、反平氏の武士たちが次々と立ち上がります。、、その中に「平治の乱」で、わずか13歳で父と共に戦い、父を亡くし自分は伊豆に流された、、あの(!)源頼朝がいたのですー。うわあー😱あの時清盛の乳母の憐れみを受け死罪だけは逃れた、あの、源頼朝が、再度、平氏に立ち向かうのです。運命というしかないか、これは。「事実は小説より奇なり」を地でゆくような話ですな。
でも、さすがにこの段階ではまだ彼自身、いずれ武家政権を発足し、一時代を築き上げる将軍にまで昇りつめるとまでは予想してなかった、んじゃないかな。か、、鎌倉時代が急速に近づいてきた〜。








以仁王が立ち上がる 鎌倉時代の少し前

2023-12-01 23:55:11 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾
後白河法皇が、2度目の幽閉をされてしまって、天皇には清盛の孫が安徳天皇として即位しております。もう誰も清盛を止められません。、、しかし、当然のことながらこの状況に歯ぎしりをしてる人は多く「いつか清盛を🤬!」と思っていたのです。その事を知ってか知らずか、清盛の横暴ぶりには拍車がかかる一方でした。多分知ってはいても、その時の清盛にはそれを止めてくれる人が周りにいなかったのでしょう。やはりこの頃の清盛は少し異常と言えるほど「平が、平らが...!」とすべてを平に染めようと必死になり過ぎだった感があります。実際法皇の下で仕えていた太政大臣、検非違使、関白などをみな罷免し、平一門で固めたのです。こんなことが通るわけがありません。幽閉された後白河法皇をしきりに気の毒がる人もいました。当然反感も強まります。
そして、ここで、一人の皇族が立ち上がります。彼こそが「以仁王(もちひとおう)」です。


彼は、れっきとした後白河法皇の子供であり、学もあり人望もあるかたでした。次期天皇の可能性もあった人でしたが、清盛の妻の妹、である平滋子に阻まれ(ことごとく平に阻まれる(-_-;))結局天皇の座は平の子、孫、である高倉天皇及び安徳天皇に奪われます。( ・ั﹏・ั)これでは以仁王も報われません。この状況に「平を討ちましょうや💪」と以仁王に進言したのは平の宿敵である源氏、頼政でした。このまま平に好き放題させておくわけにはいかない、と皆も感じていました。「よし!平氏を、討伐せよ😡」以仁王が令旨を発します。この命令はまたたく間に全国の武士たちに知れわたりました。「やるぞ!過去にやられた仕返しだ!」と人一倍燃えたのが源氏です。源氏にとっては再起をかけた戦いが始まろうとしていたのです。、、がー、、。令旨を発した以仁王は、挙兵の計画が平に漏れ、彼は臣籍降下となり、終いには皇族ですらなくなってしまいます。(あんまりじゃないかい😭。)そして結局奈良の寺社に逃れる途中の、宇治で平と交戦となり、戦死してしまいます。亡くなってはしまいますが、この、以仁王の令旨をきっかけに源氏🆚平が再び激しい戦いを始め、歴史が大きな転換点を迎えるのですから、以仁王の行ったことは大きな意義がありますね。以仁王という名前も、何だかかっこいいですね。