99年江戸川近くに引越して上流や下流にいろいろ歩いてみた、江戸川べりを千葉県側を上流に上って散歩したときのこと、松戸の矢切の渡し付近で小さな「元禄津波がここまで来た」という看板を見つけてものすごく驚いた。元禄地震が、富士山噴火やたった一日で日本中の太平洋岸がひっくり返った宝永東海南海地震と連動した関東大震災型の巨大地震であることを当時知っていたからである。91年頃亀有団地の建替えを調べるためにそこの図書館で亀有の過去の災害について調べた中に大変良い本を見つけた。 それが日本史小百科『災害』である。そこに元禄の関東大震災のことが出ていて、東海南海地震と富士山噴火や善光寺地震なども簡単に書いてあった。びっくりした。富士山は奈良時代以後噴火していない休火山のはずが江戸時代に噴火していたなんて!
しかし東京湾から松戸まで津波が押し寄せることには半信半疑だったので、江戸川や利根川の成り立ちを調べた。「つまり縄文海進以後の関東平野の川の変化と元禄地震を調べるために、千葉県の博物館に行ったり川の書籍をあさった。そのうち江戸川から荒川へ利根川へと、河口も上流へも散歩コースを広げた。上流は渡良瀬川から東京湾や銚子まで分けて水辺を電車や自転車やそしてあるいた。私は85年から87年ブラックマンデー頃にはななぜニューディールをしないのか疑問だったし、82年の段階で高齢者対策が公団団地で必要と考えた。これが高齢者のデイサービスセンターを付属した、太陽電池とバイオマスへのエネルギー転換をした公団団地建て替え案と公団建設に付属した60年代の学校建替え案である。
都議選の後解散寸前だった旧民主党に電話して、政調に「金融ビックバンと介護保険はインチキだ。内緒で行われている阪神大震災対策をやめて、関東大震災対策のために即時政権交代」を97年の金融危機のときに働きかけた。その時「おじいさんがやった公団住宅の先進性を生かすニューディール」案を鳩山由紀夫&邦夫事務所にまず送ったところ、鳩山由紀夫事務所が野党をまとめてくれて今の民主党が出来たのだった。その前に「介護保険と金融ビックバンはインチキ」と最初は社民党に電話したらガチャンと電話をきったので、民主党に電話したのだった。先に書いたが社会党のもともとの本家といえる大内力東大教授グループや宮崎義一を生かさず、ウルトラ保守のマネタリズム政策を得意になって、棚ぼた村山内閣で行った社民党はよっぽどの馬鹿だ!民主党が解散必死だったので突然の匿名電話に耳を傾けてくれて当時は社会党らしいところが民主党にあった。今の純化した民主党はまさにウルトラ保守のマネタリズム政党であるから黒田や岩田一政支持である。
私のニューディール案はそもそも公団住宅の建て替えと南関東直下地震答申がきっかけだったので、ニューディール案の1、2、3はその時知った石油へのエネルギー転換と昭和37年国民生活白書を引用して「石油から太陽電池などの新エネルギーへの転換を一斉に行える方法を提供する」からといって、「阪神大震災の後内緒で改修したら逆に危険なシュラウドの亀裂と配管の水蒸気爆発を起こした震度5耐震の原発を止める」ことを2003年の経済産業局長と資源エネルギー庁の原発担当に働きかけて止めてもらったのである。
もちろんマイクロ水力発電と交通ニューディールもそのころには考えていたので、2011年には津波が着たら船になる自動車も、地震や土砂崩れのときに電車が自動車になって道路を逃げていく提案は、原子力発電所を止める代わりのエネルギー政策として経済産業省の次期事務次官が経済産業省の主要政策としてやっていれ充分間に合ったはずである。だからエネルギー転換は経済産業省自動車課に最初に働きかけた。川を遡上する津波を脱ダム水力発電で減衰して津波の威力を減らす。おぼれる人は電車や車が浮けば助かる。これが私の元禄津波対策であり三陸津波対策であった。
その時につまり2003年2月小沢が(大宮副都心利権の埼玉県知事逮捕の後)対等合併を断っておいて、2003年通常国会中に当時の岡田幹事長事務所に不信任案採決を働きかけてた。菅は岡田幹事長が不信任案が出す決断をテレビで発表した直後に、(先に書いた野中氏ら自民党の造反グループと連携しないだけの為に)小沢を引き連れてテレビ局回りをして「小沢一郎は菅の一平卒だ」と自分から言って回ったのだった。小沢が菅の一平卒にならなければ、絶対に!東日本大震災で2万人ものたくさんの人が死ぬことはなかったと断言できる。私の電車と特に自動車の浮くアイデアは簡単に実現できたし、小沢に2000年に「岩手は8メートルの津波防波堤ではだめだ」と伝えてあったのを無視して、菅の嘘の口実ー「日本で初めての選挙による政権交代ごっこ」で2万人を犠牲にしたようなものである。だから小沢は自分の中選挙区時代の被災地に入ることが出来なかったのだろう!それを考えると羽田元首相のほうがオリンピック汚職疑惑が出てもどれだけ誠実だったかと思う。
脱線したが、そういうわけで集集地震のダム崩壊対策と元禄津波対策とを一緒に考えたのが私の脱ダム水力発電である。2000年には東海豪雨が起きて、最初は名古屋のほうの事と思っていた。東海豪雨でポンプが止まって水があふれた川のそばに、母方のおばさんの一人が住んでいて体験談を聞いた。その後でほとんどニュースにならなかったが、東海豪雨で矢作川の上流の巨大ダムの水門を開けたので、父の生家で私が赤ちゃんの時住んでいた家が水没したことを知った。見に行った時には屋根まで水の跡がついていた。
私の脱ダム水力発電は父と母の知恵も入っているので3人の発明である。最初は発電まで考えていなかった。ダムが壊れて水が押し寄せてくることに対する対策であって、津波が押し寄せてくる対策で発電など電気の専門家でないのでそんな大それたことは最初は考えていなかった。発電とリンクして考えたのは、マイクロ水力発電機が2メートルぐらいの段差で発電できることを知ったからである。