なんとこれが第一歌集だという。私が河田さんの名前を最初に知ったのは、『現代短歌雁』だった。すぐれた評論を書くひとだから、歌集も何冊かつくっておられるのだろうと勝手に考えていた。歌は章立てに工夫がこらされているが、奇をてらうような作品はさらさらなく、良識あるひとが、世界のできごとや、身の回りのできごとを前にして、感興をおぼえたり、怒りに胸をふるわせたりした内容が丁寧にうたわれている。読み始めるとあっという間に目が進んでいくので、この編集のしかたは成功している。随所に作者の批評的な目が感じられる作品があって、そこから自ずと立ち上がるものがある。
向ひ家のシベリア帰りの老大工怒鳴りつつをり理解をされず
※「家」に「や」と振り仮名。
「企業戦士」その比喩ならぬさまを知り献花つづける人々の群
ひと言でいふのが流行るこの時代 いつそ無言でゐるがいい
ほんたうの父さんや母さんが一人子を殺したあとも食事をしてる
カタカナの並べる薬多く持ちやや途方にくれた感じの父在り
作者は個性とか、独創性といった近代の通念をあまり信じていないだろう。先立つものとして、日々の思い、揺れる己の歌魂がある。それを鎮めるために歌を作っている。だから、平淡な外見をもちながら、ゆるい直球でもストライクを決められる。
朝靄のなかを寄り来る鬣のかすかに濡れて湯気たつ仔馬
寒狭川のちひさき魚を皿に盛り帽子をぬげるひとりの夕餉
※「寒狭川」に「かんさがは」と振り仮名。
黒雲の濃淡見する空合ひのいづこに澄める十六夜の月
※「黒雲」に「くろくも」と振り仮名。
地に在るに星屑を数ふ 砂粒を読むがごとき空すがすがしさか
※「空すがすがしさ」の「空」に「むな」と振り仮名。
安らかな歌いぶりである。作者は日本の古典にも通じているから、古典和歌ふうの淡くてしぶい古語の斡旋や、折口信夫ふうの和訓をすいすいと使いこなせる。「音」で武川忠一に教わったと歌集の後記にある。内藤明の名も出ている。交友面ではめぐまれた人と言うべきであろう。
向ひ家のシベリア帰りの老大工怒鳴りつつをり理解をされず
※「家」に「や」と振り仮名。
「企業戦士」その比喩ならぬさまを知り献花つづける人々の群
ひと言でいふのが流行るこの時代 いつそ無言でゐるがいい
ほんたうの父さんや母さんが一人子を殺したあとも食事をしてる
カタカナの並べる薬多く持ちやや途方にくれた感じの父在り
作者は個性とか、独創性といった近代の通念をあまり信じていないだろう。先立つものとして、日々の思い、揺れる己の歌魂がある。それを鎮めるために歌を作っている。だから、平淡な外見をもちながら、ゆるい直球でもストライクを決められる。
朝靄のなかを寄り来る鬣のかすかに濡れて湯気たつ仔馬
寒狭川のちひさき魚を皿に盛り帽子をぬげるひとりの夕餉
※「寒狭川」に「かんさがは」と振り仮名。
黒雲の濃淡見する空合ひのいづこに澄める十六夜の月
※「黒雲」に「くろくも」と振り仮名。
地に在るに星屑を数ふ 砂粒を読むがごとき空すがすがしさか
※「空すがすがしさ」の「空」に「むな」と振り仮名。
安らかな歌いぶりである。作者は日本の古典にも通じているから、古典和歌ふうの淡くてしぶい古語の斡旋や、折口信夫ふうの和訓をすいすいと使いこなせる。「音」で武川忠一に教わったと歌集の後記にある。内藤明の名も出ている。交友面ではめぐまれた人と言うべきであろう。