さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

松本喜美子『青春期』

2018年05月21日 | 
※きのうアップしたこのページのタイトルが角田純氏の『海阪』になっていました。どこかでファイルが入違ったようです。角田さんには失礼いたしました。なお角田さんの歌集については、2016年12月6日に書いていました。 

松本喜美子『青春期』1995年刊 三省堂企画 

長年神奈川県で女学校の先生だった人のエッセイ集。

「今から三、四年前のことだが、歌人の近藤芳美氏が朝日新聞の随筆に「重慶で黄瀛(こうえい)に会った」という一行を書いておられた。それを読んで、私は驚いた。旧知の黄瀛は戦死したとばかりおもっていたから、急に半世紀前の彼の記憶がどっとよみがえり、よほど氏に黄瀛の住所を教えてくださいと頼もうかと思ったが、しばらく考えてみると、寄る年波の分別くささで、今更手紙なんか出してどうなる、などと思い返してやめてしまった。」

 とある。そのあとに若かりし黄瀛の手紙が紹介されている。文通のやりとりの何通かを紹介したあとで、

「が、私は別に黄に恋をしていたわけではない。恋というよりは多分に彼の異国的な性格に惹かれて、『草』の他の男たちより親しくしていたにすぎない。」

と書いてあるのもおもしろい。当時は手紙のやりとりだけだって、十分男女の交際の名に値した。それは、好きだったのだ。そこを老年の著者がはればれと回顧して書いているところが、何かすがすがしくて好ましい。そういう時代の物語なのだ。同書には、「戦時中の女学生の歌」という一節もある。そこから歌を引いてみよう。

不足など云はじと思ふ靴下のやぶれつくろふ針すすめつつ  (N子)

吐く息も白白寒き初冬の夜空よぎりて爆音は征く      (М子)

黄菊ひとつかげやはらかに活けられし机の上の書をわれは読む (A子)

 あまり上手な歌ではないが、この人たちはきっと今頃まだ短歌をつくって長生しているだろう。現にその一人とおぼしい人を私は知っているから、今度この本を見せてみようかと思う。私が「未来」の歌人の稲葉峯子さんから聞いた回顧談によると、戦後の義務制の学校でも職場の何人かがいっしょに「アララギ」の定期購読をしていた、というような雰囲気があったそうだから、短歌と学校現場というのは、近かったのだ。雑書拾いはこういうことがあるから、やめられない。