さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

石川美南『架空線』

2018年09月04日 | 現代短歌
 尾田美樹の装画を使った装本がいい感じで、ページをめくりやすい。後記と目次をみて、「わたしの増殖」を真っ先に読む。これは柴田元幸訳のアラスター・グレイ作「イアン・ニコルの増殖」をもとにして作られた連作だという。引いてみる。

妬ましき心隠して書き送る〈前略、へそのある方のわたし〉

へそのないわたしは冷えと寂しさに弱くて、鳴らす歩道の落ち葉

 この二首は、この連作の三首めと四首めに位置するものだが、まさに石川美南がこれまで追求してきた世界を象徴するような作品ではないかと思う。つまり、「へそのある私」と「へそのないわたし」が分裂してしまって、ふたりは摩訶不思議なやりとりをするところに放り出される。

  イアンはしばし考え込んだ。
  「それって普通のことじゃないですよね?」

それつて案外普通のことよ わたしたちの昨夜に同じ記憶が灯る

めりめりとあなたははがれ、刺すような胸の痛みも剝がれ落ちたり

 ※「剝がれ」は「剥がれ」の正字の方を用いる。

〈他者〉といふやさしい響き 鉄塔の下まで肩を並べて歩く

これは二十首ある連作のうちの十一首目から十三首目まで。ここには、関係性というもののなかにしか存在しない〈他者〉と〈わたし〉についての、石川美南独特のウイットをこめたコメントが、いきいきと楽しげに展開されている。自分が二人いて、その各々が別れあって種々の対話をする場というのは、風通しもいいし、理想的な〈自己空間〉(※私の造語)なのであって、何か常にそういった仕掛けを求めて試行し続けている作者、というイメージが石川美南にはある。「〈他者〉といふやさしい響き 鉄塔の下まで肩を並べて歩く」、こういう自分についての距離の取り方ができたら楽だろうな、という夢を作者は語っているのであって、そこは軽妙というか、ノンシャランなので、ここに重くれた「私性」みたいなものを持って来る必要はない。だから、「めりめりとあなたははがれ、刺すような胸の痛みも剝がれ落ちたり」というのが、精神科の医者もいらないし、けんかもしなくてすむし、耐えがたいとなりのあなたと訂正不可能な私の今も、何とかここで「めりめり」と「はがれ」てしまえばいい。晴れた秋空のように爽やか。

 ということで、はじめから読みだして、読みながらいたくご機嫌になって、しかもだんだんハイになってきたところで駅に着いたので一昨日は読むのをやめた。何首か引いてみよう。

〈とぶ〉よりも〈降りる〉が大事 踵からこの世へ降りてくるスケーター

呼ばれたらすぐ振り返るけど 本棚に擬態してゐる書店員たち

音もなく悲しみ積んでくる象に誰も背中を向けてはならぬ

なだらかな肩にめりこむ蔦の跡 話せば長いけれども話す

 いろいろな種類の歌があって、それぞれに楽しめる。