二〇一一年から二〇一七年半ばまでの歌を集めたという。ざっと数えてみると、二九五首前後あった。これは三百首に満たない。作者は、特に寡作というわけではないし、雑誌に依頼されている作品もあるはずだから、厳選したのだろう。おそらく同想のものや、同じ素材の歌を大量に落としているにちがいない。それだけではなく、言いおおせて何かある、というような思いが強いのかもしれない。表現に向かう時の意志や意欲の持ちようが、そういう諦念に似た感覚をにじませたものになって来ている。
「あとがき」に、「いつのまにか、眼鏡のレンズに薄くて細い傷がついている。短歌を作るとき、私が掛けている眼鏡である。ほの暗いところでは気がつかないが、明るい碧空のもとに出ると、視界に小さな傷が浮きでてくる。ただ時の過ぎていくだけで、知らないうちに付いてしまう細い細い傷。このたび読み返してみた私の歌は、そのようなものであったのかもしれない。」とある。印象的な散文である。
樹のおおう空き家の窓にふと透けて椅子というものの切なき形
積乱雲の空より垂れてくる日差しすべてのものの老いを速くす
鈍くなる五感を言えばあるだろうまだ心がと諭されながら
一首目の「椅子というもの」の四句目で早口になってから「切なき形」の「切ない」という語を導いてくる語の斡旋のしかたや、二首目の「積乱雲の空より垂れてくる日差し」という初句の重い歌い出しが、「すべてのものの老いを速くす」という「速さ」を言った結句に結びついてゆく語の斡旋など、どれも作者の感情の深度に根差しているものとして読むことができる。
春の馬おとなしければ馬場に降る桜の音を聞くばかりなり
唐突にドラックストアで干し草の香りをさがす感傷生活
一首目のようなごく素直な印象の抒情歌や、二首目のタイトルとなった歌も、表立っては言わない作者の苦悩や屈折、悲しみが沈められていることが背後に感じられるのである。同じ一連から引く。
夜ごとに遊園地にわく錆などの分けの分からぬ悲をやり過ごす
悲には悲が嘘には嘘が救いなり六十年経てようやく分かる
誰しも、諸々の思いを打ち伏せ、押しやりながら生きているものだ。私も六十年経てこういう歌のどこがよいのかということが、ようやく語れるようになった気がする。共感の共同体である短歌の世界というものに支えられてこういう歌がある。
戦争に溺れるこころ平和なる日々に溺れるこころと寒し
ネット社会に私は棲んでいないから君を凹ます空気を知らず
敏感なこころと鈍感なこころが絡まり合いながら、この世というものは成り立っている。歌は、その敏感なこころに寄り添うものでありたい。
せつせつと取り戻したき母ふたり春浅き風に吹かれておれば
数知れぬオシロイバナのそよぐとき気味悪いほど見えわたる眼よ
ひとの恋それとはなしに見ているに列車ごといきなり地上に出でぬ
「このままじゃ死ねない」と若き日は思いその「このまま」が今は分からぬ
佐伯の口から、歌で行き詰ったり、わからなくなったりした時は土屋文明を読む、という趣旨の言葉を聞いたことがある。おしまいに引いた歌は、直截で、思い切ったところがある。これは佐伯の消化してきた土屋文明の血統が感じられる歌とも言えようか。この世のあたらしい出来事はみな若い人のものであるように感じられる年齢に作者もなったということを、鋭い自己凝視をもって言い留めている。
皮膚に薄く包まれるゆえ出づるときたぶん心は匂うのだろう
すれ違う人に二度とは会えぬ街、東京に生きて人とはぐれぬ
今度の歌集は、やや抽象的な祖父の記憶とはちがって、現実に肉体としての家族の多くを失った作者が、心の痛みのなかでかろうじてここまでは言い得たか、というような自認のもとに編まれた歌集であるような気がする。喪失ということは、これまで常に佐伯裕子の作品のライトモチーフであり続けた。
「一期は夢」と思い切るにはあまりにも懐かしく立つ太き欅は
さわさわとものいう欅うなだれる親子のうえに光こぼしぬ
大事なもの、大切な物について語っているうちは、人は人であり続けることができる。佐伯裕子の歌は、それを読者に指し示すことが出来る力をもっている。
「あとがき」に、「いつのまにか、眼鏡のレンズに薄くて細い傷がついている。短歌を作るとき、私が掛けている眼鏡である。ほの暗いところでは気がつかないが、明るい碧空のもとに出ると、視界に小さな傷が浮きでてくる。ただ時の過ぎていくだけで、知らないうちに付いてしまう細い細い傷。このたび読み返してみた私の歌は、そのようなものであったのかもしれない。」とある。印象的な散文である。
樹のおおう空き家の窓にふと透けて椅子というものの切なき形
積乱雲の空より垂れてくる日差しすべてのものの老いを速くす
鈍くなる五感を言えばあるだろうまだ心がと諭されながら
一首目の「椅子というもの」の四句目で早口になってから「切なき形」の「切ない」という語を導いてくる語の斡旋のしかたや、二首目の「積乱雲の空より垂れてくる日差し」という初句の重い歌い出しが、「すべてのものの老いを速くす」という「速さ」を言った結句に結びついてゆく語の斡旋など、どれも作者の感情の深度に根差しているものとして読むことができる。
春の馬おとなしければ馬場に降る桜の音を聞くばかりなり
唐突にドラックストアで干し草の香りをさがす感傷生活
一首目のようなごく素直な印象の抒情歌や、二首目のタイトルとなった歌も、表立っては言わない作者の苦悩や屈折、悲しみが沈められていることが背後に感じられるのである。同じ一連から引く。
夜ごとに遊園地にわく錆などの分けの分からぬ悲をやり過ごす
悲には悲が嘘には嘘が救いなり六十年経てようやく分かる
誰しも、諸々の思いを打ち伏せ、押しやりながら生きているものだ。私も六十年経てこういう歌のどこがよいのかということが、ようやく語れるようになった気がする。共感の共同体である短歌の世界というものに支えられてこういう歌がある。
戦争に溺れるこころ平和なる日々に溺れるこころと寒し
ネット社会に私は棲んでいないから君を凹ます空気を知らず
敏感なこころと鈍感なこころが絡まり合いながら、この世というものは成り立っている。歌は、その敏感なこころに寄り添うものでありたい。
せつせつと取り戻したき母ふたり春浅き風に吹かれておれば
数知れぬオシロイバナのそよぐとき気味悪いほど見えわたる眼よ
ひとの恋それとはなしに見ているに列車ごといきなり地上に出でぬ
「このままじゃ死ねない」と若き日は思いその「このまま」が今は分からぬ
佐伯の口から、歌で行き詰ったり、わからなくなったりした時は土屋文明を読む、という趣旨の言葉を聞いたことがある。おしまいに引いた歌は、直截で、思い切ったところがある。これは佐伯の消化してきた土屋文明の血統が感じられる歌とも言えようか。この世のあたらしい出来事はみな若い人のものであるように感じられる年齢に作者もなったということを、鋭い自己凝視をもって言い留めている。
皮膚に薄く包まれるゆえ出づるときたぶん心は匂うのだろう
すれ違う人に二度とは会えぬ街、東京に生きて人とはぐれぬ
今度の歌集は、やや抽象的な祖父の記憶とはちがって、現実に肉体としての家族の多くを失った作者が、心の痛みのなかでかろうじてここまでは言い得たか、というような自認のもとに編まれた歌集であるような気がする。喪失ということは、これまで常に佐伯裕子の作品のライトモチーフであり続けた。
「一期は夢」と思い切るにはあまりにも懐かしく立つ太き欅は
さわさわとものいう欅うなだれる親子のうえに光こぼしぬ
大事なもの、大切な物について語っているうちは、人は人であり続けることができる。佐伯裕子の歌は、それを読者に指し示すことが出来る力をもっている。