176 暁萩風
かぎりあれば覚なんとするあけがたのゆめの末ふく萩の上風
二三七 限りあれば覚(さめ)なんとする明(あけ)がたの夢のすゑふく萩のうはかぜ
□たとひ萩の風はふかずとも、さめなんとする也。たとへば花見に出でんとする時誘はれたるが如し。
○たとえ萩の上に風は吹かなくても、目が覚めそうになるのだ。たとえば花見に出ようとする時に誘われたようなものである。
※題の本意と日常の情緒を濃厚に重ね合わせて生きることが空想裡にできること、それが日本の歌人の生活である。
177 外に出でて住ける年の秋よめる
此の秋はふるさと人のおとづれに吹くとのみきくをぎの上かぜ
二三八 外に出てすみけるとしの秋よめる
この秋はふるさと人の音信(おとづれ)に吹(ふく)とのみきく荻のうは風
□木や町に出たることあり。岡崎の宅、ことの外荻多くあるなり。音信におとのせぬ荻をきくとなり。
○木屋町に出たことがある。岡崎の宅は、ことの外荻が多くある。音信におとのせぬ荻を吹く音を聞くというのである。
178 萩
さをじかの妻どふ野べの秋はぎは下葉のみこそいろづきにけれ
二三九 さをしかの妻どふ野辺の秋はぎは下葉より社(こそ)色付(いろづき)にけれ 文化十一年
□「古今」の序に「秋萩の下葉をながめ」とあり。下葉ははやくかれて行くなり。古人はことの外はかなきことに目をつけるなり。さをじかに照りあはすが此の歌なり。
○「古今(集)」の序にも「秋萩の下葉をながめ」とある。下葉は早く枯れて行くのである。古人は格別にはかないことに目をつけたものだ。さを鹿に照りあわせるのがこの歌である。
179
一夜にやたなばたつめのおりつらんけさしも萩の錦なるかな
二四〇 ひとよにやたなばたづ(ママ)めの織(おり)つらむけさしも萩の錦なる哉
□一朝みつけたるなり。驚きのあるもの也。花は漸を以て開くなれども、ことの外見事に思ふことあるなり。「一夜にや」棚機つめの神女の手故、一夜におるなり。「つくからに神やきりけん」の類なり。「しも(下線)」は強くなる。「けさ」、「あ」と云ふことなり。玄如法師は下巻の秀逸であらうと云ひたるなり。
○一朝(起きて)みつけたのである。驚きのあるものだ。花はだんだんに開くものであるけれども、ことの外みごとに思うことがある。「一夜にや」というのは、たなばたつめの神女の手だから、一晩で織るのである。「つくからに神やきりけん」の類だ。「しも(下線)」は強くなる。今朝、あっと思うことである。玄如法師は(この歌が「古今集」の)下巻の秀逸であろうと言ったものだ。
※「仁和のみかどのみこにおはしましける時に、御をばのやそぢの賀にしろかねをつゑにつくれりけるを見て、かの御をばにかはりてよみける
ちはやぶる神やきりけむつくからにちとせの坂もこえぬべらなり」僧正へんぜう「古今集巻第六 賀歌」三四八。
180 高台寺の萩見にまかりて
古でらのたかき臺(うてな)のからにしきたちのこしけんあきはぎの花
二四一 ふるでらのたかきうてなの唐錦(から)にしきたちのこしけむ秋はぎの花 文政七年 初句 イニシヘの
□高台寺中々歌によまれぬ所なり。しかし、歌くさく高台らしき故ここに出せり。昔さかんなりし時のたち残りてあらんと云ふなり。
○高台寺は中々歌によまれない所である。しかし、(寺の名が)歌くさいし(漢詩にあるような)高台めいているのでここに出した。昔さかんであった時(の様子)がずっと残っているようだというのである。
※「臺」は「台」。
181 薄
紅のあさはの野辺のしのすすき穂に出でたれどいまだみだれず
二四二 紅の浅葉の野辺のしのすすきほに出でたれどいまだ乱れず 文化三年
□「紅」は「浅」の枕詞なり。「万(葉)」に「紅の戔香」とあるなり。紫はこきに云ふなり。「紫のこかたの海」とあり。此れ古人、調べのよき方に骨が折てあるなり。浅葉野、信州。
「しの」しなしなとしたることなり。風の吹くまでは乱れぬなり。
すすきのすつと出たる形なり。其の開かぬ内は紅の色のつよきものなり。たとへば紅梅の未開、紅の類なり。開かぬうちは紅深き也。古人「尾花色のめしを出しける」とあるは、小豆飯なり。
○「紅」は「浅」の枕詞である。「万葉集」に「紅の戔香」とある。紫は濃い色にいう。「紫のこかたの海」とある。これは古人が、調べのよい方に骨を折っているのである。浅葉野は、信州。
「しの」は、しなしなとしていることだ。風の吹くまでは乱れないのだ。
すすきのすっと出た形である。その開かない内は紅の色がつよいものである。たとえば紅梅の未だ開かないものが、紅である類だ。開かないうちは紅が深いのである。古人が「尾花色のめしを出しける」とあるのは、小豆飯のことである。
※「うつほ物語 菊の宴」。
182
ふるさとの野中の道にやすらへば風にひれふるしののをすすき
二四三 故郷の野中の道にやすらへば風にひれふるしののをすすき 文化二年
□ひれ、古人女人の後にかけるものをひれと云ふなり。領巾と書くなり。男もかけたりと見ゆ。「ひれかくるともの男」とあり。礼服にかけるもの歟。さよ媛もひれを以て招くとあり。ひれふる山とあるなり。故郷にかへる人のさまなり。故郷はあれれば野となるなり。それ故野をつづけ(ママ)るなり。故郷の野辺見に行くと云ふなり。故郷は必ず野辺にあるやうになるは、此れ野となる縁あるなり。柳に燕の類なり。こちらより合せて云ふなり。
○「ひれ」、古人は女人の後にかけるものをひれと言った。「領巾」と書く。男もかけたものとみえる。「ひれかくるともの男」とある。礼服にかけるものか。さよ媛も「ひれを以て招く」とある。「ひれふる山」とある。故郷にかえる人の様子である。故郷は荒れれば野となる。それで「野」をつづけるのだ。故郷の野辺を見に行くと言う。故郷は必ず野辺にあるようになるのは、これは「野」となるゆかりがあるのである。柳に燕の類だ。こちら(故郷と言ったら野)を合わせて言うのである。
183
秋かぜにすゝきの糸をよらせつゝたがぬひいでし草のたもとぞ
二四九 秋かぜに薄(すゝき)の糸をよらせつゝたが縫出(ぬひいで)し草のたもとぞ
□よく聞えたり。
○よくわかる歌だ。
184 薄随風
一方になびきそろひて花すゝきかぜふく時ぞみだれざりける
二四五 ひとかたになびきそろひて花薄かぜふく時ぞみだれざりける 文化十五年
□風にみだるゝものを、みだれぬといふが趣向なり。
○風にみだれるものを、みだれないと言うのが趣向である。
※佳吟。
185 行路薄
たび人の袖とひとつになりにけりすゑの原野のしのゝをすゝき
二四六 旅人の袖とひとつになりにけり末の原野のしのゝをすゝき 文化十五年
□旅行人を見やりて居るのに、とうとうすゝきの袖と一緒にほのかになりたと也。「末の原」、名所なり。「万葉」に「梓弓末の原野」とあり。末が遥に、末のやうに聞ゆるなり。末の松山も遥にみゆるなり。
○旅行く人を見やりて居るのに、とうとうすすきの袖と一緒に姿がかすんで見えなくなっていったというのである。「末の原」、名所である。「万葉」に「梓弓末の原野」とある。「末」が、遥に、末のやうに聞えるのである。末の松山も遥にみえるのだ。
※「あづさゆみ-すゑのはらのに-とがりする-きみがゆづるの-たえむとおもへや」「万葉集」二六四六。「末の」のような歌語に言葉がもともと持っていたみずみずしいイメージを呼び起こそうとするここの解釈は、なかなかのもの。
186 薄似袖
おしなべて知るも知らぬもまねくこそ尾花がそでのこゝろなりけれ
二四七 おしなべて知るも知らぬも招く社(こそ)尾花が袖の心なりけれ 文化三年
□「袖ふる尾花が心なりけり」と云ふを、「尾花が袖の心」と云ふなり。松の木の間の心なりけり。皆心あるに見なすなり。尾花、「穂」花を云ふが「を」(傍線)に転じたるなりといふ説あり。「万(葉)」に「さをしかの入野のすゝき初尾花うち出て招く」。
○「袖ふる尾花が心なりけり」と言うところを、「尾花が袖の心」と言うのである。「松の木の間の心なりけり」。皆心があるように見なすのである。「尾花」は、「穂」花を言うが「を」(傍線)に転じたものという説がある。「万葉集」に「さをしかの入野のすゝき初尾花うち出て招く」(という歌がある)。
※上三句に「うち出て招く」という四句めが続く歌はない。口をついて出たうろ覚えの歌だったので言いさしている。ここも景樹が「万葉集」を直接読む前に、先に「古今和歌六帖」の人麿などの歌を拾って覚えたのではないかという推論の根拠となるところである。
「さをしかの入ののすすき初尾花いつしか君にたまくらをせむ」「古今和歌六帖 すすき」三六九一。
「さをしかの-いりののすすき-はつをばな-いづれのときか-いもがてまかむ」「万葉集」二二八一「新編国歌大観」による。
「さをしかのいるののすすきはつをばないつしかいもがたまくらにせむ 人丸」「夫木和歌抄」四三二一。
かぎりあれば覚なんとするあけがたのゆめの末ふく萩の上風
二三七 限りあれば覚(さめ)なんとする明(あけ)がたの夢のすゑふく萩のうはかぜ
□たとひ萩の風はふかずとも、さめなんとする也。たとへば花見に出でんとする時誘はれたるが如し。
○たとえ萩の上に風は吹かなくても、目が覚めそうになるのだ。たとえば花見に出ようとする時に誘われたようなものである。
※題の本意と日常の情緒を濃厚に重ね合わせて生きることが空想裡にできること、それが日本の歌人の生活である。
177 外に出でて住ける年の秋よめる
此の秋はふるさと人のおとづれに吹くとのみきくをぎの上かぜ
二三八 外に出てすみけるとしの秋よめる
この秋はふるさと人の音信(おとづれ)に吹(ふく)とのみきく荻のうは風
□木や町に出たることあり。岡崎の宅、ことの外荻多くあるなり。音信におとのせぬ荻をきくとなり。
○木屋町に出たことがある。岡崎の宅は、ことの外荻が多くある。音信におとのせぬ荻を吹く音を聞くというのである。
178 萩
さをじかの妻どふ野べの秋はぎは下葉のみこそいろづきにけれ
二三九 さをしかの妻どふ野辺の秋はぎは下葉より社(こそ)色付(いろづき)にけれ 文化十一年
□「古今」の序に「秋萩の下葉をながめ」とあり。下葉ははやくかれて行くなり。古人はことの外はかなきことに目をつけるなり。さをじかに照りあはすが此の歌なり。
○「古今(集)」の序にも「秋萩の下葉をながめ」とある。下葉は早く枯れて行くのである。古人は格別にはかないことに目をつけたものだ。さを鹿に照りあわせるのがこの歌である。
179
一夜にやたなばたつめのおりつらんけさしも萩の錦なるかな
二四〇 ひとよにやたなばたづ(ママ)めの織(おり)つらむけさしも萩の錦なる哉
□一朝みつけたるなり。驚きのあるもの也。花は漸を以て開くなれども、ことの外見事に思ふことあるなり。「一夜にや」棚機つめの神女の手故、一夜におるなり。「つくからに神やきりけん」の類なり。「しも(下線)」は強くなる。「けさ」、「あ」と云ふことなり。玄如法師は下巻の秀逸であらうと云ひたるなり。
○一朝(起きて)みつけたのである。驚きのあるものだ。花はだんだんに開くものであるけれども、ことの外みごとに思うことがある。「一夜にや」というのは、たなばたつめの神女の手だから、一晩で織るのである。「つくからに神やきりけん」の類だ。「しも(下線)」は強くなる。今朝、あっと思うことである。玄如法師は(この歌が「古今集」の)下巻の秀逸であろうと言ったものだ。
※「仁和のみかどのみこにおはしましける時に、御をばのやそぢの賀にしろかねをつゑにつくれりけるを見て、かの御をばにかはりてよみける
ちはやぶる神やきりけむつくからにちとせの坂もこえぬべらなり」僧正へんぜう「古今集巻第六 賀歌」三四八。
180 高台寺の萩見にまかりて
古でらのたかき臺(うてな)のからにしきたちのこしけんあきはぎの花
二四一 ふるでらのたかきうてなの唐錦(から)にしきたちのこしけむ秋はぎの花 文政七年 初句 イニシヘの
□高台寺中々歌によまれぬ所なり。しかし、歌くさく高台らしき故ここに出せり。昔さかんなりし時のたち残りてあらんと云ふなり。
○高台寺は中々歌によまれない所である。しかし、(寺の名が)歌くさいし(漢詩にあるような)高台めいているのでここに出した。昔さかんであった時(の様子)がずっと残っているようだというのである。
※「臺」は「台」。
181 薄
紅のあさはの野辺のしのすすき穂に出でたれどいまだみだれず
二四二 紅の浅葉の野辺のしのすすきほに出でたれどいまだ乱れず 文化三年
□「紅」は「浅」の枕詞なり。「万(葉)」に「紅の戔香」とあるなり。紫はこきに云ふなり。「紫のこかたの海」とあり。此れ古人、調べのよき方に骨が折てあるなり。浅葉野、信州。
「しの」しなしなとしたることなり。風の吹くまでは乱れぬなり。
すすきのすつと出たる形なり。其の開かぬ内は紅の色のつよきものなり。たとへば紅梅の未開、紅の類なり。開かぬうちは紅深き也。古人「尾花色のめしを出しける」とあるは、小豆飯なり。
○「紅」は「浅」の枕詞である。「万葉集」に「紅の戔香」とある。紫は濃い色にいう。「紫のこかたの海」とある。これは古人が、調べのよい方に骨を折っているのである。浅葉野は、信州。
「しの」は、しなしなとしていることだ。風の吹くまでは乱れないのだ。
すすきのすっと出た形である。その開かない内は紅の色がつよいものである。たとえば紅梅の未だ開かないものが、紅である類だ。開かないうちは紅が深いのである。古人が「尾花色のめしを出しける」とあるのは、小豆飯のことである。
※「うつほ物語 菊の宴」。
182
ふるさとの野中の道にやすらへば風にひれふるしののをすすき
二四三 故郷の野中の道にやすらへば風にひれふるしののをすすき 文化二年
□ひれ、古人女人の後にかけるものをひれと云ふなり。領巾と書くなり。男もかけたりと見ゆ。「ひれかくるともの男」とあり。礼服にかけるもの歟。さよ媛もひれを以て招くとあり。ひれふる山とあるなり。故郷にかへる人のさまなり。故郷はあれれば野となるなり。それ故野をつづけ(ママ)るなり。故郷の野辺見に行くと云ふなり。故郷は必ず野辺にあるやうになるは、此れ野となる縁あるなり。柳に燕の類なり。こちらより合せて云ふなり。
○「ひれ」、古人は女人の後にかけるものをひれと言った。「領巾」と書く。男もかけたものとみえる。「ひれかくるともの男」とある。礼服にかけるものか。さよ媛も「ひれを以て招く」とある。「ひれふる山」とある。故郷にかえる人の様子である。故郷は荒れれば野となる。それで「野」をつづけるのだ。故郷の野辺を見に行くと言う。故郷は必ず野辺にあるようになるのは、これは「野」となるゆかりがあるのである。柳に燕の類だ。こちら(故郷と言ったら野)を合わせて言うのである。
183
秋かぜにすゝきの糸をよらせつゝたがぬひいでし草のたもとぞ
二四九 秋かぜに薄(すゝき)の糸をよらせつゝたが縫出(ぬひいで)し草のたもとぞ
□よく聞えたり。
○よくわかる歌だ。
184 薄随風
一方になびきそろひて花すゝきかぜふく時ぞみだれざりける
二四五 ひとかたになびきそろひて花薄かぜふく時ぞみだれざりける 文化十五年
□風にみだるゝものを、みだれぬといふが趣向なり。
○風にみだれるものを、みだれないと言うのが趣向である。
※佳吟。
185 行路薄
たび人の袖とひとつになりにけりすゑの原野のしのゝをすゝき
二四六 旅人の袖とひとつになりにけり末の原野のしのゝをすゝき 文化十五年
□旅行人を見やりて居るのに、とうとうすゝきの袖と一緒にほのかになりたと也。「末の原」、名所なり。「万葉」に「梓弓末の原野」とあり。末が遥に、末のやうに聞ゆるなり。末の松山も遥にみゆるなり。
○旅行く人を見やりて居るのに、とうとうすすきの袖と一緒に姿がかすんで見えなくなっていったというのである。「末の原」、名所である。「万葉」に「梓弓末の原野」とある。「末」が、遥に、末のやうに聞えるのである。末の松山も遥にみえるのだ。
※「あづさゆみ-すゑのはらのに-とがりする-きみがゆづるの-たえむとおもへや」「万葉集」二六四六。「末の」のような歌語に言葉がもともと持っていたみずみずしいイメージを呼び起こそうとするここの解釈は、なかなかのもの。
186 薄似袖
おしなべて知るも知らぬもまねくこそ尾花がそでのこゝろなりけれ
二四七 おしなべて知るも知らぬも招く社(こそ)尾花が袖の心なりけれ 文化三年
□「袖ふる尾花が心なりけり」と云ふを、「尾花が袖の心」と云ふなり。松の木の間の心なりけり。皆心あるに見なすなり。尾花、「穂」花を云ふが「を」(傍線)に転じたるなりといふ説あり。「万(葉)」に「さをしかの入野のすゝき初尾花うち出て招く」。
○「袖ふる尾花が心なりけり」と言うところを、「尾花が袖の心」と言うのである。「松の木の間の心なりけり」。皆心があるように見なすのである。「尾花」は、「穂」花を言うが「を」(傍線)に転じたものという説がある。「万葉集」に「さをしかの入野のすゝき初尾花うち出て招く」(という歌がある)。
※上三句に「うち出て招く」という四句めが続く歌はない。口をついて出たうろ覚えの歌だったので言いさしている。ここも景樹が「万葉集」を直接読む前に、先に「古今和歌六帖」の人麿などの歌を拾って覚えたのではないかという推論の根拠となるところである。
「さをしかの入ののすすき初尾花いつしか君にたまくらをせむ」「古今和歌六帖 すすき」三六九一。
「さをしかの-いりののすすき-はつをばな-いづれのときか-いもがてまかむ」「万葉集」二二八一「新編国歌大観」による。
「さをしかのいるののすすきはつをばないつしかいもがたまくらにせむ 人丸」「夫木和歌抄」四三二一。
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