ながく生きて来ると、ひとは否応なしに身近な死者を抱えて生きなければならなくなる。親兄弟や親しかった人たち。その圧倒的な喪失感に耐えながら日々を過ごすうちに、自ずから死者との対話が生まれ、私は独り言のなかで問答を続けることになる。いや、独り言ではない。対話はきちんと成り立っている。私のなかに生きている死者は、けっこう自分を主張したりもするのだ。だから、私は死者に譲ったり、その思いを汲んで何かをしなくてはならないことがある。
生き難いと感じているひとにとって、生きるということはそれ自体がひとつの仕事のようなものだ。あふれるほどの意欲に満ちていた若い頃ならともかく、ある年齢に達した者には、命の炎を掻き立てるための言葉と工夫が必要だ。日々の時間を占めるもの。自らの興味と関心を投げ込んで、できることならそれに心を奪われて、座り込んでいる私を立ち上がらせ、私があまり私自身のことに集中しすぎてしまわないように、持続的な事物への関心を保っていくようにしなくてはならない。歌人にとっては、それが短歌だということは、ある。
短歌は生きるための手立てであり、そのための工夫や技術や人間関係を提供してくれるものである。「うた」は、不思議なほどに自分の現在の心の位相を映し出すものでもある。「うた」は感情の色に染められて、高低と響きの調子を持ち、かたくもやわらかくもなるものだ。その「うた」を通してあらわれるこころの姿が、言葉によって定着される。だから「うた」の在り様は、音楽や絵画と類比的なものであり、諸芸に通じるものを持っている。
今日、道浦母都子さんの歌集『花高野』の事を考えている時に、大岡信の評論集『青き麦萌ゆ』(昭和五十年刊)を手にした。そこに藤原俊成の歌の現代語訳についてのエッセイが収められている。何首か紹介されているうちの二首を引いてみよう。訳詩、大岡信。歌、藤原俊成。
ふしぎだと思ふ
水の上でどうして鴛鴦(※をし)はあのやうに
軽やかに浮いてゐられるのだらう
わたしときたら
かたい大地にゐてさへ沈んでゆくのだ
(水のうへにいかでか鴛の浮かぶらむ陸(※くが)にだにこそ身は沈みぬれ
火打石の光のやうに無常迅速
宇宙一瞬のわたし
なにを歎くことがあらう
いのちは石をうつ光のなか
(石をうつ光のうちによそふなるこの身のほどを何歎くらむ)
この歌の「身」は、すなわち道浦さんの「身」の在り様に近いのではないかと、なぜか思われたから、ここに引いたのである。
言うなれば、「陸にだにこそ身は沈みぬれ」と、「光のうちによそふなる」ということの間に我が身はあり、わたくしの発する「こゑ」の端緒となるものが、眼前・身のめぐりに生起する現象、事物と自然の姿である。
紀伊水道 枯木灘過ぎ熊野灘 海の濁りの濃くなるばかり 道浦母都子
ひとついのちの過ぎたる後の光跡か蝉の抜け殻ほのぼのと見む
バス停「御陵前」過ぎ雨に遭う百済のあめか虹のいろして
忘れてはならぬ雨の夜「安保法案」が「安保法」にと変貌したる日
君の忌過ぎ父の忌過ぎて山茶花の息呑む白に弟月のあめ
『花高野』より抄出
紙の感触といい、文字の大きさと幅、表紙の写真の使い方に至るまで、細かい神経の行き届いた間村俊一ならではの装丁に支えられた一書である。私は間村俊一が打ち合せをするところを一度だけそばで見たことがある。きちんと実物と同じ厚さの本の束(つか)見本を作らせ、何通りもの活字を並べて見比べながら作られるという本を手にしたときの喜びは、なにものにもかえがたい。
生き難いと感じているひとにとって、生きるということはそれ自体がひとつの仕事のようなものだ。あふれるほどの意欲に満ちていた若い頃ならともかく、ある年齢に達した者には、命の炎を掻き立てるための言葉と工夫が必要だ。日々の時間を占めるもの。自らの興味と関心を投げ込んで、できることならそれに心を奪われて、座り込んでいる私を立ち上がらせ、私があまり私自身のことに集中しすぎてしまわないように、持続的な事物への関心を保っていくようにしなくてはならない。歌人にとっては、それが短歌だということは、ある。
短歌は生きるための手立てであり、そのための工夫や技術や人間関係を提供してくれるものである。「うた」は、不思議なほどに自分の現在の心の位相を映し出すものでもある。「うた」は感情の色に染められて、高低と響きの調子を持ち、かたくもやわらかくもなるものだ。その「うた」を通してあらわれるこころの姿が、言葉によって定着される。だから「うた」の在り様は、音楽や絵画と類比的なものであり、諸芸に通じるものを持っている。
今日、道浦母都子さんの歌集『花高野』の事を考えている時に、大岡信の評論集『青き麦萌ゆ』(昭和五十年刊)を手にした。そこに藤原俊成の歌の現代語訳についてのエッセイが収められている。何首か紹介されているうちの二首を引いてみよう。訳詩、大岡信。歌、藤原俊成。
ふしぎだと思ふ
水の上でどうして鴛鴦(※をし)はあのやうに
軽やかに浮いてゐられるのだらう
わたしときたら
かたい大地にゐてさへ沈んでゆくのだ
(水のうへにいかでか鴛の浮かぶらむ陸(※くが)にだにこそ身は沈みぬれ
火打石の光のやうに無常迅速
宇宙一瞬のわたし
なにを歎くことがあらう
いのちは石をうつ光のなか
(石をうつ光のうちによそふなるこの身のほどを何歎くらむ)
この歌の「身」は、すなわち道浦さんの「身」の在り様に近いのではないかと、なぜか思われたから、ここに引いたのである。
言うなれば、「陸にだにこそ身は沈みぬれ」と、「光のうちによそふなる」ということの間に我が身はあり、わたくしの発する「こゑ」の端緒となるものが、眼前・身のめぐりに生起する現象、事物と自然の姿である。
紀伊水道 枯木灘過ぎ熊野灘 海の濁りの濃くなるばかり 道浦母都子
ひとついのちの過ぎたる後の光跡か蝉の抜け殻ほのぼのと見む
バス停「御陵前」過ぎ雨に遭う百済のあめか虹のいろして
忘れてはならぬ雨の夜「安保法案」が「安保法」にと変貌したる日
君の忌過ぎ父の忌過ぎて山茶花の息呑む白に弟月のあめ
『花高野』より抄出
紙の感触といい、文字の大きさと幅、表紙の写真の使い方に至るまで、細かい神経の行き届いた間村俊一ならではの装丁に支えられた一書である。私は間村俊一が打ち合せをするところを一度だけそばで見たことがある。きちんと実物と同じ厚さの本の束(つか)見本を作らせ、何通りもの活字を並べて見比べながら作られるという本を手にしたときの喜びは、なにものにもかえがたい。
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